四国八十八ヶ寺 ご詠歌 一覧


[ご詠歌とは] 

  「高野山真言宗  檀信徒必携」 著者、新居祐政  発行 高野山真言宗教学部

ご詠歌の起源は古く、花山天皇が観音霊場の西国三十三ヶ所を再興された当時から、
巡礼讃仏歌として歌われて来たようです。昔から日本人の心の底に「父母の恵みも深き
粉河寺」と西国を回る巡礼者の声とともに、流れ続けてきたのがご詠歌の調べであり、
心の歌でした。仏様の教えと日本人の美しい心が、ぴったりと一つになった音律と歌詞
は日本の国の美しい自然に和して、伝えられて来たのです。このようなご詠歌の伝統を
元にして、大正15年4月、金剛流のご詠歌が集大成され、高野山に金剛流総本部が設立され
ました。ちょうど、その時は弘法大師1100年御遠忌大法会の10年前にあたり、昭和9年
の御遠忌に向かって大師信仰を広め、大師の慈徳を奉讃し、報恩の心を捧げるご詠歌として
全国は勿論のこと海外にまで伝わったのです。(中略)

 また、その名が示すとおり、金剛流とは、金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の諸仏の供養と
礼拝行を理念としているものであり、単に美声で歌うものではなく、真言密教の深い哲理を平易
に私たちに教えてくれるものがあります。一方、お大師さまのご生涯と御高徳は私たちには計り
知れない深いものがありますが、その偉大なるお徳に身近に触れさせていただくことができるのも
ご詠歌によるものと言えます。

 金剛流の指導の原理は曾我部流祖がお書きになっているごとく「信修(しんしゅ)は讃歌の
先、礼拝は供養の後」ということです。ただ、ご詠歌を唱えるということではなく、歌う前に
お大師様の救いを信じ、教を修行することが優先されなければならないということ、今一つは
仏様を拝む前には仏前の供養荘厳を整えてから礼拝し、読経、ご詠歌をお唱えするという
本当の信仰の形を整えるものであります。

 金剛流のご詠歌はそのまま、即身成仏への成佛道であり、身体と言葉と心を整える所のもの
であり、金剛歌菩薩の三昧に入る覚りへの道を体得するものです。
それとともに、曼荼羅の理念を現実のものとして、人々に相互供養・相互礼拝の実践をお勧め
するものであり、この世に曼荼羅の世界すなわち「この世に仏の国を作る」お大師さまのお心
にそう信仰であります。     (資料提供は、おここさんです。)


[八十八箇所霊場のご詠歌]

 四国霊場のすべての寺院には、ご詠歌があります。これは、おそらく遠い時代から
 お参りの人々に読まれ、語り継がれているものです。

 ものの本には、江戸期にもお経は難しく民衆にはなじみが浅かったのでしょうか。
 明治の「道中記大成」中務茂兵衛に、お参りの作法として、
 三帰三竟十三真言大師宝号光明真言回向文、その札所のご詠歌三返 とあります。

 おそらく、お経(今日での般若心経)の代わりとして参拝者全員が唱えたもののようです。

 技巧的には稚拙なものが多いのですが、その内容は宗教的な意味で、万葉集の分類では
 「雑歌(ぞうか)」に属する公式の歌ですね。大衆には、分かりやすくありがたいものであった
 ようです。
 少しだけ、注釈をと思います。現代語に全訳してもありがたくないですからね。

