「梵天勧請」について

釈尊は、自分が悟った教え(法=ダルマ)を、「悪魔たちの勧誘や恐怖に打ち勝って」その教えを広め始めたのみならず、「神」からの懇請によるものであると伝えられる。その代表的な逸話は、「梵天勧請」である。




 釈尊は、悟りを開いて49日間悟りの楽しみを味わった。しかし、そのダルマを衆生に説くかどうかを逡巡する。(独覚)

「わたしのさとったこの真理は深遠で、見難く、難解である。・・・人々には、縁起という道理は見難い。」(『サンユッタ・ニカーヤ』、『大パーリニッタ経』にも)
 「この人々は、執着の対象を楽しみ、執着の対象に泥み、執着の対象に喜んで、この境地を見ることは難しい。」「他の人たちがわたしの言うことを了解できないとすれば、それはこのわたしの疲労だ。それはこのわたしには有害だ。」『サンユッタ・ニカーヤ』及び『律大品』
 そして、世尊の心は、説法に向かわず、無気力へと傾いた。


その時、梵天が登場する。本来、梵天は仏教 以前には絶対神「ブラフマン」である。ブッダの時代には、世界の創造・支配も司る最高の神とされていた。その神「梵天」が、ブッダの心の迷いに対し、請願 するのである。



「願わくはこの甘露の門を開け。/無垢なるものの覚った法を聴け。」

『律大品』では、三度梵天が請願し、「そのとき、世尊は、梵天の要請を知り、衆生への憐れみによって、仏願によって世間を観察した。」有名 な「青蓮、紅蓮、白蓮」の三蓮の話。
「衆生には、汚れの少ないもの、多いもの、能力の優れたもの、弱いもの、姿の良いもの、悪いもの、教えやすいもの、にくいもの、そのなかには、あの世と罪とに恐れを見て生きているものたちと、見ずに生きている者たちがいるのだ。」


ブッダは、娑婆主梵天に詩で答えた。「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた。(おのが)信仰を捨てよ。」と、説法の決意 を告げる。ここに、「初転法輪」への、ブッダの決心がある。

この「梵天勧請」について、羽矢辰夫氏は、『ゴータマ・ブッダ』において次のような解釈をする。「この逸話は、ゴータマ・ブッダの心理的葛藤を神話的に 表現したものであるというように解釈され」また、「当時は新興宗教であった仏教としてみれば、最高神の名前を借りて、みずからの立場を権威づけたいという 気持ちがはたらいていた」と述べている。「さとり―逡巡―説得―翻意―説法」というシナリオ。さらに、上記のシナリオの初めに、ブッダが生まれたときから、「神」の祝福と、「魔」による妨害があったし、「四門出遊」、「出家」、「苦行」時にも 「魔」=「苦悩」「迷い」があったに違いない。原始仏典は、それらをすべてブッダの目覚めのための、荘厳な出来事として、尊さに 対する脚色を大事にしたのではないだろうか。

高崎直道氏は、『仏教入門』で、「ブッダにとって、その悟りによって世の人びとの悩みを救うことこそが、本来の目的」であり、「悟りは『自利』であるが、説法を通じて『他利』となる。」という。

しかし、のちの大乗仏教の考えからすれば、ある意味で完全無欠な釈尊=ブッダの汚点ともいうべ
きものとも解される。この「梵天勧請」を大乗的な視点で見直すと、『首楞厳三昧しゅりょうごんざん
まい経』の中に「発心」に関して長老マハーカッサバの言葉に、
「わたしたちにはどの衆生に菩薩の機根があり、どの衆生に菩薩の機根がないかを判断する智慧が無い。わたしたちはこのようなことを知らないために、あるい は衆生に対し軽んじる心(軽慢心)を生じ、そのことで自ら傷ついています。」とある。
さらに、その言葉を受けて、ブッダは、カッサバに次のように言う。
「人はみだりに人を評価してはならない。・・この因縁をもって、もろもろの声聞と余のもろもろの菩薩は、もろもろの衆生に対して「仏想」を生じるべきである。」と。
 まさに、大乗仏教からみれば、初期仏典における「梵天勧請」伝は、大きな「汚点」ととらえたものと言える。本来、初期仏典における「梵天勧請」は、世尊の 転法輪をドラマ化する大きなセレモニーとしての逸話であった。新しい教えを古くからの信仰の対象であった梵天が認め、世に送り出すエピソードであったが、 大乗的見方からすれば、「ブッダが覚りを開いたばかりの時、世間を見渡し、衆生の能力を見て、理解できるものがないからという判断に立って、説法を躊躇し た」という故事だととらえたのである。

 大乗仏教が、かなり早い時期から意識され、経典として発展する過程で、『法華経』や『華厳経』などには、さらに二回目や三回目の勧請が語られ、「釈尊」が主体で、悩み決意した説法という観点が、大乗では 「梵天」が勧請したのみならず、「シキン大梵天」が勧請し、帝釈天を含む諸神勧請、さらに菩薩による勧請まで語られる。初期仏教伝の中での、釈尊が衆生を疑ったという、大乗的には許されざる部分を、すべての衆生が請願したという伝承に変えることによって、より普遍化した教えとさせていったものと思われる。


※参考資料
『仏教学の基礎1インド編』大正大学仏教学科
『ブッダの伝記』谷川泰教 高野山大学
『仏教入門』高崎直道 東京大学出版会
『ゴータマ・ブッダ』羽矢辰夫 春秋社
『原始仏典』中村 元 ちくま学芸文庫
『仏教』渡辺照宏 岩波新書
『仏教入門』三枝充悳 岩波新書
『ブッダ』手塚治虫 潮出版社