☆二度目の結願
  
  春には春のお参りがあり、冬には冬のお参りです。
  1番札所には、真新しい白衣の老夫婦が、たどたどしいお経をあげておられました。発心の喜びが、うれしいですね。別格最後の大滝寺には、雪と凍結のなか軽四輪でご夫婦が、「妻の病気平癒のため」と大声で夫が祈る姿が思い出されます。

  仏に会うために生を受けたのではなく、仏の道を歩むために生まれてきたのかもしれませんね。そう思う喜びこそ、生の証でしょうか。「自分が不幸」だと思いながら生きるのは、とても苦痛です。そうではなく、自分の存在が「他の人の幸せ」に関与できるなら、それが「慈悲」ですよね。

  「悲しみ」=「愛しみ」(かなしみ)です。「慈しみ(かなしみ)」。だからこそ、うれしいのではないでしょうか。こころは、おだやかです。

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