即身成仏 真言宗の教えについて

よく聞く言葉ではありますが、本当の意味はどういうことでしょう。
文字からの意味をとれば、「この身、このまま仏となる」でしょうか。

生きながら成仏するという意味から、すぐ想像するのは、高僧が深い穴を掘り、
まずは五穀を断ち、水を断ち、細い竹の管を頼りに穴の中で、経をよみ続けて、
やがて声が細くなり・・聞こえなくなっていく。

私は、日本のミイラとして各地にあるそれぞれの遺体を、「即身成仏」の姿だと長く思っていました。

古来、霊場は赤い土の山にできたといいます。それは、丹(に=ベンガラ)を含む土壌です。
丹は、水銀質であって腐敗を防止し、時に薬として精製します。それが、陀羅丹(尼)です。
有名な仁丹もしかりですね。

でも、私は仏教に出会い、学んでいるうち、この「この身このまま仏」という言葉にどれほどの勇気を
いただいたでしょうか。仏教が、ほかの宗教との大きな違いに、自分の中に仏(仏心)があるという考え
があると思います。それなら、自分をできる限り高め、深めて、少しでもその内なる仏を輝かせることが
できたらと思います。

『成仏』の考えは、仏教の根底にある考え方ですね。その上に、弘法大師は『即身』という概念を
加えます。はるか長い修行(菩薩行)を積み重ね、一歩でも仏に近づけたらという思いは、仏教徒
なら、どなたもお持ちだと思います。でも、今の自分の中にあるのなら、近づくのではなく『目覚める』
ことができるなら、それはすばらしいことだと思います。

 引用『即身成仏義』金岡秀友 太陽出版
 「いかに末世とはいえ、われわれはたしかに、八万四千の法門を眼前にしつつ、世界をおおう惨害と
  混迷のなかにいるではないか。このままで未来への途(みち)を歩むかぎり、われわれの前途に
  あるものは、有限の富が、あるところに偏在し、あるところには欠如し、少数の富み栄えるひとと、
  多数の飢えたるものに二分されて、徐々に、しかし確実に破滅の途を歩んでいくように思えてなら
  ない。」
 「この点にこそ空海が、『はるかに遠い将来においての救い』(三劫成仏さんごうじょうぶつ)にあきたらず
 『現在、唯今の救い』(即身成仏)の可能性にかけた理由があるのであろう。」

  『諸の経論の中に、皆三劫成仏を説く。 いま即身成仏の義を建立する、』

ここで、お大師さまの教えを学び、少しでもその考えが理解できたらと思い、『即身成仏義』の
分析と解釈をしていこうと思います。

参考文献は、宮坂宥勝『空海コレクション2』と『即身成仏義』金岡秀友です。

[弘法大師の教え]

  大師の著書の中で、真言宗義建立に深い関係を持つ著作集「十巻章」
    @『菩提心論(ぼだいしんろん)』 龍猛りゅうみょう
    A『即身義』(『即身成仏義』)
    B『吽字義』(うんじぎ)
    C『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)
    D『二教論』(『弁顕蜜二教論』べんけんみつにきょうろん)二巻
    E『秘蔵宝やく』(ひぞうほうやく)三巻
    F『般若心経秘鍵』(はんにゃしんぎょうひけん)   以上7部10巻

弘法大師『即身成仏義』
 
  構成  (1)序論 即身成仏思想はいかなる文献上の根拠をもって成立するか。
           (二経一論八箇の証文)

       (2)本論 即身成仏思想の仏教的定義
           (二頌八句のげ文)

       (3)各論 即身成仏思想の哲学ーその理論と実践
           @即身成仏思想の形而上学 (六大むげ常ゆが)
           A即身成仏思想の認識論  (四種曼荼羅各不離)
           B即み成仏思想の実践哲学 (三密加持疾顕)

       (4)余論
           @即身成仏思想の世界観(重重帝網名即身)
           A即身成仏思想の仏陀観(法然具足薩般若ー円鏡力故実覚智)

  各論 

     (1)序論 即身成仏思想はいかなる文献上の根拠をもって成立するか。
           (二経一論八箇の証文)

      二経とは、『金剛頂経』と『大日経』、また一論は『菩提心論』。
      八箇所を引用して、問答形式で「即身成仏」を理論的に説明していく。
      二教一論とは、次の八つである。

