悟りに到るまで

人の一生というのは、どんなものでしょう。

仏教の教えの順序として、一生は”苦”であると規定します。

四苦八苦
 
1.生(しょう) 生きるということは苦である。
2.老(ろう) 老いていくことは苦である。
3.病(びょう) 病にかかることは苦である。
4.死(し) 死ぬということは苦である。

5.愛別離苦(あいべつりく) 愛するものと別れるのは苦である。
6.怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎む者と会うのは苦である。
7.求不得苦(ぐふとっく) 求めても得られないのは苦である。
8.五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊とは色・受・想・行・識のこだわりの苦しみ。簡単に云うと、人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身・)で感じるものや心で感じる人間の肉体や精神活動すべてが物事にこだわりをつくる苦しみ。

 釈尊は、このように「苦」の分類を八種類に分類され生・老・病・死を「四苦」といい次の「四苦」愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を合わせて「八苦」と呼びます。

そうして、今度は人の心に有る”迷い”について

五逆  五種のもっとも重い罪悪。

母を殺すこと、
父を殺すこと、
阿羅漢を殺すこと、
僧の和合を破ること、
仏身を傷つけること

の五つをいい、これを犯すと無間地獄(むげんじごく)に落ちるとされ、五無間業と呼ばれます。


また、私たち衆生のいましめでもあり、守るべき具体例として十の戒律が示されます。
僧には、250もの戒律があります。

十善戒

不殺生 不偸盗  不邪淫 不妄語  不綺語 不悪口  不両舌 不慳貪  不瞋恚 不邪見


十悪  身・口・意の三業が作る十種の罪悪。

殺生・偸盗・邪淫の「身三」、妄語・両舌・悪口・綺語の「口四」、貪欲・瞋恚・邪見の「意三」の総称。

これらは、仏教の特別な戒律というより、人として社会に生きる当然のもののようです。


お釈迦様の教え(初転法輪)

三法印・四法印

 お釈迦様が、初めて悟りを開かれた『初転法輪(しょてんほうりん)』で、私たちの生活する娑婆世界は、

諸行無常 (しょぎょうむじょう):この世の中で常であるものはなにもなく絶えず変化している

1.この世のすべての現象は変化するものである。

2.すべてのものが移り変わることをはっきり知って、目の前の小さな変化に驚いたり、じたばたしないような心を持ちなさいという教え。

3.生命の強さ、積極的な人間の生き方を知り、お互いに感謝し会い、平等愛と一体感を持って仲良く暮らしていかなければならないという実感(一大事)を持つことが出来る。

一切皆苦(いっさいかいく):一切は皆苦であると知ること

諸法無我(しょほうむが):本来、我(われ)となる主体はない

1.この世の中のすべてのものごとは必ず他のものとつながりがあるもので、他と切り離されて孤立しているもの(すなわち我)はない。

2.自分が堕落していたり、のんびりと立ち止まっていることは大勢に迷惑を掛けることである、少しずつでも向上していこうという悟り。

3.切っても切れない生命の関係を知ることにより、小さな自我にとらわれず、自分本位の考え方をせず、それによって対立、争い、奪い合い、殺し合いなどの生命の歩みを止めるような逆のエネルギーを生じさせないようにすることが出来、寂光土を見ることが出来る。

涅槃寂静 (ねはんじゃくじょう):一切のとらわれやこだわりを離れた姿

1.心身の完全な安らぎの状態であり、生命本来の創造と調和の状態。

2.迷いをすっかり吹き消してしまってこそ、人生苦というものがすっかり無くなって、平穏な安定した生活が得られるという教え。

3.諸行無常と、諸法無我を悟ることによって得られる理想の境地。

十二縁起(因縁)・・・人間が「」を感ずる原因
 

四諦   苦諦、集諦、滅諦、道諦

「人生は苦の世界であることを直視し(苦諦)、その本当の原因をつかみ(集諦)、そして日々の修行によって(道諦)、あらゆる苦悩を消滅せよ(滅諦)」という教え。

苦諦
「人間の存在はすべて苦であることを悟り、しかもそれから逃げ隠れしないで、その苦の実体を見つめよ」という教え。

集諦
「苦の起こった原因を探求し、反省し、それをはっきりと見極めよ。その為には十二因縁、諸法実相の相・性・体を知ることである」という教え。

滅諦
「縁起の法則に従って、苦の大本の原因である無智と煩悩を見極めれば、苦の闇は必ず智慧の光りに消えるということ。この人生苦を滅した安穏の境地は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三大真理を悟ることによって始めて達せられる境地である」という教え。

道諦
「滅諦に至る道は、八正道、六波羅蜜を行ずることである」という教え。


ここまでの境地に達したら、いろいろな体験ができるようです。

佛を供養するときに起こる超常現象や、佛から放たれる超常現象のこと。此土の六瑞、他土の六瑞


その上に、ではどうして生きていけばいいのかということについて、8っつの目標が示されます。


八正道(はっしょうどう)
 
正見
 自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。
正思
 自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
正語
 恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
正行
 本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。
正命
 衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。
正精進
 自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります。
正念
 仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。
正定
 心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
 

真言宗では、「即身成仏」という考えをもとにします。私たちもすでに「ブッダ(さとりをひらいているひと)」である。
だからこそ、もっと勤め行い、高まらねばならないと説きます。

