遍路4回目 讃岐(2) 

平成16年7月30日ー17年2月13日。初めての遍路でした。ほとんどが車。でも20%くらいは歩いたかな。
平成17年3月19日(土)ー18年3月4日まで。2回目の遍路でした。このときは別格20寺も。30%歩き。
平成18年5月3日ー平成19年8月5日まで。3回目満願。今度は、40%くらい?500km以上は歩きました。

    やっとあの山門が見えてきました。(大窪寺)
  
平成19年12月23日(日)から4回目のスタートです。本当は、うるう年は逆打ちが流行します。でも、それは
5回目以降にします。「白い遍路札」最後のお参りです。点(札所)を線(歩き)でつなぐお参りにしたいな。
4周目の11回目いよいよ満願です。今回も、逆順打ちです。83.86-85-84.87-88です。                         



 731日(土)
      朝805発 前回と同じ、大阪なんばからバスで国分寺行きに乗って、高松の手前「ゆめタウン
      高松」に向かいます。ここが、83番一宮寺に一番近いのです。

        たかなんフットバス
 
      ただ、打戻りで高松市内へ行きますから、この暑さが問題ですね。
      「you me タウン高松」です。大きなショッピングタウンですね。

      今回のお四国は、いよいよ満願です。同僚が4日に心臓の大手術をします。
      わたしとしてできることは、無事を祈ることだけです。それと、人生の一つの区切りとして、
      また、いまの私の本当の気持ちを確かめるのも今回の目的です。
        
      大阪なんばから讃岐「国分寺」までバスがあるのです。今度、1番さんも「板野」バス停が
      ありますから、この便にしようかなあ。

      前回は、5月の連休でかなり遅れましたが、今回は行きも帰りも定刻でした。空いていて、
      となりもいない快適な旅でしたよ。
            
      12:26 バスターミナルから、3.6km。すでに炎天下。道にはだれもいませんよ。いそいそと
      身支度していざ、83番一宮寺にお参りします。

      途中で、おばあさんとお孫さん、「行ってらっしゃい!」と元気よく声をかけてもらいました。
      うれしいなあ。この、炎天下の遍路が結構、好きです。何も考えない意識が朦朧となるのが
      いいですね。

      13:30 83番一宮寺に到着しました。門前に托鉢の方。境内には若いカップルが、もの珍しげ
      にお参り。暑すぎて、せみの声もない。あのお薬師さんの石の扉に顔を入れても、なにも聞こ
      えない。

          

      ひょっとしたら、この山門から出るのははじめてかも。すぐ路地というのもどうかと思いながら、
      高松市街地に向かいます。道はずっとアスファルト。外気が35℃だとすると、路上は38℃くらい
      でしょうか。

      今回は、秘密兵器のもめんの「手甲」。いつもの菅笠のくび筋を被うレースの日よけ。
      さて、私は今回いったい何本のペットボトルを飲み干すでしょうか?ははは、一日6本ですかね。

      前回から、錫杖の金剛杖です。重くて、きついです。家具の脚につけるゴムのカバーをつけます。
      先が金属で硬い音とすべるのです。でも一日か二日でゴムがぼろぼろになります。

            

      また、菅笠も新しくしました。通常の小さいのを購入し、「柿渋」を塗り重ね、しぶい色に仕上げ
      ました。頭のあたる部分にガーゼを巻いて、ひもも付け替えます。もう3つ目ですね。今回、
      よかったのは柿渋で裏も塗りました。すると、道からの照り返しがやわらかくて、目が痛くならない
      のです。

      15:30 6.4km 栗林公園の人もまばら。物好き風に見られている視線を感じながら、
      ひたすら通過。 「おじさん、どこから来たの?ずっと歩いてるの?」と呆れ顔で、声をかけられました。
      ははは、物好きですね。今日は、誰も歩きのお遍路さんには出合いませんでした。

            

