足跡考(あしあとこう)
                                                  H24.1.5

きつねの詩人といわれる蔵原伸二郎の詩の一部です。
 
『ずっと昔のこと
 一匹の狐が河岸の粘土層を走っていった
 それから何万年かたった後に
 その粘土層が化石となって足跡が残った
 その足跡をみると
 むかし狐が何を考えて走っていたのかが
 わかる。』


 「足跡」を残すということは、どんなことなのでしょうね。

小学校の卒業式の日に、どうしても自分の名前を、学校に残したくて裏の大きな木に上って、小刀で自分の名前を彫ったことがあります。数年して見に行ったら、見事に消えていました。その木には悪いことをしましたが、そのとき悟ったのは、なかなか自分の足跡をのこすことは難しいということです。

多感な思春期から、しばらくの青年期には全くそんなことを考えていませんでした。でも、前述の「蔵原伸二郎」は20才の記憶です。まだその時の雑誌を持っています。

『足跡』には、思念が残っている。その時々の脳裏に焼きついた「思い出」が、残像として、残留思念として残るのでしょうか。そのときの心の傷みや、苦しみ・飢え、漠然とした不安。

何かの本で読んだのですが、人というのはうまくできていて、「思い出」に残るのは、「楽しいこと」や「よかったこと」だけらしいです。でも、「記憶」は、薄れていきます。つらい夢は、時間が経つと見なくなるらしいです。きっと「いい思い」は、貪欲に忘れないらしいです。

アルツハイマー症になると、若いころの心の痛みや苦しみが、まざまざと蘇ると聞きます。温厚だったおばあさんが、急に旦那さんの若いころの浮気話を延々と何度も繰り返しするようです。ひょっとしたら、真に残るのは、「うらみ」や「苦痛」だけなのでしょうか。こころの奥のかたい扉の奥に封印した「過去」が破られるのでしょうか。『足跡』は、「思念」だといいましたが、やはり叶えられ
なかった「夢」の残像なのでしょうか。

私は、四国八十八ヶ所札所のほぼすべてに、柄杓を奉納しました。お参りの度に数本ずつ持参し、手洗い場に置きました。数年後に再度お参りしたとき、自分の柄杓を発見したときのうれしさは、例えようもないものです。自分の奉納したものが、皆さんのお役に立っている実感です。でも、その後、数年して訪れると、まったくもう自分のものがありません。また、小学校のときと同じ思いです。

札所では、お参りの納め札というものがあります。自分の名前や住所、願いなどを書いて、本堂前の「納め札」入れに入れます。4回目までは、白。50回超えたら金のお札なんですよ。やっぱり、自分が、今日ここにお参りに来ましたという証拠札。江戸時代などは、木の札や銅版に名前を刻んで寺の柱に打ちつけたらしいです。だから、お参りすることを打つというようです。

『足跡』の中には、残したいものと、残ってしまうものとありそうです。自分の過去を振り返って、ある種自己満足としての「足跡」を辿る快感。自虐的に自分の辛い過去を吐露することによって、「懺悔、贖罪」を得ようとする罪悪感。消そうとしても、蘇ってくる痛み。どうしようもなかった後悔。

しかし、「懺悔・贖罪」すれば、「痛み」の記憶が消えるのだろうか。

おもしろいのは、人というものは、「痛い」と思う場所は一つらしい。何箇所か傷ついても、一番痛いところしか痛くないらしい。心もそうかもしれない。一番「辛い」、「痛い」思い出しか、痛くないのかもしれない。うまくできている。だとしたら、より小さな歩幅で「足跡」を見ていかないと、その遍歴が確認されない。

そして、その「残留足跡」をきちんと残していかないと、『足跡』帖にはならない。私は、20年を一つの区切りとして、過去を振り返っている。どうやら、その前後も入れれば、人生の変化がその周期で変わっていくように感じられる。

20歳まで(正確には、22歳)。学生生活が中心で、過去を振り向くこともなく、がむしゃらに(一喜一憂しながら)過ごしてきた。20歳の誕生日に、一人で霞ヶ浦まで行って、散策していた。虫歯が痛くて、顔が変形していたのに、(通院費がなくて)、でもその痛みこそが、生きている証だとうれしくて。歯医者の待合室で聞いたクラシックが、いまだに歯痛にうずく気がする。

40歳前、仕事に就き、家族を持って、またまたがむしゃらに生きてきた。紀伊半島のすべての磯で釣りをして、土日も仕事や遊びでした。

38歳から57歳までで、8回の転勤をして、誰よりも無理難題に直面し、そのかわり誰よりも素敵な思い出も。そんななか、もう9年も前から、平行して「懺悔」も始まって、四国を彷徨いはじめました。

20歳の孤独から、気づかずに40年。たくさんの人との交流があって、そしていままた一人になろうとしています。家族は、系図のごとく増えていき、その頂点こそ自分となって、また血が受け継がれていくことでしょう。そんな、変遷こそが、「足跡」なのでしょうか。それは、「残留思念」ではなくて、「思い出の懐古」にすぎなくて。

『足跡』とは、「系図」であって、そのときそこに確かにいたことの「証」なのではないか。そして、その事実は、抹消できるものではなく、「過去」としてあまりにも「確かなもの」であろう。「化石」となって。だからこそ、「そのとき何を考えていたのかがわかる」のだと思う。


一人の、なんのとりえもない老人が、四国の遍路道を歩いている。そして、ぬかるみで足跡が残った。でも、次の雨の日には、その足跡が消えていく。また次の遍路が、そのぬかるみに足跡をのこしていく。足跡は残らないが、道は残っていく。遍路は、道を歩くたびに、昔の遍路たちが何を思って歩いていったのかを知っている。

「何をおもっていたか」、「何を考えていたか」は、実は大きな問題なのではなく、その「足跡」を見た自分が、「何を思うか」なのでしょう。

何万年の時を過ぎても、、その時の流れの中で、「化石」だけが残っていって。釈尊が入滅してから56億7千万年後に弥勒菩薩が現れて、現世の衆生を救ってくださるのなら、その間、私たちは自分の『足跡』に怯え、おののき、苦悶しながら、過ごすのですね。だからこそ、その価値に意味がないという解釈が生まれたのでしょうか。

般若心経には、「今の世界に存在するすべてのものは、実体がない。生れたということもなく、滅びたということもない。汚れたものでもなく、かといって清いものでもなく、減ることもなく、増えることもない。 実体がないということにおいて、目の前の具体もなく、感覚もなく、見えるものでもなく、思いもなく、意味もない。 何も見えなく、何も聞こえず、何も匂わず、舌にも感じず、感触もなく、気持ちの浮き沈みもなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触るものもなく、思うものもない。また、さとりの果てが来ることもなければ、迷いが消えてしまうこともない。こうして、老いも死もなく、老いと死がなくなることもない境地にいたる。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをおさえることも、苦しみに耐える道もない。知ることもなく、得ることもない。」 と教えている。

大師は、「わたしたちは生まれ生まれ生まれ生まれて、生のはじめがわからない。死に死に死に死んで、死のおわりをしらない。」と諭す。

ただ、残るのは、そのものが残した『足跡』だけなのであろう。矛盾しているようであるが、『足跡』は、「残留思念」ではなく、「過去」として揺らがない確かなもの。揺らがないもの。消えもせず、生まれもせず、痛まず、溺れず、望まず、悲しまず。否定も肯定もできないもの。過去の『足跡』だけなんでしょうね。

■無常3部作 1.『人は、なんで生きるのだろう?』
        
2.「無常ということ」
         3.「足跡考」