1番 霊山の 釈迦の御前にめぐりきて よろずの罪も消えうせにけり
  やっとの思いで四国巡礼に来た喜びと、それまでの苦悩と決意の喜びは
  それだけで「すべての罪」が消えていきそう、消えてしまったことです。
2番 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口癖にせよ
  巡礼の間は、ひたすら「南無・・」一心にという教え
  極楽寺。
3番 極楽の宝の池をおもえただ こがねの泉すみたたえたる
  極楽浄土の様子にも似た寺院の有様ですね。
  金(こがね)泉(いずみ)寺。
4 眺むれば月白妙(しろたえ)の夜半(よは)なれや ただ黒谷に墨染めの袖
  色合いの技巧に出家身と清浄な月の対比。自然を感じる境地ですか。
  へんろの白装束。僧(大師)の黒染め姿。
5 六道の能化(のうげ)の地蔵大菩薩 導きたまえこの世のちの世
  地蔵寺のありがたさ ひたすら帰依し 仏にすがる
  地蔵菩薩はあらゆる世界(六道)に現れて、衆生を救います。
6 かりの世に知行争う無益(むやく)なり 安楽国の守護をのぞめよ
  知識や名誉は無意味 ただ無垢なこころにて祈りなさい
  安楽寺の名前を読み込んで。
7 人間の八苦を早く離れなば 至らん方は九品十楽(くぼんじゅうらく)
  八苦の海に沈む衆生に 浮かぶ瀬ありとの勇気を与えて。
 8.9.10の数字技巧ですね。「離れなば」=もしも離れたならば。
人間の持つ八つの苦しみ(飢、渇、寒、暑、水、火、力、兵)からのがれ極楽浄土の十の光明に
輝く楽しみが得られます。
8 薪(たきぎ)とり水熊谷の寺に来て 難行するも後の世のため
  巡礼に来て苦行を耐える気持ちを後世に頼む思い
  水を汲むとクマがやの語呂あわせ。
9 大乗の誹謗(ひぼう)も科(とが)もひるがえし 転法輪の縁とこそきけ
  仏涅槃の寺 仏像をあがめる大乗 初転法輪はブッダの目覚め。
  法輪寺ですから。仏はあらゆる姿で、衆生の前に現れます。
10 欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる
  貧・瞋・痴は心の迷い ふっきる勇気を もたないと
  欲を切ると切(きり)幡寺
11 色も香も無比中道(むひちゅうどう)の藤井寺 真如の波のたたぬ日もなし
  迷いを失くす強い気持ち。いつも信心の心は、尽きません。
  不尽(ふじん)と藤(ふじ)の掛詞。
12 後の世をおもえば恭敬(くぎょう)焼山寺 死出や三途の難所ありとも
  難行苦行(くぎょう)とは、越えること。へんろころがしの後は、爽快。
  恭敬(くぎょう)と苦行。
13 阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世
  生まれ変わった自分に 清々しくも祈りの経を。
  「ゆう」は言うと夕。たすきを「掛け」ると「懸ける」。
14 常楽の岸にはいつか至らまし 弘誓(ぐぜい)の船に乗りおくれずば
  きっと到着するに違いない 四弘誓願を心に刻んでいるならば
  常楽寺のお庭は流岸です。船は、岩=岸からの発想。
15 うすく濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死(るてんしょうじ)の秋のもみじ葉
  国分寺。お薬師の12大願に。人生の色はまだら(曼荼羅)なのでしょうか。四苦の色。
  濃く=国(こく)。「分け」は国分寺の分。
16 忘れずも導き給え観音寺 西方(さいほう)世界 弥陀(みだ)の浄土へ
  光明真言の印をいただき あたかも弥陀浄土にいるがごとし
  「忘れないで」です。「も」は強調。「わすれしも」だったら「わたしがわすれて
  しまったとしても」なんですけどね。
17 面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかや落ちなん
  面影の井戸は 今も衆生を映し 垢(あか)は閼伽水(あかみず)とならんことを。
  井戸寺。「結ぶ」は、「手ですくう」。閼伽水はお供えの水。
18 子を生めるその父母(ちちはは)の恩山寺 訪(とぶ)らひがたきことはあらじな
  女人禁制だった寺。決して訪れられない寺ではないはずだよ。
  お大師さまが母を迎える修法をして。「あらじな」=決してないことだなあ。
19 いつかさて西の住まいのわが立江 弘誓(ぐぜい)の舟に乗りていたらむ
  関所寺 四弘誓願に誓いも新た。補陀落の思い、いざ出発!
☆『四弘誓願』(しぐせいがん)
     1.衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
           私たちは未完成だけれども、たくさんの人が幸せになれるように勤めます。
     2.煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
           尽きる事のない煩悩ですが、できる限りなくしていきます。
