般若心経 意訳です。 (pii派)

『仏の説く大いなる智慧の完成のさとりを話そう。

あの観音菩薩は、大いなる智慧の完成(ブッダになること)を目指して修行していたとき、その本質が、「すべての現象がみな空」であるという概念で、すべての苦悩を越えられたんだ。

どうだい?

今私たちが生きている世界は、見えているものや実感しているものは、実は実体のないもので、実体がないものであるから、いろいろに見えたり感じたり思ったりするものなんだ。実体がないといっても、実感や実際から離れられないものなんだけれどもね。また、実感や実際は、実体から離れて感じ思うのではないしね。同じように、感じることも、見えているものも、思うことも、知っているということもすべて実体がないものなんだよね。

どうかな?

今の世界に存在するすべてのものは、実体がないのだよ。生れたということもなく、滅びたということもない。汚れたものでもなく、かといって清いものでもなく、減ることもなく、増えることもない。

だから、いいかな、

実体がないということにおいて、目の前の具体もなく、感覚もなく、見えるものでもなく、思いもなく、意味もない。 何も見えなく、何も聞こえず、何も匂わず、舌にも感じず、感触もなく、気持ちの浮き沈みもなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触るものもなく、思うものもない。また、さとりの果てが来ることもなければ、迷いが消えてしまうこともない。

こうして、老いも死もなく、老いと死がなくなることもない境地にいたるんだよ。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみをおさえることも、苦しみに耐える道もない。知ることもなく、得ることもない。

それ故に、得るということがないから、金剛さったは 諸仏の智慧の完成を思って、心を闇に包まれることなくすごすんだ。心を襲うものがないから、恐れがなく、怯える心を遠く離れて、永遠の心の平安に入っているんだよ。過去・現在・未来の三世にいます仏(ブッダ)たちは、すべて、智慧の完成を感じて、この上なく大きな正しい目ざめを覚ることができたんだ。

だから、智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみをしずめるものであり、真実であるから偽りがないと知るべきなんだ。その真言は、智慧の完成において 次のように説かれたんだ。

 ぎゃぁてい  ぎゃぁてい  はらぎゃぁてい
  行き行きて、行ける者よ、彼岸に行ける者よ、行きて、静かな涅槃の境地に至り。
  去り去りて、去れる者よ、彼岸に去れる者よ、去りて、根源的のさとりに入る。

 はらそうぎゃぁてい   ぼんじそわか
 彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。

ここに、智慧の完成の心の話を終わろう。 』