「ウパニシャド」とはなにか
「ヴェーダ」は、西紀前1500年頃、インドへ西方から侵入したとされるアーリア人の残した文献群、すなわちヴェーダ・サンヒター(本集)とその三種の付属文献、ブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドの総称として用いられる。
ウパニシャッド
ウパニシャッドは「ヴェーダ」のなかの付属文献で、「奥義書」と訳されることがある。ヴェーダの秘教的な思想を集めたもので、ヴェーダの最後の部分で、「ヴェーダーンタ(ヴェーダの最後)」とも呼ばれ、転じて「ヴェーダの極致」と解釈される。
ヴェーダの最後の哲学
ウパニシャッドは、さまざまな哲人が登場し、宇宙の根源、人間の本質についてさまざまな思索を展開するが、おおむねヴェーダ祭式と神話に源を持つ。とりわけヴェーダ祭式において宇宙を支配する原理・力と見なされたブラフマンについての考究がなされる。その考究の結実がウパニシャッドの代表的な思想、梵我一如の思想である。
ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダの「ことば」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。
アートマンは、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。
元は、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには「個体を支配する原理」とみなされるにいたった。この語はさらに「ものの本質・本体」という意味でも用いられる。
この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。
代表的な思想家は、
シャーンディリヤ
ブラフマンとアートマンの一体性に初めて明言
・「アートマンは個体の内奥に存する微小なものであるが、個体に内在するブラフマンそのものであり、宇宙的なひろがりをもつ普遍者である。
ウッダーラカ・アールニ
・最高実在を「有(サット)」・・すべての現象的存在に浸透して、その内的本質をなしている。
・有は生命としてのアートマンをもって、三神格(熱・水・食物)に入り込み、さまざまな個体を
作り出した。
ヤージュニャヴァルキヤ
・アートマンは心臓の内部の光=火である。火=光を生命原理とする思想。
・火=光であるアートマンは、認識をその本性とする。視覚的認識・聴覚的認識などのそれぞれを
可能にさせている認識自体こそが、アートマンである。
・アートマンは、個体に内在してその内的本質をなすとともに、個体を超えて万物に浸透しいる普
遍者である。
・個体の本質であるアートマンは、宇宙的な最高実在ブラフマンそのものである。
ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の論理を「ブラフマナ」でいう祭式でなく、瞑想で用いた。意識の集中により、分別による知を乗り越えて、対象が直観される。そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。対象そのものになり、同化する。同化すれば、それのもつ力が自分のものになる。こうして、瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を体得することをめざす。とりわけ、気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの同一視に収束していった。
火を生命原理とする思想
初期ウパニシャド。
・個体に内在する生命としての火は彼方の世界に輝く光=火である太陽に由来する。
・火の表象が後退し、アートマンが「認識から成るもの」と性格づけられたものになって、かなた
の世界に輝く光は宇宙の最高実在ブラフマンとなり、アートマンはブラフマンと同置される。
・人が瀕死の状態に陥った時、アートマンはその人の諸機能の光を摂取して、身体から出ていき、
身体から離脱したアートマンは新たな母胎に宿り、別の身体となる。こうして、アートマンは輪
廻転生する。
輪廻の思想
輪廻(saMsAra サンサーラ)とは、生き物がさまざまな生存となって生まれ変わることである。インドでは、『チャーンドーギヤ』と『ブリハッドアーラニヤカ』の両ウパニシャッドに現れるプラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く輪廻説(五火二道説)が、明確に説かれる最初の例である。
・1.かなたの世界 ・・・月に至り
2.雨神 ・・・雨となって地上に降り、草木に吸収され
3.大地 ・・・食物となって、男性に食べられて
4.男 ・・・精子となり、母胎に入って
5.女 ・・・胎児となり、この世に再生する
・火葬にふされた死者の霊のたどる道に、神道と祖道がある。(二道説)
祖道・・祖霊界を経て月に至ったのち、再び地上に戻り再生する。
神道・・人里離れた所において苦行に専心する者は、祖道を経て、この世に再生する。
・輪廻の鎖は、人が自らの内面にアートマンを見出したときに断たれる。
・心の拠りどころとするすべての欲望が放棄されるとき、死すべき者は不死となり、この世でブラ
フマンに到達する。
業の思想
業(karman)とは行為のことである。行為は行われた後になんらかの効果を及ぼす。努力なしで、目的は達せられない。目的が達せられるのは、それに向かう行為があるからだ。しかし、努力はいつも報われるわけではない。報われないことがあるのはなぜか。業の理論は、それを「前世における行為」のせいだとする。行為の果報を受けるのは、次の生で、この世では、努力してもうまくいく場合と行かない場合がある。その処遇の違いは、前世に何をしたかで決定されているとする。行為は行われた後に、なんらかの余力を残し、それが次の生において効果を発揮する。だから、よい行為は後に安楽をもたらし、悪い行為は苦しみをもたらす(善因楽果・悪因苦果)という原理は貫かれる。こうして、業は輪廻の原因とされた。生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定されるというのである。これが業による因果応報の思想である。