『転輪聖王獅子吼経』(てんりんせいおうししくきょう)

このように私は聞いた。

あるとき、仏陀はマガダ国のマトゥラーにとどまっておられた。そのとき、仏陀は諸々の比丘に、こうお告げになった。「諸々の比丘よ」と。

「仏陀よ」と、彼ら諸々の比丘は、仏陀にお答え申しあげた。そこで、仏陀は次のようにお説きになった。

「自らを島としなさい。自らを帰依処としなさい。他を帰依処としてはならない。法を島としなさい。法を帰依処としなさい。他を帰依処としてはならないのである。比丘達よ、それではどのようにしたら、比丘は自らを島とし、自らを帰依処とし、他を帰依処としないで、法を島とし、法を帰依処とし、他を帰依処としないで、とどまるのであろうか。

ここで比丘達よ、身において、身は観にとどまり、精勤し、自ら悟り、億念するならば、世間における貪欲や無智を調伏することができるのである。受において・・・(中略)・・・心において・・・(中略)・・・法において・・・(中略)・・・このように、比丘達よ、比丘は自らを島とし、自らを帰依処とし、他を帰依処としないで、法を島とし、法を帰依処とし、他を帰依処とすることなくして、とどまるのである。比丘達よ、托鉢をして、あなた方自らの先祖の地に行くがよい。比丘達よ、托鉢をして、あなた方自らの先祖の地に行くならば、悪魔が乗じることはないであろう。また、悪魔はその根拠を得ることもないであろう。比丘達よ、善法を完全に保っている因縁によって、このように、他の福徳も増えていくのである。

比丘たちよ、その昔ある王がいて、ダルハネーミと呼ばれていた。そして、その王は転輪聖王となって四天下を征服し、その国土をよく統治して、七宝を成就したのである。王は七宝を持っていた。それは、金輪宝、白象宝、紺馬宝、神珠宝、玉女宝、居士宝、そして第七には主兵宝のことである。また、王の千人の息子は、勇気があって意志も強く、外敵をよく撃破した。そして王はこの地から四海の彼方に至るまで、武器を用いることなく、正法によって制御し統治したのである。

あるとき、比丘達よ、かのダルハネーミ王は、数十百千年後の後、ある臣下にこう告げた。

『ああ、わが臣下よ、もし天の輪宝が、そのもといた所を離れ去っていくのを見たならば、そのとき、私の所に来て伝えなさい。』

『大王よ、かしこまりました。』
と、比丘達よ、この臣下は転輪聖王に答えたのだ。

比丘達よ、この臣下は数十百千年後の後、天の輪宝がそのもといた所を離れ去っていくのを見たのである。それを見終わって、かのダルハネーミ王の所に至って、大王にこう告げた。

『大王よ、大王の天の輪宝は、そのもといた所を離れて去っていきましたが、ご覧になりましたか。』

そこで、ダルハネーミ王は、その王子を呼んで、こう告げたのである。
『わが王子よ、私の天の輪宝は、そのもといた所を離れて去っていったということだ。私はかつてこのように聞いたことがある。「もし、転輪王の天の輪宝が、もといた所を離れ去っていったならば、その王の寿命は程なくして尽きるであろう」と。私は既に人間界の欲楽を享受した。今は正に、天界の欲楽を求めるべき時なのである。さあ、わが王子よ、お前はこの四天下を統治するがいい。私は今こそ、髪と髭を剃り、袈裟衣を着け、在家から出家に入るであろう。』

そして、比丘達よ、ダルハネーミ王は王子にその国土をよく統治させ、自ら髪と髭を剃り、袈裟衣を着け、在家から出家に入ったのである。ところが、国王が出家してから七日後のこと、天の輪宝は忽然として消えてしまったのである。

そのとき、比丘達よ、一人の臣下が刹帝利灌頂王の所に至り、王にこう告げた。
『大王よ、かの天の輪宝が忽然として消滅してしまったのですがご存じでしょか。』

そして、比丘達よ、この刹帝利灌頂王は天の輪宝が忽然として消滅してしまったのを見て、心にわだかまりが生じて、喜ぶことができなかった。そこで、彼は父である王の所に行き、こう告げたのである。『大王よ、天の輪宝が忽然として消滅してしまったのですがご存じでしょか。』