      @ 『金剛頂経一字頂輪王ゆが一切時処念誦成仏儀軌
      A 『金剛頂ゆが修習毘る遮那三摩地法』、 『分別聖位経
      B 『成就妙法蓮華経王ゆが観智儀軌
      C 『金剛頂ゆが修習毘る遮那三摩地法

      D 『大日経』の「悉地出現品」
      E 『大日経』「真言行学処品」

      FG 龍猛菩薩の『菩提心論

    (2)本論  
       弘法大師の漢詩(二頌八句のげ文)

  『六大無碍(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり   六大は、永遠に結びつき溶け合っている
     六大無碍常瑜伽 體      即身@ー六大
  四種曼荼(ししゅまんだ)おのおの離れず     4つの曼荼羅は真実相をあらわし離れない
     四種曼陀各不離 相      即身Aー四曼
  三蜜加持すれば速疾に顕わる           三蜜が応じあい速やかに悟りの世界が現る
     三密加持速疾顯 用      即身Bー三蜜
  重々帝網(たいもう)なるを即身となづく      あらゆる体が珠さながら照り合うのを即身という
     重重帝網名即身 無碍    即身C

  法然に薩般若(さはんにゃ)を具足して      あるがままに仏の姿をして悟りの智恵をそなえている
     法然具足薩般若       成仏@
  心数心王(しんじゅしんのう)刹塵(せつじん)に
  過ぎたり
                        人々のすべてに心の主体と作用がそなわっている
     心數心王過刹塵       成仏A
  各々五智無際智を具す               心の主体と作用に、5つの智恵と際限ない智恵がある
     各具五智無際智       成仏B
  円鏡力の故に実覚智たり 』            その智恵をもってすべてを鏡のように照らすとき
     圓鏡力故實覺智 成佛    成仏C       真理に目覚めた智者(仏=ブッダ)となる。
       

    (3)各論 即身成仏思想の哲学ーその理論と実践
           @即身成仏思想の形而上学 (六大むげ常ゆが)
           A即身成仏思想の認識論  (四種曼荼羅各不離)
           B即み成仏思想の実践哲学 (三密加持疾顕)
 
    @即身成仏思想の形而上学 (六大むげ常ゆが)

 
     体大(たいだい)・・・もと・本体・本質(物心二元論)「大般若経」「菩薩瓔珞経」。如来の三昧耶心。

          六大ーー地大  堅い性質         すべてを保持する作用
                 ア 諸法本不生(しょほうほんぶしょう)
                   「仏とは、天地の生命と共に無限の命を持っている。」

                水大  うるおい          すべてを受け入れる作用
                  離言説(りごんせつ)
                   「仏とは、その姿も心も我々の言葉筆に尽くしがたい偉大な存在」

                火大  あたためる        すべてを成熟させる作用
                  清浄無垢塵(しょうじょうむくじん)
                  「仏とは、自らの迷いや外の障りに汚れない、清浄なきれいな存在」

                風大  うごき           すべてを養っていく作用
                  カ 因業不可得(いんごうふかとく)
                  「仏とは、どう成仏したか原因も条件も想像におよばない存在」

                空大  他をさまたげない    すべてを包容する徳

                  キャ 等虚空(とうこくう)
                  「仏とは、宇宙大の体を持ち何の障りもなく自由自在に働く存在」

                識大  分別する         すべてを選び決めていく徳
                  ウン 金剛サッタの種字
                  「仏とは、清らかな心をもとに、正しく認識し、判断するすぐれた能力を持つ」

            生命力の根元として現された
          ア  ビ  ラ  ウン ケン ウン  理法身である胎蔵界大日如来真言に
                                悟りの智恵の智法身金剛界大日如来のウン


   A即身成仏思想の認識論  (四種曼荼羅各不離)

      相大(そうだい)・・・すがた・相状・現象
       「それぞれが互いに関連しあい、まるで空間と燈光の、さまたげなくさからいなく、いりあっている」

          四曼ーー大曼荼羅    ・・・目に見える、色や形をそなえて表れたもの。
                  金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅
                    一つひとつの仏菩薩の姿・形をそなえた身体。その形像をいろどりとして
                    描いたもの。

          金剛界      胎蔵界

                三昧耶曼荼羅 ・・・心・命など形のないものを標幟(ひょうじ)するもので表したもの。
                    諸尊が所持する標幟(ひょうじ)である刀剣、輪宝、蓮華や印契(いんけい)。

