『遍路十話』・・・四国八十八ヶ所 遍路に出て

 もう4年も前、ふと思い立って「お四国」(四国遍路)に出ました。

 たくさんの人や自然に出会い、また自分の生き様や内面を垣間見る機会がありました。もちろん宗教的行為ですから、個人の信仰に関わるのですが、今一度日本の道徳感や教育の原型を確認する意味で、ここに掲載します。私の自己啓発でもあり、問題提起でもあります。ここでは、信仰的啓発ではなく、日本文化が育んだ伝統文化の一端を感じていただければ、幸いです。

 










 20番 鶴林寺 霧の中


 第一話

☆初めて四国に向かった日、歩きの遍路の方を見かけました。

 「仕事もしないで、社会的貢献をしない人がいるんだ。」といささか見下してしまっていました。以後、何度もお接待をしてお札をいただいたり、お話することがありました。学生であったり、仕事を退職されたり、ご病気の方。また女性おひとりだったり。

 それぞれの方が、それぞれの過去を背負って歩いておられるのです。もちろん、暗黙の了解で身の上は聞きません。そんなの関係ないのです。

 では、私はどうして四国に出たのでしょう。
 どんな人間にも内在している「むさぼりといかりとおろかさ」に、裏切りとか不信というような次元でなく、またなすすべもない及ぶことのできない「悲しみ」のなかで、それらを乗り越えて愛する人を愛せる自分でありたいと、こころから願うからです。

 『心願成就』と願います。その「心願」は、自分の「心の不安」を越えられる「信じる愛」です。虚飾といわれる現代社会の人間関係を、否定はしません。うまく過ごせばいいだけです。でも、それに翻弄されている自分に気付くことですね。

 少しばかりの悲しみが、大きな慈しみを生むのかもしれませんね。大きな悲しみは仏にお任せして、私たちもまた、「慈悲」に目覚めなければなりません。その欲求こそ、「原背景」としての人間存在かもしれません。「心象風景への回帰」が遍路かもしれませんね。

 中学生の頃「人はなんで生きるか」と疑問に思ってから、長い間そのことすら忘れていました。『存在因(なぜ自分は生きているのか)』は、宗教や哲学でしか解釈できないのでしょうか。歩いていると、純粋に考えることができます。そんな時間的・精神的余裕があります。

 「なぜ歩くの?」答えは、「お大師さまに呼ばれたから」。
  私のDNAに摺り込まれた、説明のつかない欲求。「心の不安」からの「逃避」ではなく、「積極的な対応」への行動。

  さてさて、お大師さまは私に何を気付けとおっしゃっておられるのでしょうか。

 

    巡礼の詩3にジャンプします。

 

 第二話

☆霧雨の早朝、雨に濡れる母子を見たとき、お接待できなかった自分。

 「やさしさ」がなにかを考えるようになりました。
 20番札所鶴林寺への道。霧雨の早朝、車窓から雨に濡れながらきつい山道を歩く母子を見たとき、わぁ辛そうだなあと思いました。直後に、そうだ歩き遍路の方に、飲み物を「接待」しようと思い立ちましたが、すでにあの母子を過ぎていました。
 涙が出ました。ごめんなさい。そんなことも気づかないほど心が汚れていました。かわいそうとか辛そうというのは、第三者的な、傍観者の論理です。主体的、共感的な思いではありません。

 さて、遍路で私は何を学ぶのでしょう。たくさんの方々と出会いました。それぞれが仏の化身なら、いったいどの仏様なのでしょう。また、どんなメッセージを届けてくれるのでしょう。歩きは、お寺にいる時間よりはるかに歩いている時間が長いです。息もあがり足も痛くなります。最初は、自分の体のこと。行き先のこと。出会う人から、自分以外の人のことを。自然。社会生活。世の中の生活時間。ぐるぐるまわって、やっと自分の内面。私のテーマは「優しさ」です。「生きる」ということ。
  

 12番焼山寺へ 一本杉のお大師さま 遍路最大の難所

 