比丘達よ、こう言われて、父である王は刹帝利灌頂王にこう告げた。
『ああ、わが息子よ、お前は天の輪宝が忽然として消滅したことを悲しむことはないんだよ。また、そのために憂愁の念を抱くことはないんだよ。わが息子よ、実のところ、かの天の輪宝は、お前の先祖の遺産では決してなく、お前が聖なる輪宝を転がさなくてはならないのだよ。もしお前が聖なる輪宝を転がすならば、十五日の満月の日、頭髪を沐浴して、斎戒を行ない、壮麗な殿堂に昇るときに、天の輪宝は忽然として出現するであろう、輪には千の車輻があり、その轂は工匠ができるところを一切満たし具足しているのだ。』

『それならば、大王よ、その聖なる輪宝を転がすというのは、どういうことなのでしょうか。』

『わが息子よ、お前は常に真理の教えをよりどころとし、真理の教えを恭敬し尊重し、真理の旗となり、真理ののぼりとなり、真理の教えを首とし、正法をよく守護し、また、庶民・軍隊・刹帝利・多くの臣下・婆羅門・資産家・農夫と商人・沙門婆羅門から鳥や獣に至るまで、かばい守らなければならない。そして、お前の国土の中に、どんな悪法をもとどまらせてはならないのである。また、もしお前の国土に貧しい者あれば、彼に財宝を与えるがいい。また、もしお前の国土において、沙門や婆羅門のある者が驕慢や懈怠を離れ去り、忍辱や慈愛を一人で修行し、自己を調御し、自己を静止し、自己を寂滅することができたならば、そのときお前はそこに行って、こう聞かなければならない。「賢者よ、何が善であり、何が不善であり、何が罪であり何が無罪であり、何がなすべきことであり何がなさざるべきことなのでしょうか。また、どのような悪法を行じたならば、長い間不利益と苦を受け、どのような善法を行じたならば、長い間利益と安楽とを受けるのでしょうか」と。そして、それを聞いて、不善であることを去り、善であることを受持しなければならないのだ。わが息子よ、これこそが聖なる転輪宝なのである。』

『かしこまりました、大王よ。』

比丘達よ、こうして刹帝利灌頂王は父である王の意向を承り、聖なる輪宝を転がしたのである。そして、彼が聖なる輪宝を転がした、十五日の満月の日、頭髪を沐浴して、斎戒を行ない、壮麗な殿堂に昇るときに、天の輪宝は忽然として出現したのである。その輪には千の車輻があり、その轂は工匠ができるところを一切満たし具足していたのだ。これを見終わって、刹帝利灌頂王は自らに言った。

『私はかつてこのように聞いたことがある。もし刹帝利灌頂王が、十五日の満月の日、頭髪を沐浴して、斎戒を行ない、壮麗な殿堂に昇るときに、天の輪宝は忽然として出現して、その輪には千の車輻があり、その轂は工匠ができるところを一切満たし具足していたならば、これはすなわち転輪聖王の証であると。つまり、私は正にその転輪聖王に他ならないのである。』

そのとき、比丘達よ、この刹帝利灌頂王は王座から立ち上がり、一方の肩をあらわにして、左手に金瓶を持ち、右手で金輪をなでながら、こう告げた。
『輪宝よ、転がれ。転がって、一切を征服せよ。』

すると、比丘達よ、その輪宝は東方に向かって転がったのである。そこで、転輪聖王は四兵を伴って、常にその後に従うのであった。そして、比丘達よ、その輪宝が止まった所には、どのような国でも転輪王は四兵とともに自らの車を止めるのであった。比丘達よ、東方の敵の国の多くの王は、ことごとく転輪王の所に来て、こう告げた。『大王よ、ようこそいらっしゃいました。一切はすべて、あなたの所有するところでございます。大王よ、統治なさいませ。』

そこで、転輪王はこのように告げた。
『殺生をしてはならない。偸盗をしてはならない。邪淫をしてはならない。妄語を語ってはならない。飲酒をしてはならない。適度な食事を取りなさい。』