     3.法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
           釈迦様の教えは無限に深いですが、そのすべて学ぶよう勤めます。
     4.仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
           最上の悟りを得て、仏様と同レベルに達するまで行を積みます。
20 しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
  鶴が運んだ金の地蔵。帝釈天に守られて。お大師さんがそこにおわすか。
  鶴林寺。山門は、二羽の阿吽の鶴。
21 太龍の常に住むぞや げに岩屋 捨心聞持(しゃしんもんじ)は守護のためなり
  虚空蔵求聞持法の捨心岳。龍に守られて、大師は山になにをご覧に。
  宇宙の声が聞こえ、すべての智慧を理解できるようになります。
22 平等にへだてのなきと聞くときは あら頼もしき仏とぞみる
  平等寺。善男善女に 仏はあまねく そのご威光をふりそそぎます。
  「あら・・・ぞみる」=なんと頼み甲斐のある仏様なのでしょうか。
23 みな人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬を与えまします
  お薬師さまは、心の病にも 瑠璃光世界に誘い、安らかにしてくれます。
  厄除けの階段。すべての段には薬師経が埋まってる。
24 明星の出でぬる方の東寺 くらき迷いはなどかあらまじ
  求聞持堂、みくりど。大師の明星は室戸の海に今も輝きます。
  「などかあらまじ」=どうしてありましょうか。絶対にありません。の意。
25 法(のり)の船入るか出ずるかこの津寺(つでら) 迷うわが身を乗せて給えや
  はるか補陀落への船出 一心に。迷いのこの身、乗せてください。
  補陀落渡海は、土佐や紀伊を中心に。船乗りは、板子一枚下は地獄です。
26 往生に望みをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空
  東はお薬師。西は阿弥陀。極楽往生は、すべての衆生に。 
  24番最御崎寺は東寺。26番金剛頂寺を西寺。
27 みほとけの恵みの心神峯(こうのみね) 山も誓いも高き水音
  ご聖水湧く神峯寺。不動明王のご加護のもとに、み仏の教えを請う気持ち。
  神(こう)=請う。
28 露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みをはこばざらまし
  大日の御光は、あまねく輝き どうしてもお参りしたいものです。
  「などか・・・ざらまし」=どうしてお参りしないことがあるだろうか。  
29 国を分け宝をつみてたつ寺の 末の世までの利益(りやく)のこせり
  格式高い国分寺。現世利益のお薬師様。おん ころころ ・・
  「国を分け」は、国分。国宝=千手観音、脇侍不動明王、毘沙門天、行基作
30 人多く立ち集まれる一の宮 昔も今も栄えぬるかな
  阿弥陀さん。万衆の賑わいは、永久に尽きません。
  一宮は、神社も寺も格式がちがいます。神仏習合の場。
31 南無文殊 三世(みよ)の仏の母と聞く 我も子なれば乳(ち)こそほしけれ
  文殊菩薩は、過去・現世・未来に智慧(ち)を与えて欲しいものです。
  乳=父=智。三つの掛詞ですね。
32 静かなる我がみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は法(のり)の早船
  眼下に土佐湾。補陀落渡海の寺。深く三宝を信じ、こころ静かなり。
  法は、仏のおしえです。                             
四諦。苦諦 「人間の存在はすべて苦である。それから逃げ隠れしないで、その苦の実体を見つめよ」
集諦 「苦の起こった原因を探求・反省し、見極めよ。」
滅諦 「苦の原因である無智と煩悩を見極めれば、智慧の光りに照らされる。苦を滅した安穏の境地は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三大真理を悟ることによって始めて達せられる。」
道諦 「滅諦に至る道は、八正道、六波羅蜜を行ずることである」
33 旅の道 うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月
 たとえ飢えたとしても、幸福です。後の楽しみは有ります。
うえ=飢え、上  高福=幸福
34 世の中に 蒔ける五穀の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり
大師の播かれた五穀の種が、衆生を救います。
35 澄む水を 汲むは心の 清瀧寺 波の花散る 岩の羽衣
丘陵の麓、清らかな湧き水に心も静かに澄んできます。
36 わずかなる 泉に住める 青龍は 仏法守護の 誓いとぞ聞く
