☆札所の犬が、もう居ない
年末に、わずか二泊ですがお四国に向かいました。
今回は、33番から40番です。高知県札所をみんなまわろうと。
以前、四国別格札所の満願お礼参りに別格1番大山寺に二度目に行ったとき、1年前初めてお参りで出会ったよぼよぼのワンちゃん。ベンチで休憩していたら、とことこ様子を見に来てくれて、パンを食べてくれました。二度目にいったら、若い一回り小さい犬に代わっていました。
徳島の太龍寺から平等寺への峠越えにずっと案内してくれたワンちゃん。ネットでみたうわさでは、もう行方知れずらしくて、三回目の遍路の時どんなにさみしい思いで、あの峠を越えたことか。
今回、35番清瀧寺に向かうとき、またあの老いぼれゴールデンレトリバーに会うのを楽しみにしていましたが、納経所の周りがきれいに改装されてて、ベンチもあのワンちゃんもいませんでした。
38番岩本寺には、「機嫌が悪いとかみつきます」の看板があるヒロちゃん。二回とも犬小屋でねていました。今度はどうかなと、見ますと犬小屋はありましたが、ヒロ君がいません。散歩だったのでしょうか。小屋もきれいで、いやな予感です。
犬たちに会えなかったのが、残念で。老い、死に行くのは生き物の定めですが、こころの一部が消えていくようで、この辛さは「苦」ですね。
何度、どんな別れをしても、この辛さを満たすものはありません。せめて、いい思い出を抱いて過ごすことでしょうか。
我が家には、もう何代目か、犬がいます。猫は3匹います。もちろん、何度も死に遭遇しています。
「満足」とか、「渇き」とか、生き死にの営みのなんたるかは、今生きているものには分からないのでしょうかね。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」
お大師さんのおっしゃる「悲しみ」がわかってきたような。あまりにも辛いものですね。