へんろ道と地域住民                              H25.2.6

 ○35番へ向かう途中、保育園を左に少し行くと、車道から右に村の中に入る道があります。
道しるべのへんろ板、赤い矢印が消えています。実は、私赤いマジックを携行しています。
赤い文字や矢印が薄い所を、ずっと塗り直しながら歩いています。

 今回は、どうやら矢印が、白いインクで消されているようです。少し悩んだのですが
赤く塗り直すことにしました。塗っていますと、後ろからおじさんへんろさんがやってきて
「ありがとうございます。どうも地元のものに、おへんろを理解しないものがいる。
わたしは、へんろ文化をまもる団体に入っている。ふがいない。」と怒り出す。どうやら
地元高知の方らしく、受け入れる住民への御不満が、あるらしい。

 私は、地方からお四国に来て、また発想の根源は、へんろ側にあって、通過する
へんろは、決して地域住民にご迷惑をかけてはいけないとも思い、また、後に来る
お遍路さんの便利のために、なにかお手伝いができたらと考えて、いままできました。

 その方は、地元の方で、へんろ文化をご支援されながらも、地元へのご批判をされる
方と初めて会いました。

 へんろ道は、時に街道であったり、山の近道であったり、村の中の道です。
そして、またそれぞれの村の成立とも深くかかわっています。

 村落は、荘園制の発展とともに一つの集団生活の場として成立していくのでしょうか。
同じ条件を持つ人々の共同体として成立していきます。そのほとんどは、田畑の開墾
や、林業、漁業の場です。おそらく鎌倉・室町時代には共同体としての組織だてが
なされてきたのでしょう。

 また、戦国時代以降、落ち武者部落や放浪者・流浪人たちの集団生活場など
特殊な成立もあったでしょう。江戸時代には、被差別の人たちの村もあり、お墓を
守ったり死体処理の人たちが、集まったところもあります。城下町や門前町にも
武具や仏具などの製造者が集まったところも。

 そんな、村落の中もまた、遍路道として発展して行ったに違いありません。
 現代でも、村落によっては、遍路を拒絶し、道しるべの張り紙1枚もないところも
あります。あの保存協会の「ひとり歩き」地図も、地元から遍路道の記載を削除する
要請があるようです。あたらしい住宅街の人も多いようですが、歴史が物語る
へんろ拒否の文化もまた、理解しなければならないはずです。

 室町時代に発達した村落共同体の文化では、「稀人(まれびと)」信仰などと
民俗学などでは呼びますが、日常の生活に突如入ってくる「よそ者」を大事に
する考えがありました。障害を持って生まれてくる赤ちゃんや精神障害の人を
村では、「神様」もしくはその使者として、共同体全員で大事に育て見守ってきた
歴史があります。村の境界外からやってくる「他所者」も、情報や別文化をもたらす
大事な客だったのです。しかし、やがて個人所得に時代になり、集団が壊れていくと
それらの人々を、「迷惑者」、「生活を脅かす存在」と解釈されるようになってきます。

 都市化された社会(日本のほとんどの地域)では、すでに「他所者」は、警戒すべき
対象であって、決して挨拶したり、ものをやり取りしたりしてはいけない「危険人物」
なのです。
 
 お四国に残っている「お接待」文化を、受ける方も、する側も、お世話される関係の
みなさんも、寺社・行政のみなさんも、やっぱりさらに、ともに気遣いながら、大事に
保持していきたいですね。


 ○17号須崎のヘンロ小屋。 いろいろ張り紙があって、雑誌などもある。

 見覚えのある過激な宗教団体の冊子。どうしてこんなところにあるんだろう?
壁の張り紙。「告」とあって、休憩しているおへんろさん相手に、団体の人が寄ってきて
勧誘するそうです。「無視するのが、一番」なんて書いています。

 数年前、この団体に所属している若い非常勤講師が、生徒を勧誘し、仲間の店に
呼び出して、複数で支部に連れて行って、入会書にサインさせて、とても困ったことが
ありました。八方手を尽くし、脱会させて、その講師を解職しました。私にも、何度も
この冊子が送られてきました。やめた後も、親にまで勧誘に付きまとって、最後は司法
です。

 日本の文化が独特なのかもしれませんが、信仰の寛容性(トレランス)については
わたしは、誇るべきものがあると思っています。仏教伝来から道教や儒教、キリスト教。

 開国以来、世界中の宗教が日本にあると言われます。また、解釈によっては、日本では
宗教戦争は、一度も起こらなかったという人もいます。おおらかな国民性?神道が、
アニミズム系であったことから、全ての存在にその神性をみとめられたのでしょうか?
決して「排他的」な発想を抱かない。それが、日本の信仰の「寛容性」だと思います。

 だれかの著作に、あたかも血液型の異なる胎児を、お腹に宿す母胎のように、
異なるものを、互いに認め合う寛容性こそが、『免疫』である。という内容の部分があります。
相手を拒絶し受け容れないのではなく、相手と自分との違いを認め合い、互いに害すること
なく共存すること、こそが宗教のみならず、これからの共同体、国家、国際交流での
要点だと思います。