          


                法曼荼羅    ・・・言葉や文字によって表現したもの。(種字曼荼羅)
                    本尊を表す種字や真言など、宇宙の真理を説くお経や内容。

     金剛界      胎蔵界 


                羯磨曼荼羅  ・・・すべて動きによって表れたもの。
                    仏菩薩のさまざまな活動動作で、鋳物や粘土で表現したもの。

     
      東寺 講堂                 東寺 金堂

       この世そのままが仏の世界であり、そこに住むものはすべて仏と仏の仲間たちでなければ
       ならない。この世そのままが浄土であり、この身そのままが仏心なのである。


   B即み成仏思想の実践哲学 (三密加持疾顕)

     用大(ゆうだい)・・・はたらき・作用・活動
          三密ーー身体活動の秘密、言動活動の秘密、精神活動の秘密
             仏の三密、如来の三密、行者の三密、そうして衆生の三業(身語意)

          「三密加持」
           「加持とは、如来の大悲と人々の信心とを表し、あたかも太陽の光のような
            仏の力が、人々の心の水に映ずるのを加といい、人々の心の水が、よく
            仏の日の光を感じとるのを持と名づける。」

          「祈るものが、その意味をよく考え、手に印を結び、口に真言を唱え、心三摩地(さんまじ)
          に住する(精神を統一する)ならば、仏の三密と行者の三密が相応じて加持すると
          すみやかにさとりの完成を得ることができる。」

     
          金剛界 大日如来             胎蔵界 大日如来


   「理具成仏(りぐじょうぶつ)」

    わたしたちは、既に成仏している。人も仏と同じ条件を満たしている。宇宙*に生まれ、そこに
    住み、身口意において仏と加持し感応しあっている。だから、理論的に仏である。
      
       私たちの世界は、仏の世界と同じ。     衆生の身口意と仏の身口意と感応している。


   「加持成仏(かじじょうぶつ)」

   「あたかも太陽の光のような仏の力が、人々の心の水に加わることを『加』といい、人々の心の
    水がよく仏の日の光を受け持つことを『持』という」
    仏と衆生が互いに関わりあい、支えあって、不思議な働きを織り成す、その加持力によって成仏する。

       だから、仏らしい生活をより求められてくる。 → お勤め、行の必要性。

       三密の行・・・手に印を結び、口に真言を唱え、心三摩地に住する。
        
           印契・・・すべての仏像や仏画では、仏菩薩は必ず印を結ぶか、何かを持っています。
                座禅の姿、説教をしている姿のもっとも特徴的な場面の形状。

                如来と私たちを結び、互いの意志を確かめ合うサイン。

           真言・・・言語学的には、インドの梵語、サンスクリット語ですが、意味をなさない語句や
                 単語の羅列であったり、雨やものの擬音だといわれます。

                ただご真言を読んでもなにもなりません。何度も繰り返すことによって
                いつか意味を持った言葉に聞こえてくるし、見えてくるそうです。

           心、三摩地・・・瞑想に入って心を仏の心に統一すること。

                「自分が仏だと思うように努力して、その気持ちになりきっていくこと。」


    「顕得成仏(けんとくじょうぶつ)」

    得度(僧侶の誓いを立て、守るべき戒律を受ける儀式。)
    四度加行(しどけぎょう)
     十八道・・・十八の印と真言と観念によって、有縁の仏菩薩と加持感応をはかるための三密行*。
     金剛界・・・『金剛頂経』による金剛界曼荼羅の諸尊と加持感応する三密行。
     胎蔵界・・・『大日経』による胎蔵界曼荼羅の諸尊と加持感応する三密行。
     護摩・・・・・「さとりの智火をもって迷いを燃やす」。炉は体(本尊)。炉の口は、本尊の口。
            炉の火は、本尊の智火(自分の心中の智慧)。

   種々の印を結びながら、真言を唱え、観念を観じていく行法であり、何日も、何年も続けていく
   ことによって、自分は仏である自覚を覚えること。

         和歌山 粉川寺
          大日如来           金剛さった


   「息災法」、「増益法」、「調伏法」、「敬愛法」によって、大衆はこれらの祈祷をうけて、
   不安のない、平和な生活を続けることができます。しかし、いつの間にか専門の僧侶に
   任せてしまうようになってしまいました。