このようにしてまた、比丘達よ、東方の敵国の多くの王は、ことごとく転輪王の支配下に服したのである。

そのとき、かの輪宝は東海に没し、再び身を現して南方に至った。・・・(中略)・・・西方に・・・(中略)・・・北方に・・・(中略)・・・支配下に服したのである。

そこで、比丘達よ、かの輪宝は、海を超えてあまねく四天下を平定し、彼の国の都に帰って、転輪王の宮中の楼門の上に懸かるように、転輪王の宮中を照らし輝かしたのである。

比丘達よ、第二・・・第三・・・第四・・・第五・・・第六・・・第七の転輪王もまた、数十百千年後の後、別の臣下にこう告げた。『ああ、わが臣下よ、もし天の輪宝が、そのもといた所を離れ去っていくのを見たならば、そのとき、私の所に来て伝えなさい。』

『大王よ、かしこまりました。』

と、比丘達よ、この臣下は転輪聖王に答えたのだ。

比丘達よ、この臣下は数十百千年後の後、天の輪宝がそのもといた所を離れて、忽然として去っていくのを見たのである。それを見終わって、転輪王の所に至って、転輪王にこう告げた。
『大王よ、大王の天の輪宝は、そのもといた所を離れて、忽然と去っていきましたが、ご存じですか。』

そこで、比丘達よ、転輪王は王子を招き、こう告げたのである。
『わが王子よ、私の天の輪宝は、そのもといた所を離れて、忽然と去っていったということだ。私はかつてこのように聞いたことがある。「もし、転輪王の天の輪宝が、そのもといた所を離れて、忽然と去っていったならば、その王の余命はいくばくもないであろう」と。私は既に人間界の欲楽を享受した。今は、天界の欲楽を求めるべき時なのである。さあ、わが王子よ、お前はこの四天下を統治するがいい。私は今こそ、髪と髭を剃り、袈裟衣を着け、在家から出家に入るであろう。』

そして、比丘達よ、転輪王は王子にその国土をよく統治させ、自ら髪と髭を剃り、袈裟衣を着け、在家から出家に入ったのである。ところが、国王が出家してから七日後のこと、比丘達よ、天の輪宝は忽然として消えてしまったのである。

そのとき、比丘達よ、一人の臣下が刹帝利灌頂王の所に至り、王にこう告げた。
『大王よ、かの天の輪宝が忽然として消滅してしまったのですがご存じでしょか。』

そして、比丘達よ、この刹帝利灌頂王は天の輪宝が忽然として消滅してしまったのを見て、心にわだかまりが生じて、喜ぶことができなかった。しかし、彼は父である王の所に行って、聖なる転輪宝について問うことをしなかったのである。そして、彼がその国を治めることは、昔の多くの王が公正にその国を治めたことには到底及ぶことなく、また昔の多くの王が、聖なる転宝を転がしたようには、その国を統治しなかったのである。

そのとき、比丘達よ、大臣・侍臣・会計・衛兵・巫祝官などが寄り集まって、刹帝利灌頂王の所に至ってこのように告げた。『大王よ、今国土を治めることは、昔の多くの王が公正にその国を治めたことには到底及ぶことがありませんし、また昔の多くの王が、聖なる輪宝を転がしたように、その国を統治することもありません。大王よ、ここには、聡明で智慧のある大臣・侍臣・会計・衛兵・巫祝官などもございます。私どもおよびその他の者も、聖なる転輪を受持しております。大王よ、もし私どもに聖なる転輪についてお尋ねになるのでしたら、私どもは謹んで、その聖なる転輪について解説申し上げることでございましょう。』

そこで、比丘達よ、この刹帝利灌頂王は大臣・侍臣・会計・衛兵・巫祝官などを召集して、聖なる転輪について問うのであった。かれらはその聖なる転輪の質問に対して、謹んでお答えした。それを聞いて、王は正法を擁護し守護させたのである。ところが、相変わらず貧困なものには財宝を与えることがなく、貧困なものには財宝を恵むことがなかったため、貧困なものはますます増長すると、今度は人々はお互いに人から与えられないものを、盗心によって取ることになった。そして、人々は彼を捕らえた。彼を捕らえて、刹帝利灌頂王に見せて、こう言った。
『大王よ、この者は人から与えられないものを、盗心によって取ったのです。』