      栗林公園のすぐ北側に、今夜の宿があります。でも、何度も出入りしたくないので、今夜と明日の
      朝の食事を購入のため、あの大きな商店街に向かいます。体中の汗は出しました。毒素も出た
      でしょうか。
   
      まだ、大丈夫。半日しかあるいていませんもの。
      


  8月1日(日)

      朝は、いつものように早く目覚めます。さすがに夕べは、早く眠りました。
      6:20瓦町発の琴電志度線に乗ります。日曜の朝。ひっそりした駅。電車は2両ですが、乗客は私と
      もうひとりだけ。 

         

      今日は、ひそかに狙っていたあの屋島の逆打ちののぼり斜面。さてどうなりますやら。予定より一台
      早めの電車。30分ほどで、「志度」駅に着きます。海岸沿いに走る景色がいいですね。屋島、八栗の
      お山。瀬戸内。古戦場ですね。

      とうとう志度駅では、私だけでした。駅舎で支度して、いざ86番志度寺へ。門前の宿場町を進みます。
      だれもいない。あの山門前のお寺が焼けたと聞いていました。プレハブでしたよ!

         

      境内に入ると、声も聞こえないくらいの蝉の大合唱。うるさいを越えていますね。自分の読経の声も
      遠いです。すでにお二人、歩きのお遍路さんが、納経所に。そう、朝は7:00からなんです。みんな、
      出発のあさは、7:00が基準。または、前日に17:00までにご朱印をいただいておくのです。

      さてさて、私はここから逆に打ちます。海をまわって八栗寺を目指して6.5km。逆というのは本当に道が
      わからないのですよ。道しるべのシールも見えないのです。常に不安が付きまといます。7:15過ぎに出て、
      到着予定は9:00なのですが。

          

      さて、高松北高校です。あのだらだら坂です。ここから2.4kmずっと登り道です。標高は、150mほど
      上るのですが、車が結構行きかう山道を登ります。車での参道なのです。今日は日曜ですし、8月は
      月遅れのお盆の季節です。お参りは多いです。

      何度も休憩。地元の散歩のおばさんに抜かされました。やっぱり地元の人は強い!「がんばって!」と
      声をかけていただくのがいいですよね。 

          

      やっとの思いで、85番八栗寺につきました。逆ですからケーブルの駅の方から、大師堂、本堂です。
      ここは本当にすごいお参りで、団体ではないのですが、ぞろぞろと参拝客です。

      歓喜天のお堂があって、熱心な方々はござに座って一心にお祈りしておられます。観光の人たちは、
      ぞろぞろうろうろ。ここと屋島は高松観光の中ですね。信仰と観光がまざっています。

         

      さあ、汗も引いて、ケーブルの横を降りましょう。以前、雪と氷で登るのに一苦労したのですが、
      降りるのは簡単です。

      ずっと下りてきて、高柳旅館の横を曲がり、うどんの山田屋さんの玄関先を通過。路地を降りてきます。
      そうそう小学校をぐるっと回って、スーパーまるまか。

      アイスとお昼ご飯を購入のため、まるなかに。発見「温玉ぶっかけ」持ち帰り用。おもわず購入。
      実は大失敗。おいしかったんですよ。近くの公園で、ゆっくり食べたんです。でもね、ゴミですよ!!
      どうしましょう?やっぱお持ち帰り!汁やにおい。たいへんでした。ははは。

           からすのカップル

      いよいよ、今回の最難所。屋島の山に登る道です。ほぼまっすぐに登ります。九十九折ではないのです。
      地図で確認しますと、標高35mから山頂284mまで、約800mです。短いのですよ。でも下りるのも
      大変な道を、上るのです。途中で、散策の方とであったのですが、あきれておられました。
      2歩ずつですね。ううう。

      途中、昼休み休憩をはさんで、84番屋島寺到着は、13:00でした。ペットボトル4本のみ干しました。
      足はがたがた。こんなとき、やっぱり酸素ボンベほしいなあって、いつもそのとき思うのですが、
      準備のときは気づきません。

       

         屋島の小山                  屋島から八栗を望む

      屋島のだらだら坂を逆に下ります。何組かの上がる方々と出会います。「がんばって!」と今度はこちらが
      余裕の声かけです。琴電「かたもと」までおりてきました。今日は、ここまで。電車で瓦町まで戻ります。

        たぬきさんが、いっぱい!

