六波羅蜜(ろくはらみつ)

『不幸とは、自分の心の中にある無明であり、智慧がなく世の中の道理に暗い状態を意味しています。
人間は、自分に不幸が降りかかると、その原因を自分以外のものに責任転嫁しようと試みます。
宗教の目的の一つは、自分に降りかかる苦からの離脱であると言っても過言ではないでしょう。
そして、この不幸の原因を見いだし、納得した解答が得られて、はじめて人は安心の境地を得るのです。』

そんな解説をどこかで聞いたことは、ありませんか。

最近、「即身成仏」を学び始めて、”不幸”という言葉を考え始めました。
信仰は”幸福”のためのものです。”不幸”からの解放ではないと思います。

自分を遥かに高めるために、今の自分からの出発であり、より”幸福”になるための努力です。
だからこそ、戒めがあり、目標があり、それこそ”こころの解放”ですね。

仏教では、6っつの波羅蜜こそ、私たちが「発心」し「お勤め」をして「菩提心」をもつことができる
究極の目標であり、到達点として示されます。

「雜寶藏經」は、とても多くの話(説話、寓話)を説いています。その中に、布施波羅蜜に関して
書かれている部分があります。


(1) 布施波羅蜜
   (a) 財施
 財施と言うのは、文字通り、金銭や物品を他人に施す物質的な布施のことをいいます。
 地震や水害時などの衣類・毛布・食料等々の生活用品や義援金なども、この財施にあたります。

  (b) 法施
 法施は、仏様の理想とする教えを説き、迷い悩む人を救い、悟りの世界へと導くことをいいます。
 仏様の教えを信じる在家の方も、縁ある人に仏様の教えを伝えることがとても大事なことです。

  (c) 無畏施
 無畏施というのは、人の悩みや恐れを取り除き安心を与える布施をいいます。その気になれば、
 たとえ、経済的にゆとりのない境遇の人でも、自分の体を使って労力を提供したり、いたわりの言
 葉をかけたり、優しさのある微笑で人と接したりすることは出来るものです。心がけ次第で、困って
 いる人達のために、「布施の心」は持てるはずです。

 仏様は、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の中で、財力もなく知恵も無いという人の為に、
 次に掲げる『無財の七施』をお説きになりました。

雜寶藏經卷第六

(七六)七種施因縁
佛説有七種施。不損財物。獲大果報。
一名眼施
常以好眼。視父母師長沙門婆羅門不以惡眼。名爲眼施。捨身受身。得清淨眼。未來成佛。得天眼佛眼。
是名第一果報。
眼施(がんせ)      優しい眼差しで人に接する。

和顏悦色施。於父母師長沙門婆羅門。不顰蹙惡色。捨身受身。得端正色。未來成佛。得眞金色。
是名第二果報。
                 和顔施(わがんせ)   和やかな明るい顔で人に接する。

三名言辭施
於父母師長沙門婆羅門。出柔軟語。非?惡言。捨身受身。得言語辯了。
所可言説。爲人信受。未來成佛。得四辯才。是名第三果報。
                言辞施(ごんじせ)    優しい言葉をかける。

四名身施。於父母師長沙門婆羅門。起迎禮拜。是名身施。捨身受身。得端政身。長大之身。人所敬身。
未來成佛。身如尼拘陀樹。無見頂者。是名第四果報。
                身施(しんせ)      身をもって布施する。

五名心施
雖以上事供養。心不和善。不名爲施。善心和善。深生供養。是名心施。捨身受身。得明了心。
不癡狂心。未來成佛。得一切種智心。是名心施第五果報。
                心施(しんせ)      心の底から人を思いやる慈悲心を施す。

六名床座施
若見父母師長沙門婆羅門。爲敷床座令坐。乃至自以已所自坐。請使令坐。捨身受身。
常得尊貴七寶床座。未來成佛。得師子法座。是名第六果報。
                牀座施(しょうざせ)  例えば、先輩やお年寄りに自分の席を譲る行為。

