☆「其中一人(ごちゅういちにん)」という言葉

  私が初めてこの言葉に出会ったのは、やはり仏教を学びはじめてからです。

  知識としては、種田山頭火のいくつかある庵のひとつとして、その名前というのは知っていました。山頭火は大好きな歌人です。自由律無季題という、伝統的な俳句ではなく、思うままに言葉をつなぎ、そのなかにリズムがある。魅力的な俳句です。

  ある日、観音経の全訳をHPにUPしようと勉強を始めたとき、この言葉「其中一人」をみつけました。有名な言葉のようです。

   「分け入っても分け入っても青い山」

  種田山頭火は、山口県小郡に其中庵(ごちゅうあん)を結びます。

  「曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ」
  「どうしようもないわたしが歩いてゐる」
  「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」  

  庵名は、観音経の「其中一人 作是唱言(ごちゅういちにん さぜしょうごん)」を借用したものとされています。

  『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)

   若三千大千国土    満中怨賊  有一商主将諸商人  斉持重宝経過険路  其中一人作是唱言   諸善男子勿得恐怖  汝等応当一心称   観世音菩薩名号    是菩薩能以無畏   施於衆生汝等若   称名者於此怨賊    当得解脱

      もし、この世に多くの盗賊がおり、その中を商い主が率いる諸々の商人が貴重な宝物を持って、険しい路を通り過ぎ様とする時、その中の一人が「皆さん、恐れることはありません。観世音菩薩の御名を一心にお唱えしたなら、観世音菩薩は救ってくださいます」これを聞いた商人達は「南無観世音菩薩」と唱え、その功徳によって盗賊の難から逃れる事が出来た。

  二度松山の町を通りました。残念ながら、一草庵(松山市御幸)をみていません。でも、いつか訪れたいところです。念願叶って、19.2.12 訪れました。



  14年12月15日には終焉の地松山に一草庵を結びます。一所不在、所詮はやるかたなき放浪の性ゆえでしょうか。一草庵は松山市御幸、御幸寺境内にあります。

  

  草むらの中に「春風の鉢の子一つ」の句碑。 「おちついて死ねそうな草枯るる」

     

  山頭火が、命名したのではなく、お世話していた人たちが山頭火を見て、「其中一人」と感じたのだと思います。

  わたしは、そんな人でありたい。

  救世主やヒーローではない。ましてや、達観した聖人や阿闍梨でもない。そうではなく、おおぜいのなかでひとり、「南無観世音菩薩」と言えるひとでありたい。信仰心がひとより深いとか、状況判断が早くていち早く言えるというのでもない。ふと口から、自然に出るひとでありたい。

  遍路をしていると、本当にきつい山道や階段があります。そんなとき、「不動真言」や「ご宝号」そして、「南無観世音菩薩」。ふと口と突いて出てくるひとでありたい。

  「仏は、守ってくれるが助けてくれないよ。」というのは、わたしが以前思ったことです。その通りだと今も思います。そこには、自己欲求(望むこと)があるのです。だから、「助けて」とか「力をください。」ではなく、なにげなく口から出てくる。「同行二人」とは、そういうものかと。


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