比丘達よ、こう告げられて、刹帝利灌頂王はこの男にこう尋ねた。
『お前が人から与えられないものを、盗心によって取ったというのは、事実なのか。』

『大王よ、事実でございます。』

『なぜなのだ。』

『大王よ、私は生きることができなかったからであります。』

そこで、比丘達よ、刹帝利灌頂王はこの男に財宝を与えて、こう言った。
『お前はこれらの財宝によって、自ら生活し、父母を養い、妻子を養うがいい。そして、仕事に励んで、沙門や婆羅門に対して福利ある供養をなし、天上の安楽な果報を得て、天に生まれるようにしなさい。』

『大王よ、かしこまりました。』
そのように、この男は刹帝利灌頂王に答えたのである。

比丘達よ、また一人の男が、人から与えられないものを、盗心によって取った。そして人々は彼を捕らえて、刹帝利灌頂王に見せて、こう言った。
『大王よ、この者は人から与えられないものを、盗心によって取ったのです。』

比丘達よ、こう告げられて、刹帝利灌頂王はこの男にこう尋ねた。
『お前が人から与えられないものを、盗心によって取ったというのは、事実なのか。』

『大王よ、そのとおりでございます。』

『なぜなのだ。』

『大王よ、私は生きることができなかったからであります。』

そこで、比丘達よ、刹帝利灌頂王はこの男に財宝を与えて、こう言った。
『お前はこれらの財宝によって、自ら生活し、父母を養い、妻子を養うがいい。そして、仕事に励んで、沙門や婆羅門に対して福利ある供養をなし、天上の安楽な果報を得て、天に生まれるようにしなさい。』

『大王よ、かしこまりました。』

そのように、この男は刹帝利灌頂王に答えたのである。

比丘達よ、人々はこのように聞いた。
『たとえ人々が、人から与えられないものを盗心によって取ったとしても大王は財宝を与えてくれるのだ。』

それを聞いて、彼らはこう思った。
『さてと、我々もまた、人から与えられないものを盗心によって取ることにしよう。』

そのとき、比丘達よ、一人の男が人から与えられないものを、盗心によって取った。そして、人々は彼を捕らえた。彼を捕らえて、刹帝利灌頂王に見せて、こう言った。
『大王よ、この者は人から与えられないものを、盗心によって取ったのです。』

比丘達よ、こう告げられて、刹帝利灌頂王はこの男にこう尋ねた。
『お前が人から与えられないものを、盗心によって取ったというのは、事実なのか。』

『大王よ、そのとおりでございます。』

『なぜなのだ。』

『大王よ、私は生きることができなかったからであります。』

そのとき、比丘達よ、刹帝利灌頂王はこう思ったのである。
『もし私が、人から与えられないものを盗心によって取った者に対して、財宝を与えるとしたならば、このような偸盗は増長するであろう。それでは、私はこの男を存分に懲らしめ、これを根絶やしにし、彼の首を絶つことにしよう。』

そこで、比丘達よ、刹帝利灌頂王は諸々の臣下にこう命じたのである。
『それでは、諸々の臣下よ、この男を荒縄で後ろ手に固く縛り、頭髪を剃り、鼓を打ってお触れを出し、市中をことごとく引き回し、その後南門から出て、都の南方に至り、彼を存分に懲らしめ、これを根絶やしにし、その首を断ちなさい。』

『大王よ、かしこまりました。』
そう言って、比丘達よ、彼ら諸々の臣下は刹帝利灌頂王の命令を聞いて、この男を荒縄で後ろ手に固く縛り、頭髪を剃り、鼓を打ってお触れを出し、市中をことごとく引き回し、その後南門から出て、都の南方に至り、彼を存分に懲らしめ、これを根絶やしにし、その首を断ったのである。

比丘達よ、人々はこのように聞いた。
『もし、人から与えられないものを盗心によって取ったとしたら、大王は懲らしめ、根絶やしにし、首を刎ねるであろう。』

それを聞いて、彼らはこう思った。
『それでは、我々は各々が鋭い刃を持つことにしよう。鋭い刃を持って、それらの人々から与えられないものを盗心によって取り、その上、それらの人々を懲らしめ、根絶やしにし、首を絶ってしまおうではないか。』