不動明王。独鈷が舞い落ちた地。170段の石段を上がるそこが、龍の住む山。守ってください。
37 「六つのちり五つの社あらわして ふかき仁井田(にいだ)の神のたのしみ」
色・声・香・味・触・法(六塵)を五本尊によって救われ、深く新たな存在になる楽しみですね。祈りましょう。
※煩悩とは、自分にとって離しがたい、捨てがたい色・声・香・味・触・法といった6つの感情(六塵)と眼・耳・鼻・舌・身・意といった6つ感覚(六根といいます)のこと。六塵にはそれぞれ楽・苦・捨の三受(楽しい・苦しい・どちらでもない)があり、六根にはそれぞれが物事に対し好・嫌・平の三種(良い・悪い・どちらでもない)があります。これらの感情と感覚すべてをあわせ六塵×三受+六根×三種で36の煩悩となります。そして、この36つ煩悩が、過去・現在・未来つまり三世にわたって生じるという考えから、 36かける3で108の煩悩となるとされています。
38 「ふだらくやここは岬の舟のさお とるもすつるも法(のり)のさだ山」
足摺はふだらくの岬。生きるも死ぬも法の定めか。問われます。閻魔さまの声に聞こえますね。
39 「南無薬師諸病悉除(しつじょ)の願こめて 詣る我が身を助けましませ」
おんころころ、無病息災の祈りを込めて、どうか助けてください。
「ましませ」は、「くださいませ」というとても丁寧な敬語。
40 「心願や自在の春に花咲きて 浮世逃れて住むやけだもの」
お薬師、阿弥陀、観音。心願成就。観自在。けだもの=人間?! 
41 「この神は三国流布(さんごくるふ)の密教を 守り給はん誓いとぞ聞く」
お稲荷神が、大師に法を守ると。
42 「草も木も仏になれる佛木寺 なお頼もしき鬼畜人天(きちくにんてん)」
牛に乗った大師が、玉を。生きとし生けるものすべてが救われる。
43 「聞くならく千手不思議の誓いには 大盤石(だいばんじゃく)もかろくあげ石」 
女神が残した大石も、千手観音の誓いで、軽くあげられます。
「ならく」=「きくところによると」伝聞の助動詞。
44 「今の世は大悲の恵み菅生山(すごうさん) ついには弥陀の誓いをぞ待つ」
大悲は阿弥陀如来。「すごうさん」=菅生山と「過ごそう」。ついには=最後には。阿弥陀48のご誓願。
45 「大聖の祈る力のげに岩屋 石のなかにも極楽ぞある」
大聖=弘法大師か。げに=本当に。穴禅定。せり割禅定。山そのものが、不動明王です。
46 「極楽の浄瑠璃世界たくらえば うくる苦楽は報いならまし」
たくらふ=比べる、比較するの意。衛門三郎ではないが、自分がこの世で受ける苦楽は因縁の報いのようだ。
47 「花を見て歌読む人は八坂寺 三仏じょうの縁とこそ聞け」
三仏は、阿弥陀三尊。衛門三郎の菩提寺です。役の行者、修行の地でもあります。
48 「弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ」
西林寺の阿弥陀様は、霊験すごくて、後ろ向きに安置されているとか。
49 「十悪のわが身を捨てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ」
十善戒すべて、捨てきれないこの身。それでも仏は許してくれます。「こそすれ」=特にそうすればいい。
空也上人の像が。ゆかりの地です。
50 「よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ」
何事も多忙でも決しておこたらずに、健康をいのりましょう。
51 「西方をよそとは見まじ安養の 寺にまいりて受くる十楽」
西方極楽は、よそごとと見てはならない。 寺参りしてこそ、十楽を受けることができます。
52 「太山へ登れば汗の出でけれど 後の世思えば何の苦もなし」
太山寺の参道は長いです。でも「後世」を願う気持ちがあれば、なんの苦労もありません。
53 「来迎の弥陀の光の円明寺 照りそう影は夜な夜なの月」 
月光は、弥陀のみ光。「影」=月の姿。月輪(がちりん)の中に、阿弥陀如来のお姿ですね。
54 「くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
今は延命寺ですが、53番と同じ名前だったんです。だからご詠歌も
曇ることなくすべてが明らかな鏡のご縁とお見受けすれば、すべてお姿を見せてくれるものだなあ」
55 「このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹(すいじゃく)」 
三島=見し間。南光坊は、大三島の神の別の宮であっても、同じように仏が別の姿でいらっしゃるだけです。
56 みな人のまいりてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ
泰山(たいさん)=退散(かえる) 来世に極楽成仏の引導を頼んでいることよ。
57 「この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏」
このお寺は、八幡宮別当寺。海難事故のお守り寺。阿弥陀様と勝岡八幡さま。
