「言葉」という記号

 始まりは、「神と人間の関係」は主眼点だった。そして、A.D.1000-1100中世には、神が実在するのか、名前だけで実在しないのかという次元に変わっていく。

AD1500頃、イギリス経験論といわれる、存在、感覚(知覚)のみが存在し、実体はない。因果関係は、経験(習慣)による思い込みであるという考えが生まれてきて、また一方では、A.D.1600大陸合理論と呼ばれる、無限の実体は「神」。有限の実体は、精神と物体。人は、基本的な観念を生まれつき持っているとした。さらに、形や重さも主観的な観念にすぎないという考えも生まれてくる。

A.D.1875 フッサール(現象学)に始まり、AD1950ハイデッガー、サルトル(実存主義)などは、世界は自分の主観の中にだけ存在しているものであり、客観がないとする。
AD1850 フレーゲ(分析哲学)は、哲学の役割は、言語の意味を分析することだといった。

 1900年代に入り、ソシュールによって、存在について新しい見方が提唱された。人の認識のあり方は、「言語ともの」との関係性については、言語の社会的側面と言語の個人的側面といった個人的なの運用によるもので、それぞれの言語を話す人々は、どの差異を区別し、どの差異を無視するかということを恣意的に選択しているのである。そして、その選択がその言語に固有の語体系を作るのであり、その語体系は、その言語の話者族に、現実世界を与えるものだとした。
 ここで、「思考」が、個々人の頭の中で「言語」によってなされるとすれば、その結果さえ「客観」ではないことになる。

AD1950 ルートヴィッヒ・ウィットゲンシュタインは、前期には、語りえぬものは沈黙しなければならない。理論上確かめられないものを、言語にしようとするのは間違い。哲学の役割は、言語にできる命題とできない命題を分けることだ。としながらも、後期には、日常言語から科学的言語が体系化される。いくら日常言語を分析しても、それを扱う自分自身がその構造の中にあるので、その全貌をとらえることができないという。

AD1950 レヴィストロース(構造主義)、フーコーは、ソシュールの後を受けて、人間の思考や行動はその根底にある社会的・文化的な構造に支配されている。その差異が個人であるとする。

その後を受けて、現代にいたるまで、アメリカを中心にした科学哲学派(理論実証主義)ボバー、クーンらがいう矛盾のない記号のような厳密な言語を作ろうという考えと、イギリすでの日常言語派・・ギルバートライル、ジョン・L・オースティンらによる、日常言語から、哲学の問題を考えようという人たちがでてきた。