十句観音経 じっくかんのんきょう

いつだったか、初冬の山科。醍醐寺金堂のお薬師さんにおまいりして、上醍醐寺の入り口にある
女人堂で、写経をしました。音ひとつない静かなお堂で、「十句観音経」を慣れない筆で書きました。
それを、お坊さんとともに開経偈、懺悔文 帰依文をあげ、この「十句観音経」を無心に唱えました。


十句観音経 じっくかんのんきょう

観世音     南無佛   
かんぜおん       なーむーぶつ    
                        
与佛有因   与佛有縁 
よーぶつうーいん   よーぶつうーえん 
                        
佛法僧縁   常楽我浄 
ぶっぽうそうえん   じょうらくがーじょう
                       
朝念観世音  暮念観世音
ちょうねんかんぜーおん  ぼーねんかんぜーおん
                       
念念従心起  念念不離心
ねんねんじゅうしんきー  ねんねんふーりーしん
                       

http://enlighten.fc2web.com/zikkukannonnkyou.html
訳については、上記HPをごらんください。

『十句観音経(じっくかんのんぎょう)』は、わずか十句・四十二文字で、仏経の全経典の中で
もっとも短いものです。
治る見込みがないと医者に見離された重病人が、この経典を千回
唱えたら、奇跡的に回復したという話から、『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)』
とも呼ばれています。


 『十句観音経』が流行したのは中国においてですが、偽経(サンスクリット語の原典のない
経典の事。)とされていました。日本では江戸時代の初期に紹介されましたが、偽経の噂は
付きまとい、日本でも流行するに従って、その点を悪く言う宗派や僧侶が現われ出しました。

 しかし江戸時代中期になり、そういう悪口に終止符を打ったのが、臨済宗中興の祖と仰が
れる高名な禅僧の白隠(はくいん)でした。白隠は、実際に『十句観音経』には強大な霊験が
あるのだから、それがたとえ戯作者や講談師の作であっても大いに信心すべきであると主張
したのです。白隠が言いたかったのは、経典の功徳はその出所にあるのではなくて、その心
にあるという事なのでしょう。


 『十句観音経』が教えるのは、ただひたすら観音菩薩を念じ、その功徳を信じる事の大切さ
です。その意味では『十句観音経』は、『観音経』の真髄をあらわした経典であり、観音信仰の
心をズバリと表現していると言えるでしょう。

 そして白隠は、『十句観音経』によって起きた奇跡の数々を集めた『延命十句観音経霊験記』
という本も著して、日本中に『十句観音経』を広めました。それ以後、『十句観音経』は宗派を越
えて広く読まれるようになりました。



観世音菩薩浄楽我浄の四徳とは?

常徳 : 無常の世の中を生きていくのに無常を大切にしていくとやがては
      不安のなくなる平常心が具わる。

楽徳 : 苦の世の中を生きるには、苦をよく噛みしめていくと苦からいろいろ
      教わり苦が苦痛でなくなる。

我徳 : 自分ひとりの力で生きるのではないさまざまな縁に助けられ支え
      られて生かされ、また、他を生かしていくと言う自利他利のはたらき。

常徳 : 苦だ、楽だと分け隔てをしない。
      浄だ不浄だと選り好みをしない平等の智慧と慈悲