七名房舍施
前父母師長沙門婆羅門。使屋舍之中得行來坐臥。即名房舍施。捨身受身。得自然宮殿舍宅。未來成佛。
得諸禪屋宅。是名第七果報。
                房舎施(ぼうじゃせ) 例えば、困っている旅人に一夜の宿を提供したり、
                休憩の場を提供したりする行為(昔はお遍路さんなどに対して行われていた)。

是名七施。雖不損財物。獲大果報


(2) 持戒波羅蜜
 持戒波羅蜜(じかいはらみつ)は、別名、尸羅波羅蜜(しらはらみつ)ともいい、戒律を堅固に守ることをいいます。持戒の意味ですが、これは、仏から与えられた戒(いまし)めによって悪業の心を対冶して、心の迷いを去り、身心を清浄にすることで、戒を守ることを教えたものです。これらの教えを守り、身を慎むことを律といいます。総じて戒律といいます。

 代表的な戒に五戒(ごかい)・十戒(じっかい)があります。

五戒律
不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。

 以上が五戒律といわれるものです。この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。
十戒律(五戒律含む)
不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
不瞋恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

 
(3) 忍辱波羅蜜
 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)は、別名、せん提波羅蜜(せんだいはらみつ)ともいいます。忍辱、これは、瞋恚(しんに)の心を対冶して、迫害困苦(はくがいこんく)や侮辱等を忍受(にんじゅ)することです。チョットの事でキレ易くなっている現代の人間には、特に必要なことだと思います。

 また、自分に侮辱や損害を与え、人を裏切るような相手に対しても、単に怒りや恨みの心を抱かずに、慈悲心から、そういう不幸から救ってあげようとする気持ちが起きるようになります。また、他の人から、「あなたは仏様のようだ」、「あなたが神様のように見える」などとおだてられても有頂天にならず、じっくりと自分を省みて、優越感を持つこともなく、さがる心を持するのも、皆「忍(にん)」の心なのです。

 (4) 精進波羅蜜
 精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)は、別名、毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)といい、懈怠(けたい)の心を対冶して、身心を精励して、他の五波羅蜜を修行することです。この精進ですが、「精」という言葉は「まじりけのない」という意味です。
 
(5) 禅定波羅蜜
 禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)は、別名、禅波羅蜜(ぜんはらみつ)といい、心の動揺・散乱を対冶して、心を集中し安定させ、真理を思惟(しゆ)することです。禅定波羅蜜の「禅」とは「静かな心」、「不動の心」という意味です。「定」というのは心が落ち着いて動揺しない状態です。

(6) 智慧波羅蜜
 智慧波羅蜜(ちえはらみつ)は、別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)といい、一切の諸法に通達して、愚痴の心を対冶し、迷いを断ち、真理を悟ること、または諸法の究極的な実相を見極めることをいいます。

これらの六っつの「波羅蜜」をいつも心がけ、せめて「布施波羅蜜」を実行していきましょう。そんな境地を実践したいと思います。


<参考>十界六度  修験道の資料より  大峰奥駈   http://www.kcn.ne.jp/netpress/omineokugake/part1.html

十界の修行を行うことによって人間的に一段と成長し、上求菩提下化衆生の思いに徹し、六波羅蜜の実践に適した人格を作り上げる。

1、地獄界……あらゆる苦しみに耐える行
地獄は耐え難い苦しみの世界である入峰修行の折、炎熱に汗を流して苦しみ、風雨、寒さを忍んでよく耐えることは、地獄道克服の行である。

2、餓鬼界……足るを知るの行
餓鬼は貧欲が飽くことがなく、しかも飢渇(空腹とかわき)に苦しむ。空腹を感じ、水に餓え、不平不満を云わず、粗食に甘んじるを知る事は餓鬼道克服の修行である。

3、蓄生界……労働の苦に耐えるの行
牛馬動物は重い荷物を負って苦役に使われた。入峰修行は重い荷物を担い急坂を登り、悪路を超えて苦労を厭わず行わねばならない。人生もまた苦しい試練を乗り越え、労働作業をいとわずに生きなければならない。即ち畜生道克服の修行である。