58 「立ち寄りて作礼の堂にやすみつつ 六字をとなえ経を詠むべし」 
龍女が一刀三礼して作った千手菩薩。六字は南無阿弥陀仏。
59 「守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり」
国分寺は、薬師如来の官寺。ますます私たちに恵みをくださいます。
60 たて横に峰や山辺に寺たてて あまねく人を救うものかな」
横峰寺。すべての人を救ってくださることだなあ。
61 「後の世を思えばまいれ香園寺 止めて止まらぬ白滝の水」
大日如来、子安大師の寺。聖徳太子建立とか。
62 五月雨のあとに出でたる玉の井は 白坪なるや一の宮かわ」 
伊予一国一宮の別当寺。小さいながらも由緒正しいお寺。
63 「身のうちの悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥を望み祈れよ」
くぐり吉祥天。七福神のお堂。金剛さったの秘密儀軌にも吉祥天で、息災・敬愛の福を祈る。
64 「前は神うしろは仏 極楽のよろずの罪をくだく いしづち」 
石鎚山の前神寺。横には石鎚神社。おやまには、奥前神寺。成就社。石の槌で罪を打ちくだけ!
65 おそろしや三つの角にも入るならば 心をまろく慈悲を念ぜよ」
不動護摩に、三角の護摩壇でする祈祷は、破魔・降魔!三角(さんかく)寺。
66 「はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今はふもとにぞみる」
雲辺寺は、すごい山の頂に。見渡すふもとは、観音寺市。
67 「植えおきし小松尾寺を眺むれば 法(のり)のおしえの風ぞ吹きぬる」
大興寺は小松尾寺。大師お手植えの三鈷の松。
68 「笛の音も 松吹く風も 琴弾くも 歌うも舞うも 法の声々」
琴弾八幡宮の山。有明海岸には「寛永通宝」。
69 観音の 大悲の力 強ければ 重き罪をも 引き上げてたべ
68番と同じ境内に。本尊観音菩薩。たべ=たまえ。
70 本山に 誰か植えける 花なれや 春こそ手折れ たむけにぞなる
本山寺。広い境内。五重塔。四国八十八寺中、唯一の馬頭観音。
71 悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 ただかりそめも 良き友ぞよき
なんも=たとしても。「いや・・・よき」=ほんとうにいいことだよ。たとえ一時の友人だとしても。
72 わずかにも 曼荼羅拝む 人はただ 再び三度(みたび) 帰らざらまし
曼荼羅寺。「ざらまし」=きっと・・ないことはない。
73 迷いぬる 六道衆生 救わんと 尊き山に 出ずる釈迦寺
大師捨身のとき、お釈迦さまが現れた出釈迦寺。天女が必ず手を差し伸べてくれるでしょう。
74 十二神 味方に持てる 戦には 己と心 兜(かぶと)山かな
甲山(こうやま)寺。薬師十二神将が、「己と心」を守ってくれます。山には毘沙門天も。
75 我住まば よも消え果てじ 善通寺 深き誓いの 法の灯し火
私が住んだならば、まさか消えることはないだろう。ここはお大師様の誕生の地。
76 まことにも 神仏僧を ひらくれば 真言加持の 不思議なりけり
役行者、多くの高僧を送り出した寺。
77 願いをば 仏道隆に 入り果てて 菩提の月を 見まくほしさに
道隆寺。願いを仏道に頼む。開眼の月を見たいがために。
78 踊り跳ね 念仏唱う 道場寺 拍子を揃え 鐘を打つなり
四国唯一の時宗の寺。踊り念仏、うちわ太鼓。
79 十楽の 浮き世の中を 訪(たず)ぬべし 天皇さえも さすらいぞある
崇徳天皇の棺があり、名前を天皇寺とした。「十楽」は極楽の意味。
80 国を分け 野山をしのぎ 寺々に 詣れる人を 助けましませ
讃岐国分寺。ましませ=助けてください。
81 霜寒く 露白妙の 寺のうち 御名を唱ふる 法の声々
白峯寺 はるか瀬戸大橋が見えます。
82 宵の間の たえふるしもの 消えぬれば あとこそ鐘の 勤行の声
根香寺 西行ゆかりの寺 五色台(曼荼羅五仏の山)
83 讃岐一 宮の御前に 仰ぎ来て 神の心を 誰かしら言ふ
地獄の釜の音が聞こえます。
84 梓弓 屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて 勇むもののふ
梓弓は 神に祈るものです。ビンビンとつるを弾きます。平家ゆかりの屋島寺。もののふ=兵。
85 煩悩を 胸の智火にて 八栗をば 修行者ならで 誰か知るべし
八=焼く。岩山の頂上には、お社が。 「ならで・・」=でなくて、いったい誰が知っているだろう。
86 いざさらば 今宵はここに 志度の寺 祈りの声を 耳に触れつつ
実は私も、この日はここ志度寺で打ち止めて宿に。明日は満願の日。
87 あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 秋の夜すがら 御名を唱えよ
本歌「あしびきの山鳥の尾のしだりおの」。「あしびきの山鳥の尾の」までが序詞。
88 なむ薬師 諸病なかれと 願いつつ 詣れる人は 大窪の寺
結願所。お薬師様です。