そこで、彼らは鋭い刃を持った。そして、鋭い刃を持って、村落の劫奪を、町村の劫奪を、市街の劫奪を、路上の劫奪をなすに至った。

こうして、それらの人々から与えられないものを盗心によって取り、その上、それらの人々を懲らしめ、根絶やしにし。首を断つに至ったのである。

このようのして、比丘達よ、貧困なものに財宝が与えられないことによって、貧困なものはますます増長し、貧困な者が多くなるにしたがって、偸盗はますます増ええるようになり、偸盗が増えるにしたがって、武器が増えるようになり、武器が増えると殺害が頻発するようになり、殺害が多くなると妄語がしきりに行われ、妄語があまねく行われるようになると、彼ら衆生の寿命は縮み、その顔色は衰えるのであった。そして、彼らの寿命は縮み、顔色は衰えて、八万歳であった人間の寿命も、その子に至ると四万歳となったのである。

比丘達よ、人の寿命が四万歳のとき、ある人が人から与えられないものを盗心によって窃取した。そして、人々は彼を捕らえて、刹帝利灌頂王に見せて、こう告げた。
『大王よ、この者は人から与えられないものを、盗心によって窃取したのです。』

こう告げられて、比丘達よ、刹帝利灌頂王はこの男にこう尋ねた。
『お前が人から与えられないものを、盗心によって窃取したというのは、事実なのか。』

『大王よ、窃取していません。』
そう言って、彼らは故意に妄語をなすのであった。

このようのして、比丘達よ、貧困なものに財宝が与えられないことによって、貧困なものはますます多くなり・・・(中略)・・・寿命は縮み、顔色は衰えて、四万歳であった人間の寿命も、その子に至ると二万歳となったのである。

比丘達よ、人の寿命が二万歳のとき、ある人が人から与えられないものを盗心によって窃取した。そして、別の人が、このことを刹帝利灌頂王にこう告げるのであった。

『大王よ、これこれの男は人から与えられないものを、盗心によって窃取したのです。』
そう言って彼は悪口をなすのであった。

比丘達よ、このようのして、貧困なものに財宝が与えられないことによって、貧困なものはますます多くなり・・・(中略)・・・顔色は衰えて、二万歳であった人間の寿命も、その子に至ると一万歳となったのである。

比丘達よ、人の寿命が一万歳のとき、人々のある者は美しく、ある者は醜かった。彼ら醜い者は美しい者に嫉妬の念を生じ、他人の妻に邪淫を行うのであった。

比丘達よ、このようのして、貧困なものに財宝が与えられないことによって、貧困なものはますます多くなり・・・(中略)・・・顔色は衰えて、一万歳であった人間の寿命も、その子に至ると五千歳となったのである。

比丘達よ、人間の寿命が五千歳のとき、二つの悪法があって増長することになった。それは、無駄話と綺語である。二つの悪法が増長したために、彼ら衆生の寿命は縮み、顔色は衰えるのであった。そして、彼らの寿命は縮み、顔色は衰えて、五千歳であった人間の寿命も、その子のある者においては二千五百歳となり、ある者においては二千歳となったのである。

比丘達よ、人間の寿命が二千五百歳のとき、貪りと嫌悪の念が増長した。・・・(中略)・・・二千五百歳あった人間の寿命も、その子においては一千歳となったのである。

比丘達よ、人間の寿命が一千歳のとき、無智が増長した。・・・(中略)・・・一千歳あった人間の寿命も、その子においては五百歳となったのである。

比丘達よ、人間の寿命が五百歳のとき、三つの悪法があって増長することになった。それは、非法欲と非理貪と無智法である。三つの悪法が増長して・・・(中略)・・・五百歳あった人間の寿命も、その子のある者においては二百五十歳となり、ある者においては二百歳となったのである。

比丘達よ人間の寿命が二百五十歳のとき、これらの諸々の悪法が増長した。すなわち、父母に恩返しをせず、沙門や婆羅門を恭敬しないで、有識者や老大家を敬礼しないのである。