4、修羅界……精進の行
阿修羅は勇猛の神である。峰中道中の厳しさね寒さに乏しい食事にともすれば挫ける心を、勇猛心で克服する精進の行である。

5、人間界……懺悔反省の行
心の罪垢煩悩(ざいくぼんのう)を洗い清め、本有(もともと持っている仏性)心に生まれ変わるのが人間行である。悪を止め懺悔をし善を行うことである。「諸悪莫作 諸善奉行」即ち悪を止め善を行うのは仏教の根本を示す行である。「懺悔懺悔 六根清浄」と生きるところに人間の行がある。

6、天道界……よろこびの行
天は歓喜の世界である。山頂に登り眺めを楽しみ、導いていただいたよろこびに充ち、寿命の延びる思いをするのは天道の行である。
7、声聞(しょうもん)界……喜んで教えを聞く行
先達に従って法を聞き、仏道を理解することは声聞行に当たる。峰中の伝承や行事などを先達に聞いて通達するように努める

8、縁覚(えんがく)界……沈思黙考の行
こうして人間が出来てくるとふとした機縁で悟ることがある。目からうろこが落ちるという。雲が動く、水が流れる、風が吹く、静かに沈思して大自然の中に身を置き、神仏と一体感を持つところに、人間界のせせこましい煩いから離れるのではないか。

9、菩薩界……奉仕の行
菩薩行は六波羅蜜の行とも云う。同行あい助け、現実には新客を導き、己を忘れて他を利する奉仕をするのである。これを上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげかしゅじょう)という。

10、仏界……感謝祈願の行
山中大自然の中に溶け込み、神仏と一つになる心となり、自然に仏性仏心がわき出て、有難うございましたという感謝の心を採灯大護摩供に託し、世界平和、浄仏国士を祈る感謝報恩の世界である。


十界の修行の中でも菩薩の六波羅蜜行というのが、最も大切な修行である。六波羅蜜は、六度ともいい、次の六つが身に付き、体得できたら彼の岸、即ち悟りの世界に渡るのである。波羅蜜とは到彼岸、完全な、絶対のという意味がある。

一、壇(だん) [布施] 波羅蜜(ばらみつ) 

霊場、行場などで先達がその歴史や由来を語り、法話するのが「法施(ほうぜ)であり、空腹のもの、渇した者に食料を分け、水筒の水を飲ますのが「財施(物施)である。苦しんでいる物の荷を持ち、落ち込んでいる者に精神的な支えをするのが「無畏施(むいせ)」である。

二、尸羅(しら) [持戒]波羅蜜(ばらみつ) 

戒とは規則である。先達、師僧の指示を守り、礼儀作法を重んじ峰中の規律をまもり、正しい行動は戒を保つことである。日常生活でも大事なことである。

三、孱提(せんだい) [忍辱] 波羅蜜(ばらみつ) 

暑い、空腹、疲れたなど自分勝手だけを言っていては修行にならない。よく苦しさを耐え忍び、辛抱し譲りあって修行する(生きて行く)ところに忍辱(にんにく)の行がある。

四、琵梨耶(びりや) [清進] 波羅蜜(ばらみつ)

勇気をもって善を行い、悪を絶ち切る心の作用を云い、これは精神を込めて努力するものであるる肉食しないことを清進というが贅沢を避け粗衣粗食をものともせず努力し、清浄な気分で修行に打ち込むところに清進の行がある。

五、禅那(ぜんな) [禅定] 波羅蜜(ばらみつ)

心を一所に定め、散乱させないことを禅那という。入峰修行の時、断崖絶壁でよそ事を考えるだろうか。一心に仏を念じね心一つにしてこそ禅定である。

六、般若 [智恵] 波羅蜜(ばらみつ)

私欲や邪見、執着を離れると、正見(正しく物事を観察する)の智恵が働いて、人が本来持っている心(仏の慈悲心)を発揮できる。山は正見智を磨くのに適している。


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