      明日は、いよいよ満願です。今回は、どんな思いであの大窪寺に着くのでしょう。早めに寝ます。
   


  8月2日(月)

      今朝も早く目覚めました。いよいよ最後のお参りです。琴電「瓦町」発6:15の「長尾」行きに乗ります。
      平日ですから、もう結構乗客がいます。

      今日は、最後だし、もたもたしていたら帰りの高速バスに乗り遅れます。一発勝負の正確さが必要です。
      緊張!6:45「長尾」駅に着きました。今朝も暑いです。今日は、とても暑い日になるでしょう。

      すぐ近くの87番長尾寺です。本堂のお線香から見て、三番目のお参りですね。老夫婦が車できました。
      じりじり太陽が照り付けます。平成の大改修中。きれいになっています。ゆっくりお参りした、ご朱印をいた
      だきあと一つご朱印をいただいたら、重ね印も完成です。「あな うれし いくも かえるも 二人連れ・・」
           
         

      さあ、一路大窪寺に向かいます。ひそかに、今回は「花折れ峠」を越えようと思っています。

      幾人かの歩きの方を見ながら、とりあえず前山までと向かいます。15.1km。普通の道なら休憩をいれて
      ゆっくり歩いても4時間ですね。ところが、・・。

        前山ダム 

      7:15 長尾寺を出て、炎天下。とことこ、錫杖の音を励みに歩きます。前山へんろ交流館まで5km。
      9:00前について、道の駅「ながお」で息を整えて、ポカリと水を購入。いよいよ峠道に入ります。

      なめていました。地図の上では、標高140mから410mです。そんな急な道ではないと思っていました。
      ちがうんです。どんな場所でも、必ずきついところはある。今回だってそうです。昨日の屋島と変わらない
      きんたて、真ったて。へろへろ。道標に「2km遍路道」とありますが、なんとそのうち1.4kmが上りです。

        
        左上の道路から、山に入ります。    このうらめしい看板!

      くもの巣と蚊にさいなまれる遍路道。だれもいない。誰とも会わない。人や車の気配もない。きっとここで
      倒れたら、この花折れ遍路道は、あまりみんなが通らない道です。たいていは、女体山越えです。

      自分の息遣と心臓の音だけをきいて進みます。ずっと体の回りをたくさんの蚊たちが、飛び回り耳元で
      あの蚊の鳴き声がずっと追ってきます。お釈迦さんが、あの菩提樹で悟りを啓かれたとき、いろいろな
      邪念や誘惑が襲ってきたそうです。そのほんの一端を経験させてもらったような、・・。ちがうか・・。

      ずっとのぼりなんです。4km、やっと山道を出て、舗装道路を歩きます。標高は340mまで下りますが、
      大窪寺は445mなので、まだまだずっとのぼりです。

         あと三十丁!

      ずっとずっと前にも後ろにも人影はありません。もう随分声も出していません。人生の何たるか。
      歩みが人生の時間と道のりだとすれば、ずっと辛い上り坂、ずっとだれも横にもいない。後ろから
      付いてきてくれるものもいない。そんなものなのかなあ。

      まだか、まだかと思いながら、村の道を、なだらかに上っている道をとぼとぼ進みます。
      多和小学校からの5kmがつらかったなあ。

      1回目の満願は、車でした。二回目は、大雪の日で女体山のドライブウェイは通行止め。40cmの積雪。
      その道を越えました。三回目は、台風が近づいていて暴風警報。女体山頂の神社では前も見えない
      土砂降りで、全身ずぶぬれ。そうあの日に、タバコをやめました。