   三密の行を続けていくと、もともと私たちの身にそなわっている仏の徳は顕れてくるのです。
   行と考えず、三密の生活を送ることを信条にすることですね。

   
    (4)余論
           @即身成仏思想の世界観(重重帝網名即身)

            帝網とは、帝釈天の住む宮殿に張りめぐされた、宝珠を
            結び目としてつないだ網のような装飾を言う。自分を含めたあらゆる 
            存在が、縦横にさまざまに重なり合っているこの社会の姿は、鏡に映る実態と 
            その影のように、法身大日如来の変化した姿なのである(四種法身)。
             さまざまな衆生や仏たちが住むこの世界が、何ひとつ障りある
            ことなく、円満に融けあっているように、自分の存在の
            意味を悟ることを「即身成仏」と言うのである。


          A即身成仏思想の仏陀観(法然具足薩般若ー円鏡力故実覚智)四つの余論

           覚りの世界

           「法然に薩般若を具足して」とは、本来あるがままの状態(本初)
           として、大日如来の顕現である大自在(自由な境地)を兼ね備えている
           ことを言う。誰しも元から覚っているのであるから、ただ元に
           戻れば良いのである。それが「即身成仏」である。

          「心数心王刹塵に過ぎたり」とは、個々に区別される「心」のあり
          方、ものごとの認識は、宇宙の原理にすべて包含される、ちりのように
          小さな現象に過ぎないことを言う。すなわち、本質的には同一の真実に
          包含されていることを覚ることが、「即身成仏」なのである。

          「各五智無際智を具す」とは、無数に存在する「心」の中には、「五智」
          を基本とする「無際智」(際限の無い智恵)が備わっていることを言う。

          「円鏡力の故に実覚智なり」の中の「円鏡力」とは、澄みきった「心」
          は、すべての現象を鏡のように、ありのままにあますところなく映し出す
          ことができる、その鏡のような功徳を言い、このことにより「実覚智」、
          すなわち真実を確実に覚智するのである。法身のあわられである、
          いっさいの諸仏は、覚者、智者と呼ばれる。

                    「入阿字」

 


 ○ それでは、私たちはどうしたらいいのでしょう。
         
 [無相の三密] (きちんと印を結びご真言を正しく唱え、瞑想するのを「有相の三密」といいます。)

   私たちが、日常の生活において「即身成仏」のための三密の生活をする意味は、十分に
   ありますよね。

  ※ 印は、合掌です。(右の手のひらが、仏。左が自分自身です。)
         金剛合掌がいいと思います。 合わせた時、右の親指が上にきます。
                                   印も右が上ですね。

      ある人は、「智賢印」を結んで、「ボロン」(一字金輪真言)を唱えるといいます。

  ※ 真言は、「おん ぼうじ しった ぼだはだやみ」 発菩提心の真言

    「あらゆる如来とそれを理想とする大乗菩薩の根本の誓願、その結果としてのさとり、
    そしてその境地に至る修行の全過程をになう菩薩自らの心、その菩提と心両者の
    かかわりの全体が「菩提心」


    梵音のボダボウジは一字の転なり。  ボダをば覚と名づけ、ボウジをば智と曰う。   

           一字金輪曼荼羅

「この三昧を修する者は、現に仏の菩提を証す」<この三昧とは、謂く大日尊一字頂輪王の三摩地なり>

 
  
※ 「おん さんまや さとばん」 三昧耶戒の真言
       
    「大日如来の顕れとして現前する具体と修行者との二人称の対話的関係における
    不二性の認識、誓約」

      上の二文の引用は、「弘法大師空海と真言密教」生井智紹師 高野山大学学長
        

     心三摩地は、「同行二人」。仏と自分がいつも一体であるという気持ちです。


   「南無大師遍照金剛」 御宝号

   四国八十八箇所を巡るとき、常に弘法大師とともにいます、一体化しますがそれです。
   『右ほとけ 左はわれと おがむ手の 内ぞゆかしき 南無のひとこえ』
     右手    左手            心       真言
 
   『大日経開題』(『切文』)  
           挙手動足  皆成蜜印      手をあげたり、足をうごかせば 皆、秘密の印となり
           開口発声  悉是真言      口を開いて、声をだせば ことごとく ご真言となる。
           起心動念  咸成妙観      心をおこし、おもいを動かせば すべて仏を観じることになる。



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