[補足]

 「ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる」  
この歌は今から750年前、天台宗比叡山の座主慈鎮和尚(別名慈円僧正)の作です。今も
高野山のご詠歌の第一番として唱えられていますね。今も生きて衆生済度されていると
伝えられるお姿を拝したい、即身成仏の実証を得たいと高野山に登られたそうです。そして、
そのお大師さまのお姿を拝され、その感激をそのまま詠まれたものだそうです。

 「南無大師遍照金剛」の御宝号は、平安時代中期、醐醍天皇より「弘法大師」のおくり名を
賜った真言宗長者観賢(かんげん)僧正(讃岐出身)によって初めて唱えられました。空海入定後86
年のこと。
86年後の延喜年間、醍醐天皇(そのときの天皇)の枕元に空海(一人の僧)が立ち、
 「高野山結ぶ庵(いおり)に袖くちて こけの下にぞ 有明の月」 という歌を詠んだそう
です。天皇は空海上人が今も衣の袖が朽ちる果てるまで衆生済度に生きておられる、その姿は
あたかも有明けの月のごとく世間の闇を照らしておられるとお気づきになられたのです。

醍醐天皇はすぐさま檜皮色(ひわだいろ)の衣を空海に贈ることにされ、空海の曾孫弟子にあたる
東寺の観賢にそれを託したのです。(当時、天皇の父君で、京都御室仁和寺を開かれた寛平法皇
『宇多天皇』と、観賢僧正は空海上人に大師号を賜るよう働きかけておられた) 観賢はその衣を
持って奥の院御廟に着いたとき、霧がかかって祖師の姿が見えない。観賢がひと目祖師にお目に
かかりたいと心に祈ると、霧が晴れ、そこに空海が姿が現した。見ると、衣は長い間取り替えられる
ことがなかったため、ボロボロになり、風が吹くと塵になって飛んでいきそうなありさまだったそうです。
観賢は空海の衣を新しい衣に替えたのです。このとき、石山寺(西国第13番)の僧侶である弟子の
淳祐(しゅんにゅう)を一緒に連れて行ったそうですが、淳祐にはお姿が見えなかったそうです。

 そこで観賢が淳祐の手を取り、暖かい空海の膝にそっと触れさせると、淳祐の手にはなんとも
かぐわしい香りが移り、その香りはいつまでも消えることがなかった。石山寺に戻った淳祐は、
その手で寺の経典を整理したり、多くの写経をしたのですが、その経典にもよい香りが移り、
いつまでも消えなかったという。石山寺では淳祐の経典を「薫の聖教」と呼び、大切にされています。

 衣を取り替えた観賢は、次に祖師の髪を剃ることにした。伸びた髪を慎重に剃刀で剃って
さしあげたそうです。そして観賢は「仏に仕える淳祐にも祖師のお姿が見れなかったのだから、
他の人にも見えないだろう。そのことで空海の入定が疑われるようなことがあってはならない」と
考え、まわりに石垣をめぐらして封印してしまったのです。以降、御廟には誰一人として入ることは
出来なくなったそうです。このとき観賢が使った剃刀は、彼の出身地の讃岐国に持ち帰ったそうです。
香川県高松市の郊外には*「剃刀塚」と書かれた石が建っているそうです。
  *これがどこにあるかわかりません。よく調べてないです。ごめんなさい(-_-;)
 
  十善戒のご詠歌

不殺生  なぐさみにものの命をとる人は、末々までも栄えざりけり
不偸盗  ひまぬすむ心は、人のもの盗む 盗みのわざとかわらざりけり
不邪淫  色欲はわが身のくさり心して、浮気起こさず しられもすな(してはいけない)
不妄語  夢だにもいつわり云(ゆ)うなもろ人よ 仏は常にしろししめすなり
不綺語  かざりごと云(ゆ)うてその場を通すとも 末は通れぬ極楽の道
不悪口  人々をそしりからかうひまあらば だらにそなえて信心をせよ
不両舌  一枚の舌を二枚に使いすぎ 自ら招く口の災い
不慳貧  苦しみは欲の多きがもといなり 足ること知れば心安らか
不瞋恚  腹を立ていかりくるえる振る舞いで 思わぬ罪の報い恐ろし
不邪見  よこしまな人見て直せわが心 よきもあしきもわが身なりけり

    「真言在家看経法則」より  徳島県阿波郡   浅野総本店  となってます。