3. 通過儀礼

「出産」・・・妊娠すると、5か月目に「おびかけ」をする。嫁の里の母親が、子安さんに祈祷してもらった腹帯を嫁に贈る。このとき、赤飯を炊いて近所に配る。はじめて、産婆さんにみてもらう。

 ・明治時代は、座産であったという。産小屋は作らないが、神様のいない部屋で生む。出産時に夫がいると、次のこの時も家にいなければならない。

・「よな(後産)」は、便所の踏み石の下に埋める。昭和の初めには、「よなまつべ」と称して、後産を集めにくる人がいた。「へそのお」は、桐の箱に入れておいて、母親が死んだときに、こどものへそのおは、みんな棺桶に入れてやる。

 ・生後すぐには、乳を飲ませず、「だらにすけ」という大峰山の行者がもっている薬草の汁を飲ませる。

 ・名づけは、早くしないと雷に食われる。

 ・産婦は、油揚げと青い魚を食べてはならない。

 ・出産のあと6日間は、髪の毛を束ねてはいけない。20日間は、風呂に入ってはいけない。

 ・宮参りは、男30日、女31日。陶荒田神社か、三都神社にまいる。嫁の里から、産着と「力もち」を持ってきて、近所に配る。宮参りの前に、子供を近所に連れて回り、家々で産着の紐に祝儀袋をくくる。これを、「ひぼせん」という。この時、近所の子供たちに、菓子袋を配る。(子供の仲間入り)

 ・「ヒャクハツカ」といって、産後120日目に、本膳に鯛の焼き物、小さな黒石(かないし)をお膳におく。これは、雨だれの下の子石を3つ、赤子になめさせる。

 ・母親のケガレ。「すだち」といって、産後3日目を「みっかじょう」といい、産婦の乳房を塩で拭く。6日目「むいかじょう」腰湯をつかう。12日目も腰湯。(腰湯と言っても、塩水で両足を吹く程度。)これは、全部産婆さんの仕事。

 ・「こゆめあく」(子忌み明く)は、宮参りの日で、この日から宮さんに行ってもいい。「おやゆめあく」(親忌み明く)のは、産後75日目で、母親は一人で氏神さんにお参りする。今でも、宮参りには祖母が子供を抱いて、母親は鳥居をくぐってはいけない。(まだ穢れているから)

 ・子守は、忙しいときに見てもらうのが「もりさん」。ずっと見てもらうのが、「おんば」という。

 ・夜泣きのまじない。「信太の山に棲むキツネ。昼は泣いても、夜は泣かん。」と紙に書いて、子供の枕元に置くといい。


 行者講・・・成人した男子は、その家が大峰講の「新役」となり、必ずその年の大峰参拝に参加しなければならなかった。村を挙げて送り出し、帰りには、狭山池の堤まで御馳走をもってお迎えに行く。これで、一人前として認められる。

 「婚姻」・・・見合いや親戚、近所の紹介で婚姻の話が進む。仲人は、親の親しい人に頼む。「ききあわせ」といって、内調査をおじ・おばが近所に行って、人となりや生活ぶりを調査する。

 ・「扇子納め」といって、結婚式の時に嫁が持つ扇子を、仲人は婿の家に持っていき食事をする。

 ・「はしとり」までは、仲人は嫁に家では、食事をしない。「はしとり」は、扇子納めの後、仲人が嫁の家にいって、結納の日取りを決める。

 ・結納の日は、婿の家に親戚が集まって酒宴をする。その後、仲人が嫁の家に結納の品を持っていく。婿は、同行してはいけない。

 ・嫁の荷物は、婚礼の前日か当日に婿の家に運ぶ。荷物は竹の杖をついて、青竹の棹でかつぐ。到着したら、この竹は折る。二度と使えないようにという。

 ・婿は、「朝婿入り」といって、式の当日の朝に嫁の家に挨拶に行く。嫁は、それを見てはいけない。

 ・嫁が、生家を出るとき、「かどび」といってわらの束に火をつけて、門を出る。

 ・嫁が、婚家に入るとき、空のたらいに片足を入れて、家にあがり、すぐに仏壇に参る。これは、この家で死にますという誓だという。

 ・祝言の時、「おちつき雑煮」といって、椀に二つの餅を入れた雑煮をつくり、嫁が先に一つ食べて、婿があとから一つ食べる。

 ・青年団の者たちがやってきて、座敷に空の煙草入れをいくつも投げ込む。これを「ひやたばこ」といい、家ではあらかじめ準備していた煙草を詰めて、みんなに返す。いまでも、「ひやたばこ」といって、結婚式があったら、近所に煙草を配る。