      今回は、だらだら上っていったその道の向こうにあの新しい山門が見えてきました。とうとう大窪寺に
      到着です。最後のpiicats柄杓を。鐘も撞きました。大師堂はあとで、本堂に向かいます。きました。

        

     ・・・・やっぱりだれも待っていません。だれかが待っていて、迎えてくれる・・そんなゆめをみていました。
      そんなことが、あるわけがありませんよね。だれもいない静かな、あまりに静かな境内。リュックをベンチに
      おいて、おいずるを来て、輪袈裟、念珠。本堂「結願所」にはいります。

      どうしたことか、身震いがするほど寂しくて、悲しくて・・。我昔所造諸悪業・・」声が出ません。涙が
      止まりません。嗚咽です。ひくひく肩がとまりません。幸いだれもいません。声をだしてなきました。
      お経の声がでません。

      そう、自らがなしてきたいろいろの人間関係が、すべて自分勝手で自分中心で、真に相手の幸せを
      考えていなかったのでしょうか。自分とともにいて、自分とともに閲した艱難が、ともに「しあわせ」だと
      思っていました。それが、間違いだったのでしょうか。いつぞや、人は次々と自分から離れ、結局は
      「自分ひとり」なのでしょうか。

      「死ぬときは、ひとり」なんてよく言いますが、「いまもまた一人」なのですよね。ともに歩んでくれる人
      なんて、きっといないのですよね。『同行二人』は、お大師さんだけなんですよね。

          

      「杖だけと ともにあゆみし このみちは なにをたよりに いきとしいきん」
      寂しくて、わびしくて。

      私の場合は、最後に捨てきれない欲は、人を恋焦がれる思いだったのですね。
   
      いろいろなものを捨ててきました。妙なプライドや自尊心。酒・タバコへの固執。征服感、達成感。
      でも、捨てられることを想定していませんでしたね。自己存在ってなんでしょうね。

      安寧な死を求めていくと、全ての固執から脱却することなのでしょう。私のおいずるに16番
      観音寺でいただいた光明真言の版が襟に押されています。生きているときは無病息災。遺体に
      着せたら、死後硬直がやわらかくなるといわれます。でも、実は一部が汗でにじんでしまいました。
      ずっとそれを着ています。

      私が死んでこのおいずるを着ても、一部が硬いままだと思います。この部分の硬さが、消え
      なかった固執だと思うのです。捨て切れなかった、「愛着」です。消えなかった「夢」であり、薄らが
      なかった「妄想」ですね。「思い出」だけにすがって余生をすごすことなんてできるのでしょうか。

      いままで多くの先輩たちを見送ってきました。今度は、自分が送られるのです。
      社会的執着から捨てられるのです。「うまく老いる」、「うまく枯れる」ことが生きる秘訣だよって
      教えてくれた先輩がいました。はたして、私はなにもかも捨てきることができるのでしょうか。

      この寂しさに慟哭した固執(欲)を、何時の日か無表情でかすかな微笑を持って受け入れられるの
      でしょうか。捨てる悲しさより、捨てられる悲しみに耐えなければならないのでしょうか。

      見捨てられる方法を知りません。耐え忍ぶすべもしりません。ただただ、泣き叫ぶだけですか?
      毎夜、夢に現れる亡霊に、おびえながら夢にも現れなくなるのを待つだけですか。
      過去を思い出しても、怨まないようになる日を待つのですか。
      
      いま、こうして結願して、一歩でもお大師さんに近づいたその喜びよりも、さらに遠くなっていく浄土に
      今度は、いつお四国にお声がかかるのだろうかと不安です。

      緑のお札。こんな未熟なわたしに、どうして人々を導くことなどできましょう。


      
 


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