菅笠(すげがさ)

笠(かさ)は雨や雪、直射日光を防ぐために頭に被る道具です。材質は檜板・竹・藺草製で、塗笠は、檜や杉の板材を薄く剥いだ「へぎ板」に和紙を貼って漆を塗って作成した物で、平安時代末期には主に老女が使用し、江戸時代初期には若い女性が使用したようです。

 一方、四国遍路に出ますと、基本的な旅衣装として「菅笠」があります。お店やネットで販売されているのは、 『つの笠(やま)』、『すげ笠』などがあります。また、先達さんやお坊さんは網代笠をかぶっていますね。

 いつから、四国遍路の笠が『菅笠(すげがさ)』と呼ばれ、竹やヒノキで編んだものとして一般的になったのでしょう。弘法大師は、そのお姿から見ても当時の僧侶としても、網代笠だったはずですね。

 想像ですが、われわれ衆生が遍路にでるにあたって、当時からもっとも一般的に農作業や日常品としての雨傘日傘が、現在使用されている『菅笠』なのでしょう。遍路アイテムではありますが、宗教的意味はなかったものですね。しかし、共に遍路をした道具もすでに「同行二人」 の象徴としてに意味が生まれてきます。

【菅笠に書かれている文字】

 へんろ用の菅笠には四方に「迷故三界城」(東北)・「悟故十方空」(東南)・「本来無東西」(南西)・「何処有南北」(西北)。
 さらに四句の行間に「同行二人」(後ろにくるように)、正面には「ユ」梵字(弥勒菩薩)と書かれています。

 『迷故三界城』 迷うゆえに三界の城がありせわしい日常生活での迷いの中におかれていると、心身ともに公害におかされ、欲望や、観念の世界にとらわれ、苦しみ悩んでいる。
 『悟故十方空』 悟るゆえに十方は空なりしかし霊場巡拝によって心身を浄めれば迷いの中から離れ、すべて明るく幸せな生活をおくることができる。
 『本来無東西』 本来、東西は無く精進修行し、我をすてて観世音から徳をいただけば、敵や反対者はなくなり、平和な社会となる。
 『何処有南北』 何処にか南北あり我執にとらわれず、こだわりをすてることは、苦しみや悩みをなくし、人生に広い世界がひらける。

 今でも真言宗の棺桶の4隅には、この詩句を書きます。言い伝えでは、遍路が行き倒れたら、笠を体の上に乗せて棺桶とし、杖を立てて卒塔婆とする。だから白衣装の死に衣装で、歩くのだと。

 菊水ヘンロのくしまさんは、ぼろぼろになった笠を、寺院の「とんど焼き」の時に焼いてもらって、供養したと聞きました。大事にしたいですね。高野山奥の院の灯篭堂の中には、その菅笠を納める大きな箱があります。ちなみに、88番大窪寺には、杖を納めて、高野山で笠を納めたのでしょうか。

 

 上の菅笠は、ネットで購入しました。ゴトクもそのままで、紐は薄い木綿のひもがついています。
以前は、この笠に市販の柿渋を塗って、使っていました。いやあ、笠を購入したときに、ビニールのカバーがついています。(別売りのもあります。)雨の時につけます。初心者の方で、晴れていてもつけている方もいますが、重いんです。また、しばらくするとてっぺんのところに穴が開きます。テープで強化もいいですが。

 実は、土佐国分寺前の扇屋さん。お四国でいまや手製の菅笠を販売しているところは、ほとんどありません。また、柿渋を塗っていますと、防水ですから、ビニールのカバーは不必要。おじさんが待っていてくれました。「昨日電話したものです。」「おお」さすが手作りです。みんな塗も違うし、五徳の大きさも。試着です。一番黒い、しっかりしたのを購入。頭の先がしっかり。「ふちが、悪くなるのは、使うものの扱いかただ。」とか。・・そうですね。ひもも付け替えていただきました。すぐに、着用です。

  

 修理もお願いできます。いいですよ。もし、みなさんでお四国にいって、この菅笠をかぶってる先達さんや先輩がいたら、ちょっと本物?かも。

 よくご覧ください。ゴトクのところに、私は伸縮性のある包帯を巻いています。汗を吸い取る布を、五徳に巻きます。また、紐は耳が当たらないように輪にして、首紐をつけます。わたしは、それを市販の小物で紐を止めるのを付けてます。毎回結ばなくても、上にあげるだけ。夏は、耳にあたる紐だと、あせもやただれの原因になります。

 特に、初めての方は、ネットや一番さんの売店でそろえる前に、ちょっとだけ相談してください。