☆NHKドラマ「ウォーカーズ」を観て


 平成18年11月から4回ドラマで、「ウォーカーズ」という遍路ドラマがありました。遍路に出ているものとして、見逃せないとビデオを駆使してみました。
 
 内容的には、何組かのカップルが、それぞれの人生の荷物を背負い、澱を溜めて遍路に出る。そうして、その人間関係と自己省察を繰り返し、変化し、また戻っていくという筋でした。

 言わんとすることはわかりましたが、どうももうひとつすっきりこないのです。よくよく考えてみました。

 遍路に出て、自分を考える時間がたっぷりあり、自分として深くなるというのは、きっと歩いたことのない人の、あこがれというか、理想的価値観かもしれませんねえ。

 私は、すこし違います。遍路に出て、なるほどいろいろ考えます。でもね、あの心臓破りの坂道を歩いていると、何も考えられなくなります。足が、前に進まない。息が切れて、死ぬかと思う。大げさでなくて、本当にそう思います。

 そう、頭が真っ白になるんです。そうしたら、なにをくよくよ思っていたのか、何をあれこれ思っていたのか,ばからしくなってくるんです。なにもかも、つまらない、取るに足らない瑣末なものに思えてくるんです。

 そして、砂漠に水が浸み込むように、周りの人たちの優しさや思いやりを、本当にありがたく思えるようになるんです。自己主張なんて、意味ないのです。きっとあのお接待というのは、そんな白紙の遍路に最初の教えとして、ありがたさを植えつけてくれるものなのでしょう。

 ドラマでは、自己省察がテーマだったように思います。批判ではなく、それもまたありですよね。車での遍路やバス・電車遍路をすると、そうだよなあって思えます。これもまたよしです。

 歩きは、もっと自然の怖さややさしさ、自分の小ささを教えてくれるような気がします。何人もの掛け連れは、まずないかと思います。でも、ふと見かけた方やわずかな言葉を交わした方にもそれはそれで、いい思い出になります。みんな、何かを背負って遍路しているのですからね。

 「無」なんて難しいことは考えなくても、無になれる遍路をわたしは、続けます。あの「へろへろ」な体と心を何度も体験したいから。

 前に、不登校の子供が一人で遍路して、満願のころには完全に回復していたと聞いたことがあります。いま、いじめや自殺、児童虐待なんてものが横行しています。みんな、四国に行けばいいのに。

 目的や課題、期待や欲、逃避ではなくて、なにも考えられなくなる時間を持つのが、わたしの遍路です。また、お四国に出ます。あの金剛杖が磨り減って、使えなくなるまで歩きたいと思っています。

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