比丘達よ、このようにして、貧困な者には財宝が与えられないことによって、貧困な者はますます多くなり・・・(中略)・・・偸盗・・・(中略)・・・武器・・・(中略)・・・殺生・・・(中略)・・・妄語・・・(中略)・・・悪口・・・(中略)・・・邪淫・・・(中略)・・・無駄話・・・(中略)・・・綺語・・・(中略)・・・貪りと嫌悪・・・(中略)・・・無智・・・(中略)・・・非法欲・・・(中略)・・・非理貪・・・(中略)・・・無智法・・・(中略)・・・父母に恩返しをせず、沙門や婆羅門を恭敬しないで、有識者や老大家を敬礼しないのである。これらの諸々の法が増長すると、彼ら衆生の寿命は縮み、顔色は衰えるのであった。そして、寿命は縮み、顔色は衰えて、二百五十歳あった人間の寿命も、その子に至ると百歳となったのである。

比丘達よ、これらの人々の子は、寿命が十歳になるときがあるだろう。比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき幼女は五歳で結婚するようになるのだ。比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、これらの諸々の味は消失するのである。味とは、バター・ヨーグルト・油・砂糖・塩のことである。比丘達よ、今日は米の飯が最上の食料であるように、比丘達よ、人間の寿命が十歳のときは、雑草がその最上の食料となるだろう。

比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、十の善行の法はことごとく消滅し、十の不善行の法が明らかに出現するだろう。比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、善なるものが全くないのである。ましてや、善の所行がどうしてあり得ようか。比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、彼らにおいては、父母に恩返しをせず、沙門や婆羅門を尊敬しないで、有識者や老大家を恭敬しない者が、尊敬され賛美されるのである。それはちょうど、今日父母に恩返しをし、沙門や婆羅門を尊敬し、有識者や老大家を恭敬する者が、尊敬され賛美されるようなものであり、このように、比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、父母に恩返しをせず、沙門や婆羅門を尊敬しないで、有識者や老大家を恭敬しない者が、尊敬され賛美されるようになるのである。

比丘達よ、人間の寿命が十歳のときは、母・伯母・叔母・年長の妻の区別がなく、羊・豚・犬・山犬・狼のように、世の中は雑然としているであろう。比丘達よ、人間の寿命が十歳のときは、彼ら衆生は、お互いに激しい害心を生じることになり。激しい瞋恚、激しい悪意、激しい殺意を生じるのである。母は子において、子は母において、父は子において、子は父において、兄弟は兄弟において、兄弟は姉妹において、姉妹は兄弟において、激しい害心を生じ、激しい瞋恚、激しい悪意、激しい殺意を生じるのである。比丘達よ、たとえるならば、猟師が鹿の群れを見て、激しい害心を生じ、激しい瞋恚を生じ、激しい悪意を生じ、激しい殺意を生じるようなものであり、このように、比丘達よ、人間の寿命が十歳のときは、彼ら衆生は、お互い激しい害心を生じ・・・(中略)・・・激しい殺意を生じるのである。

比丘達よ、人間の寿命が十歳のとき、七日の間激しい戦乱が生じた。彼らはお互いに鹿の想を受けた。そして、彼らは各々鋭い刀を手に持って現れた、その鋭い刀によって、『これは鹿だ。これは鹿だ』と、各々がお互い生命を奪い合うのである。しかし、比丘達よ、これらの衆生のある者に、次のような念が生じたのである。『我々はだれをも害することはできないし、まただれもが我々を害することはできないのだ。それでは、我々は叢林や樹木の間の穴に寄り掛かり、河の洞穴や岩窟に隠れ、木の根や果実を食して身を保つことにしよう。』

そこで、彼らは叢林や樹木の間の穴に寄り掛かり、河の洞穴や岩窟に隠れ、木の根や果実を食して身を保ったのである。そして、その七日が経過した後、彼らは叢林や樹木の間の穴や、河の洞穴や岩窟から出てきて、お互いに抱き合い相集まって、喜び祝って、こう言った。
『喜ばしいことだ。あなたも生きているのか。あなたも生きているのか。』

そのとき、比丘達よ、彼ら衆生には次のような念が生じたのである。

『我々は不善法を行じたことにより、長いこと近親を滅ぼすことをしてきたのだ。それならば、我々は善法を行じようではないか。では、どのような善を行じたらよいのだろうか。そう、我々は殺生を禁じよう。我々はこの善法を受持することにしよう。』

