お釈迦様の教え(初転法輪)


 三法印・四法印

 お釈迦様が、初めて悟りを開かれた『初転法輪(しょてんほうりん)』で、私たちの生活する娑婆世界は、

諸行無常 (しょぎょうむじょう):この世の中で常であるものはなにもなく絶えず変化している
1.この世のすべての現象は変化するものである。
2.すべてのものが移り変わることをはっきり知って、目の前の小さな変化に驚いたり、じたばたしないような心を持ちなさいという教え。
3.生命の強さ、積極的な人間の生き方を知り、お互いに感謝し会い、平等愛と一体感を持って仲良く暮らしていかなければならないという実感(一大事)を持つことが出来る。

一切皆苦(いっさいかいく):一切は皆苦であると知ること

諸法無我(しょほうむが):本来、我(われ)となる主体はない
1.この世の中のすべてのものごとは必ず他のものとつながりがあるもので、他と切り離されて孤立しているもの(すなわち我)はない。
2.自分が堕落していたり、のんびりと立ち止まっていることは大勢に迷惑を掛けることである、少しずつでも向上していこうという悟り。
3.切っても切れない生命の関係を知ることにより、小さな自我にとらわれず、自分本位の考え方をせず、それによって対立、争い、奪い合い、殺し合いなどの生命の歩みを止めるような逆のエネルギーを生じさせないようにすることが出来、寂光土を見ることが出来る。

涅槃寂静 (ねはんじゃくじょう):一切のとらわれやこだわりを離れた姿
1.心身の完全な安らぎの状態であり、生命本来の創造と調和の状態。
2.迷いをすっかり吹き消してしまってこそ、人生苦というものがすっかり無くなって、平穏な安定した生活が得られるという教え。
3.諸行無常と、諸法無我を悟ることによって得られる理想の境地。

 十二縁起(因縁)・・・人間が「」を感ずる原因
 

 四諦   苦諦、集諦、滅諦、道諦
「人生は苦の世界であることを直視し(苦諦)、その本当の原因をつかみ(集諦)、そして日々の修行によって(道諦)、あらゆる苦悩を消滅せよ(滅諦)」という教え。

苦諦
「人間の存在はすべて苦であることを悟り、しかもそれから逃げ隠れしないで、その苦の実体を見つめよ」という教え。
集諦
「苦の起こった原因を探求し、反省し、それをはっきりと見極めよ。その為には十二因縁、諸法実相の相・性・体を知ることである」という教え。
滅諦
「縁起の法則に従って、苦の大本の原因である無智と煩悩を見極めれば、苦の闇は必ず智慧の光りに消えるということ。この人生苦を滅した安穏の境地は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三大真理を悟ることによって始めて達せられる境地である」という教え。
道諦
「滅諦に至る道は、八正道、六波羅蜜を行ずることである」という教え。


 八正道(はっしょうどう)
 
正見
 自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。
正思
 自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
正語
 恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
正行
 本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。
正命
 衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。
正精進
 自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります。
正念
 仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。
正定
 心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。