空海の弟子たち
高野山壇上伽藍 御影堂 (旧御影供の日だけ見られます。)
十大弟子 実慧(じっけい) 786-847 830年空海から東寺を受け継いだ。
真済(しんぜい) 800-886 25歳で伝法阿闍梨。「性霊集」をまとめた。
真雅(しんが) 801-879 空海より27才年下の実弟。
道雄(どうゆう) ?-851 東大寺華厳宗七世。京都海印寺。
円明(えんみょう)?-861 東寺4東大寺別当。高野山開創にも従事。
真如(しんにょ) ?-865 嵯峨天皇皇太子。高齢で唐に向かい入寂。
杲隣(ごうりん) 767-? 高野山修禅院。伊豆修善寺、京都修学寺。
泰範(たいはん) 778-? 最澄の愛弟子。高野山開創に尽力。-
智泉(ちせん) 789-825 空海の姉の子。岩船寺。
忠延(ちゅうえん)?-837 摂政藤原忠仁の子?
高僧 聖宝(しょうほう) 832-909 理源大師。醍醐寺草創。
仁海(じんかい) 951-1046 小野流始祖。随心院。
中世以降の流派
小野派 真雅の門下源仁(げんにん)の弟子・聖宝(しょうほう・理源大師)の流
れをくむ流派
観賢、淳祐、元杲、仁海 仁海が京都小野に曼荼羅寺を建立し、小野派と呼ぶ。
広沢流 源仁の弟子・益信(やくしん・本覚大師)。寛空、寛朝
寛朝が広沢に遍照寺を建立した。
真義真言宗
1095-1143 覚鑁(かくばん・興教大師)真言宗中興の祖。広沢六流のひとつ「伝
法院流」を興した。高野山大伝法院。根来寺。頼瑜(らいゆ)は新しい宗派「真義
真言宗」を開く。
高僧 文覚(もんかく)1139-1203 京都神護寺を中興。
叡尊(えいそん) 1201-1290 真言律宗の祖。蒙古襲来の調伏祈祷。西大寺。
忍性(にんしょう)1271-1303 真言律宗。関東鎌倉の極楽寺。
「別所」
弘法大師信仰が盛り上がり、多くの往生念仏衆があつまり、「別所」を作る。
高野聖たち。
1500年代(室町時代後半から安土桃山時代)
織田信長の高野山包囲。豊臣秀吉の紀州攻め(根来寺消失)、
木食応其(もくじきおうこ)1537-1608
京都仁和寺で阿闍梨。秀吉の高野山攻撃を止め、後に秀吉の帰依を受けて、
高野山諸堂、各地の寺院再建。
智山派と豊山派
1585年秀吉の根来寺襲撃時、学頭だった玄宥(げんゆう)と専誉(せんよ)が、
京都智積院と奈良長谷寺に移り住んだ。
江戸時代
徳川家康の保護を受けた智積院、徳川綱吉の帰依を受けた長谷寺。
明治時代
「廃仏毀釈」により、仏教寺院は大打撃を受けた。さらに明治政府によって、
高野山と東寺が古義真言宗、智積院と長谷寺が真義真言宗総本山にされた。
太平洋戦争時
「大真言宗」としてすべての流派が一つにされた。
現在
数多くの流派が、それぞれの道を歩んでいる。