七福神
[七福神信仰について]
七福神は「仁王経」の七難七福という言葉が語源とされ、七つの福徳をそれぞれの神に配しています。
大黒天、毘沙門天、弁才天は仏教から、
寿老人、福禄寿、布袋は中国道教、
恵比寿神が神道から来ております。
七福神を構成する神々については、時代により異動があります。
七福神信仰が盛んとなった近世中期以降では、恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天、
布袋、福禄寿、寿老人の7人神の総称となり、これが今日でも最も一般的です。
しかし、福禄寿と寿老人は南極寿星の化身で、元来異名同神といわれています。そこで、寿老人を
はずして吉祥天を加えて七福神とすることもあります。しかし、一般的とならないのは、吉祥天と弁才天を
混同していて定着しないようです。。
[七福神の信仰の歴史]
平安時代から、個別的に福の神信仰は、広く行われていたようです。
仏法守護のインドの神である大黒天は、日本の大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合され、
福神信仰は定着していったようです。
中世鎌倉時代以降、水墨画の発達に伴って、禅画の画題で親しまれる布袋和尚(契此(かいし))や
福禄寿・寿老人も福の神に加えられました。
室町中期には、恵比寿と大黒が一対の神として併せ祀られ、福の神の中心となり、次第に、幾つかの
福の神が合祀されるようになり、そして禅宗の僧侶が中国の「竹林の七賢」に倣い、半分冗談?で作った
のが七福神と言われています。
別の説では、同じく室町時代に「仁王般若経」や「薬師経」にある「七難即滅、七福即生」という言葉に基づき、
考え出されたともいいます。
中世室町後期までに福なる神々が組み合わされて固定されてきたのが、いまの七福神です。
中世室町時代に至って、町人生活の中にも余剰生産の余裕が出てきて、蓄財観念が萌芽し、
貨幣経済も普及し始め、福徳という現世利益を求める町人意識とあいまって普及していったのです。
近世江戸時代になって、商業資本主義の発達をみ、福徳授与の神としてますます七福神信仰は
高まっていきました。さらに、七福神を乗せ、金銀財宝を満載した宝船の図も生まれました。
七福神詣、宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷いたり、床の間に飾ったり、商売繁盛の縁起物として
どんどん庶民に喜ばれるもてはやされていきました。
毘沙門天 (C)2004 RayLand |
多聞天とも呼ばれ、忿怒形で二臂像。右手に宝棒、または鉾、宝剣など、また左手に宝塔を持つ。岩座、二邪鬼(尼藍婆・毘藍婆)などに乗る。
右手の鉾は悪霊を退散させ、左手の宝塔は一切経の宝蔵を示し、無量の智慧を授ける。 仏教守護・智慧・開運福徳・出世 |
弁才天 (C)2004 RayLand |
唐服を着て左手に琵琶を持ち右手で弾いている。非常に容姿端麗で二臂像、八臂像の他、 鎌倉の江ノ島弁天のような裸体像もある。 芸術・芸能・文学・弁舌・学問の才能と幸運授与、金銀財宝授与 |
恵比寿神 | 烏帽子をかぶり、狩衣指貫を着る。右手に釣り竿、左手に大きな鯛を持つ。岩座。 水と縁があって、海上交通安全、漁業、水商売守護。サービス業守護、貿易、商売繁盛。 |
大黒天 (C)2004 RayLand |
頭に大黒頭巾をかぶり右手に小槌、左手に大きい袋を持ち肩に背負っています。米俵に乗るのが一般的。 金運良好・資産増加・開運出世・家内安・子孫繁栄等 |
福禄寿 | 長い頭が特徴で1500才の寿命を持つ鹿を伴う像がある。宝珠や長寿の象徴桃を持つ像もある。 長寿・富貴繁栄 |
寿老人 | 寿老人は中国道教の南極老人星の化現。白髭で杖か軍配を持ちます。福禄寿と異名同神。 長寿・諸病平癒・富貴繁栄 |
布袋 | 弥勒菩薩の化身といわれ、実在した中国唐代の禅僧。肥満体で生涯定住せず、子供と戯れたといいます。我が国では黄檗宗に属します。肩に掛けた大きい袋を堪忍袋といって、寛容で度量の大きいことを表します。大黒様の福袋とは違います。 人格形成・富貴繁栄 |