 ・近家では、近所の女性だけを招待して、嫁とお茶を飲む。「嫁の仲間入り」。

 ・「呼び初め」といって、仲人の家に婿方の母親と嫁が行って。尾頭付きの料理をいただく。嫁は、手を付けずに、その料理は嫁の実家に持っていく。

 ・100年ほど前までは、結婚したら、「鉄漿(かね)つけ」といっておはぐろをした。その家に染まるといった。

 ・「婿かがみ」といって、嫁入りの次の正月には、嫁の実家から婚家に鏡餅を持っていく。

 ・仲人とのつき合いは、3年間。年初めの歳暮には、ブリを持っていく。

 ・離縁。結納のときに婿が断れば、二倍返し。結婚後に婿が断れば、荷物の二倍返し。妊娠した後は、子供は婿方のもの。

 厄年(42歳)・・嫁の里から、鉄の火箸一対。神棚に。

 61歳・・「ほんきいわい」、88歳・・「てがた」

 葬送儀礼・・・葬式組(「どうぎょう」)は、上(かみ)、下(しも)、観音端の3組。葬儀委員長は以前から決まっていて、他の役割はその時々で決める。葬儀の大きさによっては、2組だったり、全村だったりした。

 ・死にかけているいる人がいると、その家の屋根で二日間くらい魂がうろうろしているのが見えるという。身内の人には見えない。カラス鳴きも、その家の人には聞こえないとか。

 ・病人がいるときは、北向きの地蔵さん(寺か、辻)に参って極楽往生を祈る。年寄りも、祈る。

 ・葬式を告げてまわるのは、組のもので、必ず二人でまわった。

 ・枕団子は、黒米を挽いて団子を作り、4個作って、一個は上に乗せる。米を挽くときは、3つかみ半ずつ。近所の年寄りがつくる。

 ・枕飯は、その人が使っていた茶碗に飯を盛って、箸を一本立て、一本は横にする。野辺送りの時に、村境の辻に捨てる。(小谷池の地蔵さん)

 ・死人には、行者講の「かんまん」(白衣)を着せる。手甲脚絆。

 ・頭陀袋は、近所の年寄りが、麻の布で作り、六文銭をいれる。

 ・湯かんの湯は、ふたをしないで沸し、左あけにあける。さして、たらいの裏の死人を座らせて、着物を着せる。だから、普段はお湯を沸かすのにふたを必ずする。

 ・野辺送りまえに、「どうぎょう」の人に、本膳を食べてもらう。その時の汁にいれる豆腐は、切らないで手でつぶす。だから、普段は豆腐を手でつぶしては、食べない。握り飯は、葬式の時は三角。

 ・出立ちの時、「かどまぶり」といってタイマツを点け、出棺する。「もがり竹」といって、竹を割ったのにお札を差して、門に新七日(あらなぬか)まで立てておく。

 ・墓地に着くと、六地蔵さんの前の棺台で3回まわして、埋める。穴は、どうぎょうが掘る。昔は、埋めた盛り土の上に、芝を打って、竹の弓を作って止めた。

 ・家に帰って、「しあげ」といって、どうぎょうにふるまいをする。

 ・あらなぬか、ふたなぬか、と49日まで毎回親戚や近所のひとと墓参りをする。満中陰には、村の高野講(ご詠歌講)の人もよぶ。

 ・49日の「笠餅」といって、丸い餅を48個、大きな餅をその上にのせる。法事のときにお坊さんがこれを切って、お大師さんの姿にし、親族たちが、それぞれの部署を持ち帰る。

 ・土葬であったが、一周忌を過ぎると、埋めた場所の近くに墓石を建てる。50年経つと、その位牌は寺に納める。

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