陶荒田神社

陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区(陶器村大字太田字上之)に所在する神社で、須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座しており、別名、陶器大宮(陶器のみやさん)と呼ばれている。和泉国大鳥郡の式内社。陶器のえびす様として有名で、1月の初戎祭には、技術・製造業・商売にかかわる業者達でにぎわう神社である。

    

由緒  崇神8年(紀元前90年)、崇神天皇により、陶邑の大田の森(現在地)に住む太田田根子が神主として選ばれた。彼の祖霊を祀る目的で創建された神社が、当神社である。創建年は崇神8年前後であろうとされている。当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。大田田根子の父は大物主神、母は陶津耳の娘の活玉依姫命。『古事記』では大物主神の四世孫。

森浩一氏(考古学者)によれば、「茅渟県というのは、和泉国の大鳥郡や和泉郡、今の堺市と和泉市を中心とした地域であって、陶邑はそのなかの須恵器生産によって特色づけられた邑という意味であったと推定され、江戸時代以来、旧の東・西陶器邑の付近であろうと考えられている。須恵器生産の推移をたどると、茅渟県だけが須恵器生産地と意識されるのは、初期の生産段階か、6世紀末葉以降かのどちらかの可能性が強く、大田田根子の陶邑は6世紀以降の事態の反映ではないかと思う」(大意)
                              (大阪府史・
1978

名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「荒田直」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている。

 この陶荒田神社と配置と三輪山とはどのような関連が見て取れるのだろうか。直接には三輪山を見ることはできない。それよりも金剛、葛城、より離れて二上山が見える。三輪山が見えるライン上の高地で、かつ陶器生産の適地(粘土、木材)に神社が出来たと言うことであって、それがこの神社の神主だった大田田根子命が三輪山の祭祀に招かれた伝承となったのか。渡来人の陶器をよくする技術者達を配下に組み入れるべく、三輪君や鴨君が赴いたのであろう。『古事記』によると大田田根子命は三輪君や鴨君の祖となっている。大田田根子命は河内の美努村(みのむら)にいたことになっている。この神社は上之で、その東に見野山と言う地名が残る。陶器生産の遺跡が多い。また八尾市上の島町に御野(みの)県主神社が鎮座、この辺りとも言われているが、三輪山が見える訳でもない。見野山付近でいいのだろうが、面白いのは「上之」「ミノ」が共通に出てくる。また「隠(かくれ)」という地名も、小高い丘になっていて、二上山(美輪山)が隠れて見えなくなる場所だったという伝承もある。


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