十牛図


十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。
十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものが有名。
巻子、画帖など、また掛幅1幅に10描いたものもある。頌を加えたものは少なく、ほとんどが絵のみで、文字をまじえない。
中国伝来のものもあるが、日本の室町時代以後の禅僧、また絵画の各派の画人によって制作されたものが多い。


牧童が牛を探し捕らえるまでの過程を描く十牛図は、代表的な禅宗的画題のひとつで、牛は、心理、本来の自己、仏教における悟りを象徴している。牛を得ようとする十牛図は、すなわち本来の自己を探し求める旅、悟りへの道程である。


十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。
梅原猛の解説の要約がありました。梅原猛 「仏像の心」より  十牛図頌を象徴的に読む http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm


1.尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。



心が荒れている。あばれ牛の如くに。かつて私は一匹の牛を家のあたりにつないだ。しかし、いつの間にか牛は手綱を断ち切って暴れだし、私に血みどろな傷を負わせて、遠い山に去ってしまった。荒れ狂っている牛のほえる声が私を不安にする。牛は猛り狂って田畑を荒らし、はては深い谷間に落ち込んで見事な頓死を遂げるかもしれない。私は疲れた心と、傷ついた身体に鞭打って牛を探しに出かけるのだ。

(鈴木大拙の解説)
牛を尋ねる、捜すということが修行の第一歩にたとえらるる。ところが、この尋ねるというのが、そもそも誤りの本で、種々の面倒はこれから始まる。実はなくしていないものを、なくしたと思って捜しているのである。

解説:失った牛を探す場面。本来の自己が内にあることをまだ知らずに、探しに出るところである。


2.見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。



牛はなかなか見つからない。私は日一日、果てしない野原を歩き回ったけれど、どこにも牛は見当たらなかった。そしてまた高い断崖絶壁をよじ登ったけれど、私の見たのは、一面に荒れ果てた岩山ばかりであった。しかし、ある秋の夕、深い夜の闇が天地をおおおうとする一瞬前、私は森の入り口で、牛の足跡を見つけたのだ。

解説:牛の足跡つまり手がかりを見つけるが、足跡を見てもそれは知識として牛の存在を知ったことにしかならない。


3.見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。



すばやく、そして用心深くその足跡を私はつけて進んだ。そして私は正しく見た。一匹の荒れ狂っている牛の姿を。牛は怒りにもえ、私を見て襲いかかってきたけれど、かくすことのできない疲労のようなものが牛の体にただよっていることを、一瞬私は見逃さなかった。

解説:牛の声を聞いて後姿を見る。しかし、まだ牛のすべてを見たわけではない。


4.得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。



今だ、私は祈りを込めて縄を投げた。わが心よ獣の眠りを眠れかし。縄は見事に命中して、牛の首に巻きついた。牛はほえ叫び、逃げようとして暴れ回ったけれど、私は牛の首に巻きついた縄を金輪際離そうとしなかった。やがて牛は精魂尽きたかのように、どっと倒れて、死んだように動かなくなってしまったが、私もまた死せる牛のように疲れていた。

解説:ついに牛をみつけて手綱をつけるが、嫌がる牛を引きつけようとする状態。


5.牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。



手綱をひいて私は家に帰ろうとした。私はいささか得意になって、牛に言った。「暴れ牛よ、お前がどんなに暴れても、結局、おれにはかないはしまい」。牛は私のそういう言葉に反抗するかのように時々、暴れ出そうとした。しかし、その度ごとに、私はたづなをきつく引いて私の優越感を確かめた。

解説:荒れる牛を馴らして連れて帰るところ。手綱に張りつめた様子はない。ここではじめて、牛の顔が描かれる。


6.騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。



山を越え、野を越え、牛と私は村里の近くにきた。今まで雲に覆われた月も、そのまろやかな姿を雲の間から見せ始めた。牛はおとなしくなり、私は牛の背の上で心も軽く、歌を歌ったのである。楽しきかな人生である。

解説:牛に乗り笛を吹きながら家に帰る。牛の表情は明るく足どりも軽い。牛と童子は一体である。

   家にあるお茶碗です。    


7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。



家へ帰って、私は牛をつなごうとすると、ふっと、牛は私の手から消えたのである。牛は確かに今しがた私の前にあったはずなのに、忽然として牛は失せた。巨大な牛が見る見るうちに気化し、ひとつの映像のようになって、すっぽりとわたしの心の中にすいこまれるように消え失せたのである。それは一瞬の幻想のようでもあった。あたりに無限の静けさが漂い、私は冷たい月光に照らされて、独り己の心を見入ったのである。

解説:家に帰って牛の事を忘れ牛もどこかへ行ってしまう。牛を忘れ去る、つまり悟ったという気持ち自体を忘れた境地である。


8.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。



また、不可思議なことが起こった。心をじっと見入っているうちに、私自身が消失してしまったのである。私と私を取り巻く世界もすっかり消え果て、世界は白い霧のようなものに変化してしまった。私もまた白い霧のようであり、私が世界であり、世界が私でもあった。透明で、清潔な完全な真空の世界で私の心も真空な満足に酔っていた。

