高野山 金堂の仏像配置について  
                  大柴先生のお話             H30.6.28


 高野山の金堂は、創設当時は講堂で、嵯峨天皇の御願堂だった。そして、その嵯峨天皇の血脈は、阿しゅく如来だったため、講堂のご本尊は、阿しゅく如来であった。

 創設当初の仏像配置は、金剛界曼荼羅の八十一尊から、成身会の下(東)阿しゅく如来の五尊と明王二尊と考えるのが、妥当か?

当初
  降三世明王   喜金剛  王金剛   阿しゅく如来  金剛薩埵  愛金剛  金剛界不動明王

   であったようだ。

 現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成。本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)は、高村光雲仏師によって造立されました。


火災消失以降
  金剛王菩薩、 降三世明王、 虚空蔵菩薩  薬師如来  普賢延命菩薩、 不動明王、 金剛薩埵

 

平成28年、高野山開創1200年、金堂の秘仏が公開された。高村光雲の薬師如来は、予想以上に大きく、またその白木の尊像は、まばゆいばかりだった。

見ると、左手は、触地印(そくちいん)である。

降魔印ともいう。坐像で、手の平を下に伏せて指先で地面に触れる。伝説によると、釈迦は修行中に悪魔の妨害を受けた。その時釈迦は指先で地面に触れて大地の神を出現させ、それによって悪魔を退けたという。このため触地印は、誘惑や障害に負けずに真理を求める強い心を象徴する。釈迦如来のほか、阿閦如来天鼓雷音如来が結ぶ。(WIKI)