そこで、彼らは殺生を禁じて、この善法を受持した。そして、彼らは善法を受持することによって、寿命は延び、顔色は美しさを増していったのである。彼らの寿命は延び、顔色は美しさを増していき、人間の寿命が十歳のとき、その子の寿命は二十歳となったのである。

そのとき、比丘達よ、彼ら衆生にこのような念が生じたのである。
『我々は善法を受持することによって、寿命は延び、顔色は美しさを増した。それならば、我々はもっと善をなそうではないか。さあ、我々は偸盗を禁じ、邪淫を禁じ、妄語を禁じ、悪口を禁じ、無駄話を禁じ、綺語を禁じ、貪りを禁じ、瞋恚を禁じ、無智を禁じ、三つの悪法、すなわち非法欲,非理貪,無智法を断じ尽くそう。さあ、我々は父母に対し恩返しをし、沙門や婆羅門を尊敬し、有識者や老大家を尊敬して、この善法を維持しようではないか。』

こうして、比丘達よ、彼らは父母に対し恩返しをし、沙門や婆羅門を尊敬し、有識者や老大家を尊崇し、この善法を維持したのである。彼らは善法を受持することによって、寿命は延び、顔色は美しさを増していった。そして、彼らの寿命が延び、顔色が美しさを増すことによって、人間の寿命が二十歳のとき、その子の寿命は四十歳となった。人間の寿命が四十歳のとき、その子の寿命は八十歳となった。人間の寿命が八十歳のとき、その子の寿命は百六十歳となった。人間の寿命が百六十歳のとき、その子の寿命は三百二十歳となった。人間の寿命が三百二十歳のとき、その子の寿命は六百四十歳となった。人間の寿命が六百四十歳のとき、その子の寿命は二千歳となった。人間の寿命が二千歳のとき、その子の寿命は四千歳となった。人間の寿命が四千歳のとき、その子の寿命は八千歳となった。人間の寿命が八千歳のとき、その子の寿命は二万歳となった。人間の寿命が二万歳のとき、その子の寿命は四万歳となった。人間の寿命が四万歳のとき、その子の寿命は八万歳となった。

比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、幼女は五百歳で結婚するようになる。比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、三種の病がある。それは、欲求と断食と老いである。比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、この閻浮提は隆盛で繁栄し、その都や王城に鶏鳴が相聞こえるであろう。比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、かの阿鼻地獄と考えられていた閻浮提も、葦の草むらのように、人々が満ちあふれるであろう。比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、あのバーラーナシーはケートゥマティーとよばれる王都となり、それは盛大で繁華であり、人々は盛んに群れ集まり、土地は肥沃になるであろう。比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、この閻浮提には八万四千の都があるが、ケートゥマティーはその中でも最高の王都となるであろう。

比丘達よ、人間の寿命が八万歳のときにおいては、ケートゥマティーの王城にサンカという名の王が出て、転輪法王として、あまねく四天下を統御し、人民の保護者として七宝を成就するであろう。王はこれら七宝を具足している。それは、金輪宝、白象宝、紺馬宝、神珠宝、玉女宝、居士宝、そして第七には主兵宝のことである。また、王には千人の息子があり、彼らは勇気があって意志も強く、外敵をよく退かせる。そして王はこの地を超えて大海の彼方に及ぶまで、武器を用いることなく、正法によって制御してとどまるのである。

比丘達よ、人間の寿命が八万歳のとき、マイトレーヤという名の、応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊である如来が、この世に現れるであろう。それは、あたかも私が今この世界に、応供・・・(中略)・・・仏・世尊として現れたようなものである。彼もまた、天界・魔界・梵天界を含むこの世のこと、沙門・婆羅門・天人衆のことを、自ら証悟して説き示すであろう。それは、あたかも私が、天界・魔界・梵天界を含むこの世のこと、沙門・婆羅門・天人衆のことを、自ら証悟して説き示すようなものである。彼は、初めも善く、途中も善く、終わりも善く、文と義を具足している、すべてが円満で清浄である梵行を説くようなものである。彼もまた、数限りない比丘サンガに囲繞されているようなものである。