 第三話

☆足の悪いおじいさんに、道を聞かれたときも、お手伝いの発想が湧かなかった自分。

  足の悪いおじいさんに、道を聞かれたときも、お手伝いの発想が湧かなかった自分。37番岩本寺の駐車場。あの足の不自由なおじいさん。どうして荷物だけでももたせてもらえなかったのか。20歳のとき祖母をおんぶして、石切神社に参りしたことがあります。すこしも恥ずかしくなかった。それなのに、どうして思い立たなかったのか。帰りとお参りのすれ違いだから?時間ばかり気にしてたから?涙が出ました。自分のばからしさが。ものを差し上げるお接待ばかり考えていました。

 次の時には、絶対こんな恥ずかしいことをしないでおこう。階段の上まで送っていくくらいなんの負担もないはずです。お大師様に会いたいと思っていたのに、試されていたのかもしれません。こんな私にお大師様に会えるわけがない。

 ごめんなさい。お接待の歩き遍路の全員が観音様(お地蔵様)でした。私に、無上の喜びと救いをくださいます。でも、品物ではなくもっと別の形でもお接待はできるはず。

 誓います。これからは、不自由をされているすべての人に、せめてお手伝いを惜しまないと。濁った汚れたわたしの感性を治してください。「お手伝いさせてください。」って、躊躇なく言えるようになりたい。

 高知港桂浜付近 33番雪蹊寺手前 あの橋を越えて

 

 第四話

☆買ってきたぼた餅10個のうち、5個をお接待してもらいました。

 高知県室戸のドライブウェイで、たくさんの方が食堂で順番待ち。中にも入れないし、駐車場の休憩所で上着も脱いで休んでいると、おばあさんが建物からぶつぶつ言って出てきました。「いくら待っていても順番がこないんだ。もう食べずに帰るよ。」って、私に言うんです。「そうですか。大変ですね。」なんて話して車にもどって、またくるんです。「これはね、御茶屋餅といって、おいしいだよ。おやつに食べようと買ってきたから、半分あげるよ。」といって10個入りの半分、5個を包装紙に移してくださるんです。「こんなにいりません。2個いただきます。」というと、「半分っこだよ。」というんです。5個置いて、そそくさと車で出発するんです。起立・合掌。

 思いました。私ならやっぱり2個しかお接待しないなあ。「お接待」とは何?遍路は、お大師さま。地元の人は、遍路をそう見ます。だから、歩いているだけで合掌してくださいます。また、私は行けないから代わりに参ってくださいと言われます。

 

お接待は、見返りを望む投資ではありません。だからこそ純粋に、自分の大事な大切なものを、見ず知らずの人間に、自分の持っているものを「半分っこ」できる人になれるんだろうか。普通のおばあさんです。至極当然のように、お接待くださいました。

 

ありがとうございます。大福餅5個は食べきるのも大変でしたが、それよりも「半分っこ」のお教えに、のどが詰まりました。肝に銘じます。

 60番横峯寺への道 『遍路ころがし』と言われる難所のひとつ

 

 第五話

☆現金をお接待していただいきました。

 軽ワゴンのおじいさんが狭い35番清滝寺の参道を上から下りて来たのに、Uターンして入り口に止まりました。変だなと思いながら近づいていくと、窓から1000円札をひらひら。「何か食べなさい。」「92歳!まだ運転してる。」と笑顔でお接待です。現金をいただくのは初めてです。思わず、「これからずっとおじいさんの分もお参りします。」と約束しました。

ずっと後になりましたが、七日ろうそくという大きなろうそくを奉納しました。

 

今年の3月にも、夜明け前に松山城から出発して52番太山寺へ、松山西高校を過ぎて少年鑑別所前。静かな住宅地で、向こうからおばあさんが近づいて来られて、「お接待させてください。これで、ろうそくでも買ってね。」と1.000円札をティッシュに包んでくださいました。予想していなかったし、ありがたいやらもったいないやら。

 私たちの日常で、知らない人からお金をもらうというのは、どうでしょう。でも、お四国ではよくあります。「お接待文化」は、都会ではもうないのでしょうか。相互面識があるかないかが問題ではなく、みんなに気遣い、みんなで共存しているという意識の問題でしょうか。利害や損得、自己防衛などという考えが、「お接待文化」を消していったのでしょうか。


 初めての遍路のとき、おばあさんからビニール紐で編んだミニわらじ(5円玉付き)をいただきました。「旅の無事を」と。23番平等寺の仁王門に、「おばあさんの健康を」と、かけさせていただきました。

 

