☆褒めてほしい気持ち。

 88番大窪寺の山門を下りていくと、横の店のおじさんが、寒かったろうと生姜湯のお接待。おなかの中までしみわたりましたよ。 「歩いたの?」「女体山を越えました。」「あそこは遍路道じゃなく、行者道だよ。」と呆れ顔。

 ちょっと褒めて欲しかった自分が、小さく見えました。喜びというのは、自分だけの満足なんですね。自慢したり、いたわってほしいという甘えに気づいて、ほんとうにつらい瞬間でした。最後の最後にまた、教えられました。すごいことを成し遂げたような気になっていました。

 今の自分では、精一杯でも、絶対的価値ではないのです。価値という概念すら無意味です。遍路は、その無意味・無価値を学ぶ道です。生きているのではなく、生かされているのです。達成感というもの、そのものも越えなければいけません。まだまだです。

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