(鈴木大拙の解説)
我というものを忘れる。即ち忘我の境にはいる。三昧である。ここに純粋な自分の姿を見る。

解説:牛も人も忘れ去られている。迷いも悟りも超越した時、そこには絶対的な空がある。


9.返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。



しかし再び、あの真空の世界に草が生え、花が咲き、鳥は歌い、春が来るのである。すべてはもとのままのようであり、生は、希望の歌を高らかに歌い始めているではないか。柳の緑の鮮やかさ、紅の花の美しさ、世界は改めて無限に豊かな色に輝きわたっているではないか。

解説:ここには童子も牛も描かれていない。悟る前とおなじく水は流れ花は美しく咲き誇る。


10.入てん垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。



このように再び、本にかえり、万物が豊かな色を示す世界に、私は何事も起こらなかったかの如く帰ってゆく。脚を現し、腹をむきだし、一見愚者の如くに、町にさすらい歩き、物にあえば物に親しみ、人にあえば人と笑い、見知らぬ人の間で、慈悲を世界にふりまいて生きている。


(鈴木大拙の解説)

この入てん垂手ということがなかったならば、禅宗も宗教ということは言えないのである。

自利はやがては利他でなければならぬのだ。これが(大乗)仏教の眼目であって、仏教徒は人の中に入って、本当に救済の事業をしなければならぬのである。政治家でも金持ちでも、金持ちは金という力を動かし、政治家は権力を行使するのに都合のいい位置にある。この好位置にあるものが、どうしても宗教というものに対して、もっと理解がないといかぬと私は思う。学問のある人、金のある人、それはその人のみのものでない。その学問、その富の力というものは、ただ自分のために使うべきものではなくて、人のために使うべきものだろうと思う。そうなると、ここにじっとしているわけにはいかぬ、外に出て働かなければならぬことになる。

宗教だからといって、ただ個人の安心にのみ資すべきではなかろう。そんなことだけに安んじては、本当の菩薩行はできぬ。自分はこれでいいというところから、街頭に出てこなければならぬ。
それで十牛図というものは、この点について、よく人間の精神の発達ということ、人格の円満ということなどを、まことによく図解で示しているのである。


梅原猛

絶対の否定から絶対の肯定への飛躍

禅では特に、第八から第九の過程を重視する。第八「人牛倶忘」においてすべてのものが否定される。哲学的な言葉で言えば、絶対の否定である。その否定の果てに、第九「返本還源」のように、再び全世界が肯定される。哲学的な言葉で言えば、絶対の肯定である。絶対の否定の世界は、いわば静かな観照の世界である。そこではすべてのものは意味を失い、人はすべてのものに対する執着を離れ、静かに世界を眺める。禅はこのような否定の世界からもう一度肯定の世界に帰ってくる。この絶対の否定の後に実現された、絶対の肯定の世界が第九「返本還源」であろうが、このように肯定的に世界を眺めるばかりでは十分ではない。もう一度、こういう静かな観照の世界から、現実の世界に下りてこなければならない。そして、布袋の如くに巷に入って、慈悲の実践をしなければならない。これが第十の「入てん垂手」の世界であろうが、そこで禅はいたずらに静観的なものではなく、実践的に世界に働きかけるものとなる。

否定を通じて肯定へ、このような理論をヨーロッパでは弁証法という。したがって禅の中には弁証法があるといわれている。
禅が表そうとするものは、曰く言い難い無の心である。禅はこの無を表すために象徴という方法をとる。達磨の図も十牛図も、石庭も茶室もそういう表しがたいものを、象徴的に表す手段に他ならなかった。
歌、俳句、能、茶、花、それらはすべて簡単な言葉や形の中に、無限に深い世界の象徴を見ようとする芸術である。
現代文化に疲れた人間たちは、あの一切の分別を超えたかにみえる禅の世界に、現代の機械文明の重荷を切り捨てる妙薬を見つけるかもしれない。

私は、鈴木大拙氏のように、禅をすぐれた仏教の一派であり、それが日本文化に大きく影響を及ぼしたことを認めるが、禅以外の日本の仏教が禅よりもはるかに浅い仏教であり、禅が一番大きな影響を日本文化に与えた宗教であることを認めようと思わない。禅より深い仏教もあり、また禅より日本文化に影響を与えた仏教が日本には存在しているのである。ちなみに平安仏教といわれるもの、仏教史の常識からいえば貴族仏教であり、祈祷の仏教にすぎないと見られる密教と天台の教えを、禅と比較してみよう。

空海に影響を受けた梅原猛氏の思いがここにある。鈴木大拙氏は日本仏教は鎌倉仏教以後に充実したと説くが、平安仏教において、それが単なる祈祷仏教ではなく、大変深い思想がそこにあったことにわれわれはもう一度目を見開かなければならない。