高まるには、どうしたらいいのでしょう。

六っつの指針が示されます。「波羅蜜」です。

六波羅蜜

(1) 布施波羅蜜
   (a) 財施
 財施と言うのは、文字通り、金銭や物品を他人に施す物質的な布施のことをいいます。
 地震や水害時などの衣類・毛布・食料等々の生活用品や義援金なども、この財施にあたります。

  (b) 法施
 法施は、仏様の理想とする教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導くことをいいます。
 出家者たる僧侶の方は、この法施の第一線に立つのが本来の役目とされています。また、仏様
 の教えを信じる在家の方も、縁ある人に仏様の教えを伝えることがとても大事なことだといわれ
 ております。

  (c) 無畏施
 無畏施というのは、人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施をいいます。その気になれば、
 たとえ、経済的にゆとりのない境遇の人でも、自分の体を使って労力を提供したり、いたわりの言
 葉をかけたり、優しさのある微笑で人と接したりすることは出来るものです。心がけ次第で、困って
 いる人達のために、「布施の心」は持てるはずです。

 仏様は、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中で、財力もなく知恵も無いという人の為に、
 次に掲げる『無財の七施』をお説きになりました。

無財の七施
 眼施(がんせ)      優しい眼差しで人に接する。
 和顔施(わがんせ)   和やかな明るい顔で人に接する。
 言辞施(ごんじせ)    優しい言葉をかける。
 身施(しんせ)      身をもって布施する。
 心施(しんせ)      心の底から人を思いやる慈悲心を施す。
 牀座施(しょうざせ)  例えば、先輩やお年寄りに自分の席を譲る行為。
 房舎施(ぼうじゃせ) 例えば、困っている旅人に一夜の宿を提供したり、休憩の場を提供したり
               する行為(昔はお遍路さんなどに対して行われていた)。

(2) 持戒波羅蜜
 持戒波羅蜜(じかいはらみつ)は、別名、尸羅波羅蜜(しらはらみつ)ともいい、戒律を堅固に守ることをいいます。持戒の意味ですが、これは、仏から与えられた戒(いまし)めによって悪業の心を対冶して、心の迷いを去り、身心を清浄にすることで、戒を守ることを教えたものです。これらの教えを守り、身を慎むことを律といいます。総じて戒律といいます。

 代表的な戒に五戒(ごかい)・十戒(じっかい)があります。

五戒律
不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。

 以上が五戒律といわれるものです。この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。
十戒律(五戒律含む)
不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
不瞋恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

 
(3) 忍辱波羅蜜
 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)は、別名、せん提波羅蜜(せんだいはらみつ)ともいいます。忍辱、これは、瞋恚(しんに)の心を対冶して、迫害困苦(はくがいこんく)や侮辱等を忍受(にんじゅ)することです。チョットの事でキレ易くなっている現代の人間には、特に必要なことだと思います。

 また、自分に侮辱や損害を与え、人を裏切るような相手に対しても、単に怒りや恨みの心を抱かずに、慈悲心から、そういう不幸から救ってあげようとする気持ちが起きるようになります。また、他の人から、「あなたは仏様のようだ」、「あなたが神様のように見える」などとおだてられても有頂天にならず、じっくりと自分を省みて、優越感を持つこともなく、さがる心を持するのも、皆「忍(にん)」の心なのです。

 (4) 精進波羅蜜
 精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)は、別名、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)といい、懈怠(けたい)の心を対冶して、身心を精励して、他の五波羅蜜を修行することです。この精進ですが、「精」という言葉は「まじりけのない」という意味です。
 
(5) 禅定波羅蜜
 禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)は、別名、禅波羅蜜(ぜんはらみつ)といい、心の動揺・散乱を対冶して、心を集中し安定させ、真理を思惟(しゆ)することです。禅定波羅蜜の「禅」とは「静かな心」、「不動の心」という意味です。「定」というのは心が落ち着いて動揺しない状態です。

(6) 智慧波羅蜜
 智慧波羅蜜(ちえはらみつ)は、別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)といい、一切の諸法に通達して、愚痴の心を対冶し、迷いを断ち、真理を悟ること、または諸法の究極的な実相を見極めることをいいます。


6つの「波羅蜜」を実践し、自分が深まり高まって行きますと、ひとつの”悟り”が見えてきます。

”悟り”は、”諦め”です。”欲”が無くなる状態が”諦め”ですね。4つあるようです。



此土の六瑞
1.説法瑞、 2.入定瑞、3.雨華瑞、4.地動瑞、5.衆喜瑞、6.放光瑞

他土の六瑞
1.見六趣瑞、 2.見諸佛瑞、3.聞諸佛説法瑞、4.見四衆得道瑞、5.見菩薩修行瑞、6.見諸佛涅槃瑞

ただ、いろいろなお寺や仏像にお会いしていくと、なるほど「奇跡」ではないのでしょうが、

だんだんそれが分かってきます。おおくの人が、体験し体感しているようです。


でも、それをそれだけを望むのが、信仰ではありません。ましてや”苦”から逃れるのが信仰で

ないのは、みなさんお分かりです。「苦しいときの神頼み」などという諺は、江戸期の俳諧師の

戒めの言葉(戯言)です。これからも、自分の速度で、深まり高まっていきたいものです。



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