そのとき、比丘達よ、サンカという名の王がいた。その王の殿堂は、マハーパナーダ王によって作られたものである。からはその殿堂を飾り付け、そして殿堂にとどまり、そして、殿堂を譲与し終わってから、沙門・婆羅門・貧民・浮浪者・乞食に布施を行ない、そうした後、マイトレーヤ如来・応供・等正覚のもとで、髪と髭を剃り袈裟衣を着け、在家から出家に入るのである。彼はこのように出家し、独りで住んで遠離し、苦行し修行し、心を集中し堅固にとどまって、程なく、あの善男子が解脱を目的として在家から出家に入るように、無上の梵行を成就し現世において自ら証悟してとどまるのである。

比丘達よ、自らを島としなさい。自らを帰依処としなさい。法を帰依処としなさい。他を帰依処としてはならないのである。比丘達よ、それでは、どのようにしたら、比丘は、自らを島とし、自らを帰依処とし、他を帰依処としないで、法を島とし、法を帰依処とし、他を帰依処としないで、とどまるのであろうか。

比丘達よ、ここに比丘がいて、身において、身は観にとどまり、精勤し、自ら悟り憶念するならば、世間における貪欲や無智を調伏することができるのである。受において・・・心において・・・法において・・・(中略)・・・。このように、比丘達よ、比丘は自らを島とし、自らを帰依処とし・・・(中略)・・・他に帰依することなくして、とどまるのである。

比丘達よ、托鉢して、あなた方自らの先祖の地に行くがよい。比丘達よ、托鉢して、あなた方自らの先祖の地に行くならば、寿命は延び、顔色は美しさを増し、安穏快楽の状態となり、財宝は豊かになり、神通力を具足できるであろう。

比丘達よ、それならば、何を比丘の寿命が延びるというのであろうか。比丘達よ、ここに比丘があって、欲定・精勤・完成を具備する神足を修習し、精進定・・・(中略)・・・意定・思惟定・精勤・完成を具備する神足を修習した。そして、彼は四つの神足を修習し、何度も繰り返して修行することによって、自らが欲するままに、一カルパあるいは一カルパ以上でも生を保つことができるのである。比丘達よ、このことを、比丘の寿命が延びると説くのである。

比丘達よ、何を比丘の顔色の美しさが増すということであろうか。比丘達よ、ここに比丘があって、戒を守る功徳があり、プラーティモクシャに基づいて戒を守り修め、日々の戒律を具足して、小さな罪にも恐ろしさがあることを知り、諸々の戒を学び修行する。比丘達よ、このことを、比丘の顔色の美しさが増すというのである。

比丘達よ、何を比丘が安穏快楽であるというのであろうか。比丘達よ、ここに比丘があって、諸々の欲を断じ、不善法を去り、念があり思があって、遠離の心を生じ、喜と楽とがある、初弾に達してとどまる。また、念と思とを減し除いて、内心は静安となり、心は一つに集中し、念もなく思もなく、定から生じる喜と楽とがある、第二弾に・・・(中略)・・・第三弾に・・・(中略)・・・第四弾に達してとどまる。比丘達よ、ここことを、比丘が安穏快楽であるというのである。

比丘達よ、何を比丘の財宝というのであろうか。比丘達よ、ここに比丘があって、慈愛を備えた心で、一方に行き渡ってとどまる。このように、二方、三方、四方と行き渡る。また、このように、上、下、横、あまねく一切の所や一切の世界に、広大で広く豊かで限りない、瞋恚がなく害心がない慈愛心によって、行き渡ってとどまる。哀れみを備えた心で・・・平等心を備えた心によって、行き渡ってとどまる。比丘達よ、このことを比丘の財宝というのである。

比丘達よ、何を比丘の神通力というのであろうか。比丘達よ、ここに比丘があって、有漏を滅尽し、無漏・心解脱・慧解脱を、現世において自ら証悟してとどまる。比丘達よ。このことを、比丘の神通力というのである。

比丘達よ、私は他の神通力のうち、魔力を超えたものは一つも見なかった。しかし、比丘達よ、善法を保つことによって、このように福徳を増すことができるのである。」

仏陀はこのようにお説きになった。彼ら諸々の比丘は、仏陀の説かれた教えを聞いて、歓喜し、教えを承り、それを実践しようと心から決意した。