 19番立江寺への道で、ご夫婦でお接待くださった方。外国人遍路に挨拶されて、以来ずっとお遍路さんにお接待しているとか。発心は、突然するものかと感動しました。


 第六話

         ☆思いは、代々続く。

 88番大窪寺の手前に、前山遍路交流サロンがあります。ここは、遍路博物館です。早朝、まだ開館前にお邪魔して見学しました。地元のライオンズクラブが運営している資料館です。そこには、50cmもある俵があります。古い民家を解体したときに出てきたそうです。なんと江戸時代からの「納め札」が、無数にあったそうです。「すべての時代の遍路札がありましたよ。」と館長さんがおっしゃっていました。「善根宿」(昔から、無料で宿泊させる地元の方の家)でしょうか、代々の方がお遍路さんのお世話(お接待)をして、そのお礼にもらった「納め札」を大事に保存していたそうです。

遍路は、お接待を断ってはいけません。それが、ルール。またお礼には、札所で納めるお札をもっていますから、それを渡すのが一般的です。そこには、住所や名前が書かれています。


 親が子に、子が孫に、「お接待」の心をつたえ、受け継がれてきた精神文化。これこそが、文化の伝承(教育)ですね。残念ながら、その家も最近引っ越して行かれたそうです。

 

     野生の猿がいました。

 

 第七話

      ☆褒めてほしい気持ち。

 2回目の満願、2月雪の88番大窪寺の山門を下りていくと、横の店のおじさんが、寒かったろうと生姜湯のお接待。おなかの中までしみわたりましたよ。「歩いたの?」「女体山を越えました。」「あそこは遍路道じゃなく、行者道だよ。」と呆れ顔。 ちょっと褒めて欲しかった自分が、とても小さく見えました。喜びというのは、自分だけの満足なんですね。自慢したり、いたわってほしいという甘えに気づいて、ほんとうにつらい瞬間でした。最後の最後にまた、教えられました。すごいことを成し遂げたような気になっていました。今の自分では、精一杯でも、絶対的価値ではないのです。価値という概念すら無意味です。遍路は、その無意味・無価値を学ぶ道です。生きているのではなく、生かされているのです。達成感というもの、そのものも越えなければいけません。日常の成果主義に翻弄され、また競争原理の社会に生活していると、真の生きるという意味まで見失ってきます。まだまだです。

 

 

 第八話

      ☆二度目の結願
  
 春には春のお参りがあり、冬には冬のお参りです。二度目の結願でお礼参りに1番札所霊山寺を訪れたのは、すでに1年後。1番札所には、真新しい白衣の老夫婦が、たどたどしいお経をあげておられました。発心の喜びが、こちらにも伝わってきます。うれしいですね。別格20番最後の大滝寺には、雪と凍結のなか軽四輪でおまいりのご夫婦が、「妻の病気平癒のため」と大声で夫が祈っておられました。横では、奥様がそっと合掌されています。その姿が今も思い出されます。

 仏に会うために生を受けたのではなく、仏の道を歩むために生まれてきたのかもしれませんね。 そう思う喜びこそ、生の証でしょうか。「自分が不幸」だと思いながら生きるのは、とても苦痛です。そうではなく、自分の存在が「他の人の幸せ」に関与できるなら、それが「慈悲」ですよね。「悲しみ」=「愛しみ」(かなしみ)です。「慈しみ(かなしみ)」。だからこそ、うれしいのではないでしょうか。こころは、おだやかです。

 

 「・・したい」とか、「・・しなければ」などといつも追われながら過ごしています。けれど、「生きる」ということは、「息(をす)る」かも知れませんね。


 第九話   ☆札所の犬が、もう居ない

 年末に、わずか二泊ですがお四国に向かいました。今回は、33番から40番です。高知県札所をみんなまわろうと。距離が長いので、電車・バスも利用します。

以前、四国別格札所の満願お礼参りに別格1番大山寺に二度目に行ったとき、1年前初めてお参りで出会ったよぼよぼのワンちゃん。ベンチで休憩していたら、とことこ様子を見に来てくれて、パンを食べてくれました。二度目にいったら、若い一回り小さい犬に代わっていました。
 徳島の太龍寺から平等寺への峠越えに5kmもずっと案内してくれたワンちゃん。ネットでみたうわさでは、もう行方知れずらしくて、三回目の遍路の時どんなにさみしい思いで、あの峠を越えたことか。

