四国遍路と弘法大師信仰について
 
 四国遍路の成立については、すでに平安時代後期までにはその原型や「へんろ道」ができていたと推察される。(『今昔物語』、『梁塵秘抄』などの文献から)また、11世紀頃から度重なる飢饉や災害の中で人々が末法思想や来世への渡岸を願う「補陀落渡海」信仰などから、四国もまた「約束の地」としての意味を持つようになった。
 主な理由は、@補陀落信仰、A弘法大師への思慕、B諸山をめぐる行道修行としての道として、初期高野聖と後期高野聖の活躍などが挙げられる。

@ 日本における『補陀落信仰』とは、
 『華厳経』の「入法界品」における観音信仰に起因し、日本では、栃木県の二荒山や山形県の月山、和歌山県の那智には、補陀落へ行く為にその住職が小舟で沖に向かう「補陀落渡海」という習俗まであったという。鎌倉・室町期、本当のインド補陀落の浄土をめざして補陀落渡海が流行し、渡海の拠点となったのは、熊野那智山や室戸岬、足摺岬などであった。※(1)
多くの文献や伝承があり、四国は「死国」としての補陀落浄土へ近道であったと言える。真に「補陀落浄土」への到着を願った生きながらえそのまま往生する「即身成仏」の信仰だったのではないか。

A弘法大師への思慕
 人々が「弘法大師」を知るのはいつごろ、誰によって知らされたのだろうか。いわゆる「大師信仰」が芽生え発展していく中で、四国が果たした役割と価値を検証する必要がある。大師信仰といわれる形態
には、1.大師伝説、2.高野山信仰、3.入定信仰、4.厄除け大師信仰、5.遊行大師信仰などいくつかの要素が混在しているが、すでに西行を代表する「空海」の追体験をする遊行僧たちから、諸国を放浪し「乞食」して暮らした「高野聖」まで、多くの「稀人」によって、情報の乏しい地方の庶民たちに、「大師の奇跡譚」や「高野山入定信仰」などがまことしやかに(信仰心をもって)広がっていったものと推察する。
 入定伝説を基にした「奇跡」や「ご利益」などの現世利益的民間の信仰に根差し、また常に身近に存在するという親近感こそが、大師信仰の基礎であり、その活動場所こそが生誕の地(讃岐)、若き日の修業の地「四国」であった。

B諸山をめぐる行道修行としての道としての「お四国」
初期高野聖たち宗教者や熱心な僧侶たちによって、日本のあらゆる地方にも浸透していった「大師信仰」と「高野山信仰」。そうして、やがてその修業の地が「四国」に特化されていく。
僧侶や修行者が解釈した「浄土(兜率天)」信仰としての高野山は「兜卒天」という浄土、弥勒菩薩信仰である。まさに「兜率天」としての高野山に弥勒菩薩として「大師」がいて、現在もなおそこから衆生世界である「娑婆」(四国)に時折「下生」していると解釈すれば、大師への思慕は一層現実味を帯びてくる。それがまた、いまなおお四国を修業し、山野を駆ける「お姿」を生んでいくのであろう。(※2)
 古く日本が原始神道からの山岳信仰を持ち、そこに仏教(特に密教)が融合されていく中で、神にまみえる行と仏教修業としての自らを極限に追い込んでいく荒行が、「道(行者道)」や「場(道場)」を作っていったと考える。やがて、鎌倉期になり庶民により強い厭世感や末法思想が浸透し、安易な信仰を求める傾向の中で、一部僧侶や行者のみでなく、庶民自らが「信仰(仏教)」を求め、より実践的な行為として、伝承されてきた「大師」との出会いを求めるものへと変化していった。庶民にその知識や信仰を情報としてもたらしたのが、後期高野聖たちであった。大師への追体験として、また切なる現世利益、障害や病気からの解放を願い、行としての「苦」を求める「お四国」は、江戸期には定着していったことは、想像に難くない。
 そして、今もなお脈々と語り継がれている「大師の奇跡」譚。全国にある大師にかかわる説話のなかでも、やはり四国遍路道上におけるその数は、膨大で、今も大師は生きておられると信じる人々によって、存続し続けているのである。


 注釈
※1、『発心集第三−五』「或る禅師、補陀落山に詣づる事賀東上人の事」。新潮日本古典集成本「讃岐の三位という人の乳母の夫なる人は、・・、 土佐の国に知る処ありければ、行きて、新しき小船一つまうけて、ただ一人乗りて、南をさして去りにけり。」
『良寛続編地蔵菩薩霊験記』(古典文庫)
長徳三年ニ、賀登上人阿波ノ国ヨリ来テ、・・後ニノコル御弟子達、足ズリヲシテ哀ミケリ。ソレヨリ彼トコロヲ、足摺ノ御崎トハ申也。人皆所願アラバ、先地蔵菩薩ニ祈リ奉ルヘシ。

※2、『下生経』 この国は転輪王という王が治めている。その城中の、妙梵と梵摩波提という婆羅門の夫婦に、弥勒は生を託して生まれた。成長した弥勒は、世の五欲が患いをいたすことを感じ、出家して道を学び竜華菩提樹の下に座した。時に諸天龍神は華香を雨と降らせ三千世界はみな震動した。


参考文献
 『遍路学』         加賀美智子他 高野山大学
 『四国遍路の宗教学的研究』    星野英紀  法蔵館
 高野山大学選書第4巻『「高野山の伝統と未来』 「高野山の宗教活動」蓮華定院住職 添田隆昭


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