釈尊の巡礼路



課題図書『パーリニッバーナ -終わりからの始まりー』下田正弘 NHK出版


1. 課題図書の要約
 初期仏教の経典の中でも、『マハーパリニッバーナスッタンタ』は、『遊行経』『大般涅槃経』などと3世紀以降の中国の伝訳もあり、釈尊の最後の旅をチーフに、入滅にいたる歴程とそれに関連するできごとをしるし、法(ダルマ)を一々に説いた経典である。(p.9)
そして、副題である「-終わりからの始まり」とは、象徴的に「釈尊の入滅」から「それぞれの時代における語り直し」による「始まり」を意味している。(p.33)
膨大な初期仏典のなかで、「釈尊の誕生」「出家」「覚り」「伝道」という一連の記事をプロローグとして始まり、エピローグの位置に「入滅」があり、またさらに仏入滅後の結集が続く。こうして教団の運営規則全体は釈尊一代の歴史の中のできごととして構造化されるとともに、『バリーニッパーナ』は釈尊在世中の仏教の歴史と結集によって開始される仏入滅後の仏教の歴史というふたつの異なった歴史を連結する役割を果たしているのである。つまり仏教の歴史は、釈尊の入滅という事実にもかかわらず、この『バリーニッパーナ』の存在によって、釈尊という<うつしみの仏>から教えという<ことばとしての仏>への移りゆきとして全体として一貫される構成となっている。(p.93)

2. 綿密に準備された経典
この本の結論から遡るならば、膨大な初期仏典(または、「阿含」)の中に書かれているいろいろな釈尊に関する逸話や寓話もまた、一人の覚者ゴータマにおける修辞でも装飾でもなく、はるかに計算された<法(ダルマ)>としての、仏教の教義・教えの現実化と正当性を証明するべき、準備された「語り」であったのだろうか。
 また、かの四大聖地たる釈尊誕生の地「ルンビ二―」、正覚の地「ブッダガヤー」、初転法輪の地「サールナート」、そして最後の旅なる「ラージャガハ(王舎城)」からはじまり、入滅の地「クシナーラー」までの布教の道こそが、まさしく信憑性の裏付けとして準備されていたのであろうか。

3. ブッダの生涯。その逸話の必然性について
パーリー経典におけるブッダの生涯エピソードである八相成道(はっそうじょうどう)もまた、教えのメッセージが込められているのであろう。
①降兜率(こうとそつ)・・・前世の釈尊が、白象に乗ってこの世に降りてくる。
これは、過去仏からの継承を意味し、その時代での仏教の正当性を知らしめている。  
②入胎(にゅうたい)・・・摩耶夫人の右脇から入って母体に宿る。
③出胎(しゅったい)・・・摩耶夫人の右脇から生まれ出た。4月8日誕生会
  始祖釈尊の受胎から誕生譚は、その数奇性による選ばれた覚者(正覚)の特異性を示す。
④出家(しゅっけ)・・・29歳、白馬に乗って都から出た。
   いわゆる「四門出遊」は、人間存在の四苦からの解脱の象徴であり、「白」は成功の予感。
⑤降魔(ごうま)・・・6年の苦行の末、菩提樹下で悟りを開こうとする釈尊に、悪魔が妨害する。
  あらゆる成就譚には、無理難題の制覇譚があり、その深さ、大きさ、また難しさを越えること
で、成就譚としての価値を深めている。その正当性や優秀性。また、当時の他の思想や信仰の
否定や克服を意味する。
⑥成道(じょうどう)・・・35歳、菩提樹の下で悟りを開き、仏陀になった。
 「覚醒」は、教祖最大の要素であり、そのセレモニーこそが、信仰の発端であり、極致であろう。
⑦転法輪(てんぼうりん)・・・初転法輪は、5人の比丘に。45年間の説法教化。
  「梵天勧請」を契機として、信仰の道を歩き続け、その折々の人との出会いやエピソードこそ
が、教え(ダルマ)で解説であり、僧団(サンガ)の形成過程を示している。
⑧入滅(にゅうめつ)・・・80歳、クシナーラの沙羅双樹の下で、最後の説法をして亡くなった。
   そして、うつし身の教祖釈尊の死ととこしえの仏である<舎利・仏塔>に変化し発展を遂げ
ていく仏教という宗教の成立こそが、一大叙事詩である「大阿含」に記されている必然性で
あろう。

4.ブッダの最後の旅のルートと意味
 『マハーパリニッバーナスッタンタ』は、クシナーラーにおける「釈尊の入滅」とその直後の「火葬による舎利の出現」が、大きなテーマである。
最後の旅なる「ラージャガハ(王舎城)」からはじまり、パータリガーマ(華氏城)、ヴェーサーリー(毘舎離)、そして入滅の地「クシナーラー」までの布教の道こそが、まさしく信憑性の裏付けとして準備されていたのであろうか。その道は、ガンジス川中流を北西に200km。目的地は、釈尊誕生の地カピラヴァッツであったとされる。
実に計算配慮されたルートをたどることで、またそれぞれの地において配置された出会い、事件、教えの言葉。これこそが、「経典」の醍醐味であり、これこそが、結集において明文化された最も重要な筋書きであったのだろう。『ディーガ・ニカーヤ』等より。       
 
 ①ナーランダー・・・サーリープッターの生地。「縁起」(もろもろのダンマは原因によって生じる。)
 ②ゴータマの渡し・・「五戒」(在家信者の戒律)
 ③遊女アンバパリー・・「四諦」(「苦」からの解脱)
 ④ベールヴァ村の雨季・・「教師の握り拳はない。」(サンガへの教え)
 ⑤アーナンダへの語り・・「自燈明・法燈明」(教祖の否定。ダルマの規定)
 ⑥チュンダの食事・・スジャータの乳粥との共通点。覚りへの布施と涅槃への布施。二つの「布施」
の意味。「托鉢」(出家者)の意味。
 ⑦サーラ樹の林・・完全なる「涅槃」
 ⑧最後の言葉・・「汝、放逸するなかれ。」・・「終わりからの始まり」
 ⑨仏舎利、仏塔・・入滅後の荼毘と遺骨の出現。<教えとなった仏>
サンガと在家集団の確立による、宗教「仏教」の成立
 ⑩如来と仏教経典の進化・・「如是我聞」タターガタ(如来)の永遠性。
   「わたしはこのように聞いた。<ある時>幸ある方は、ラージャガハ(王舎城)のギッジャ
クータ(鷲の峰)にいらっしゃった。」『バリーニッパーナ』冒頭


5. 大乗のめばえ
まさに「入滅」によって、人間であり覚者である釈尊は、「タタガータ」(如来)となり、「うつしみ」から「ことばとなった仏」(法身)と昇華したのである。やがて、大乗仏教においては、「仏の究極的な存在形態」として、その思想体系の中核に位置付けられていくのであるが、その発芽であり、契機であるべく、大阿含『マハーパリニッバーナスッタンタ』は、今に語りかけているのである。