 今回、35番清瀧寺に向かうとき、またあの老いぼれゴールデンレトリバーに会うのを楽しみにしていましたが、納経所の周りがきれいに改装されて、ベンチもあのワンちゃんもいませんでした。

 38番岩本寺には、「機嫌が悪いとかみつきます」の看板があるヒロくん。二回とも犬小屋で寝ていました。今度はどうかなと、見ますと犬小屋はありましたが、ヒロ君がいません。散歩だったのでしょうか。小屋がきれいで、いやな予感です。

 犬たちに会えなかったのが、残念で。老い、死に行くのは生き物の定めですが、こころの一部が消えていくようで、この辛さは「苦」ですね。何度、どんな別れをしても、この辛さを満たすものはありません。せめて、いい思い出を抱いて過ごすことでしょうか。


 我が家には、もう何代目か、犬がいます。猫は3匹います。もちろん、何度も死に遭遇しています。「満足」とか、「渇き」とか、生き死にの営みのなんたるかは、今生きているものには分からないのでしょうかね。

空海『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」

 愛媛県曼荼羅霊場 極楽寺で2匹の犬が先導してくれました。

 第十話

☆「遍路で何を得ましたか?」と聞かれて

 三度目の遍路をスタートしたとき、12番焼山寺の境内で、若者と談話しました。三度目だと話したら、お決まりの質問「どうして歩いてる?」「何か得るものがあったか。」
 ふとですが、唐突に「そんなに歩いて、何か得るものがありましたか?」と尋ねられたのです。一瞬、戸惑いました。

 日常に、友人などに「どうして遍路に出てるのか?」と聞かれたとき、友人達は、「よっぽど悪いことをしたんだろう。」「お前は、一生詫びて回っても消えない罪業を背負っているんだ。」と茶化しながら言われます。「違う!遍路は、出たいと思うから出るんだ。」「お大師さまに呼ばれたものだけが、出れるんだ。」と友人にはいいます。「お前達は、呼ばれることも無いかわいそうな人間なんだ。」なんてね。

 今回は、違います。一人、静岡から遍路に出ようと志している若者が、何度か経験している知らないおじさんに、ふと真顔で聞くんです。 改まって尋ねられると、また、その青年のこれからに対して、なにか得るものがある答えをしたくて、こう答えました。「最初は、信仰系でした。でも今ではただただ歩くのがたのしいんです。」と。

 

答えてから、逆に考えました。はたして、本当はどうだろう。仏教に興味を持ち、ひたすら勉強して「知識」を増やし、経を読み、またその意味を理解しようとがんばり、毎日写経を続け、自分なりに身に着けようと「努力」してきました。いつのまにか、「知識」や「努力」があまり価値を持たなくなってきました。そう、「繰り返し」の中に「意味」ではなく、「こころ」とでも言うのでしょうか、「よろこび」を感じることこそ、「生きる」本質なんだと思えるようになってきました。 そういう意味では、「たのしい」と言えた自分を褒めたいと思います。

 そう。遍路で得たものというと、きっとそういうものなんだ。ただ歩く。見るもの、出会うものすべてをありがたいと思い、楽しく思い、ただただ歩く。望まない。求めない。あわてない。あせらない。ただ「心の欲するままに従う」。どこまでできるかわかりませんが、今はそう思っています。

 焼山寺から下ってくると、杖杉庵があります。ここは、松山の衛門三郎という庄屋がお大師さんにひどいことをして、8人の子供が非業の死を遂げ、改心して遍路道を歩き続けて、やっとお大師さんに出会ったところです。死の間際に手に石を握らせて、お大師さんは衛門三郎を許します。やがて松山藩主の子が、石を手に握って生まれます。51番石手寺には、その石があります。

 

 

 

 彼と一緒におまいりして、当日の私の宿舎まで半日間、同行しました。

彼の乗ったバスが見えなくなるまで、ずっと手を振っていました。


 後日、彼から手紙が来ました。「メタボリックシンドローム」だそうです。まだ若いのですが、体の不安はすべての根底ですから、言いようのない心配ですよね。お四国から戻り、(無事満願されたそうです)またアルバイト先を探しているようです。私との出会いが、少しは役に立ったのでしょうか。元気に日常に暮らしていただきたいと願います。

  室戸岬にて