蔵 王 権 現  wikiで調べました。

    
                                         高野山執金剛神立像

権現(ごんげん)は日本の神の神号の一つ。日本の神々は仏教の仏が仮の姿で現れたものであるという本地垂迹思想に基づいた神号である。権という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを文字で示している。

インドのバラモン教やヒンドゥー教の神々は「天」という神号で護法善神として大乗仏教の天部に取り入れられたが、日本仏教において日本の神々が仏教に取り入れられた際には本地垂迹に基づき権現という神号が多く用いられた。権現には山王神道(天台宗)・両部神道(真言宗)に基づくものや、自然崇拝(山岳信仰)と修験道が融合したもの等がある。 

山岳信仰と修験道が融合した立山修験や白山修験、羽黒修験などでは山の名が冠されて、それぞれ立山権現、白山権現、羽黒権現という神号になっている。また日光修験の日光権現(日光二荒山神社の祭神)は、勝道上人が開基した二荒権現(ふたらごんげん)が「日光」という地名の由来になり、その地名が神号と結びついた事例である。神社名や地名を用いる以外では、その神社の祭神の数で「六所権現」などと呼ぶこともある。(この場合は複数の神をひとまとまりの神としてみている。)組み合わせて、「日光三所権現」のように用いられることもある。「金剛蔵王権現」(金剛蔵王菩薩)のように本地仏の名前がそのまま垂迹神の名前として用いられている例もあるが稀である。これらのことは明神号にも多くが当てはまる。

主な権現・・・越知大権現(白山修験)、羽黒権現(羽黒修験)、立山権現(立山修験),二荒権現(日光修験)、愛宕権現、秋葉権現、飯縄権現、熊野権現、金毘羅権現、蔵王権現、清瀧権現、智明権現、根津権現、八王子権現、飛瀧権現、日吉山王権現(山王神道)、瑜伽大権現 などがある。

蔵王権現(ざおうごんげん)は、日本仏教における信仰対象の1つ。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。

蔵王権現は、役小角(えんのおづぬ、7世紀頃の山岳修験行者)が、吉野の金峯山で修業中に示現したという伝承がある。釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山の蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした3体の青い8mもの巨大な蔵王権現像が並んで本尊として祀られている。

   
  吉野 金峯山 蔵王堂

役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現の造像が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。

山形県と宮城県の県境にある日本百名山の蔵王連峰は、古くからの山岳信仰の対象であり平安時代中頃には空海の両部神道を唱える修験者が修行するようになった。吉野の蔵王堂より蔵王権現を勧請してもらい、蔵王山頂にある刈田岳神社と、麓の刈田嶺神社に併置したところから名前の由来がきている。

刈田嶺神社は、明治の廃仏毀釈以前は神仏混淆の修験道の金峯山寺という文字通り寺であったという。なお刈田岳、刈田嶺神社の蔵王権現は、大峰、吉野山金峯山寺に向かって鎮座しているという。 現在でもかなりの数の「蔵王権現」が存在する。

金峯山寺(奈良県吉野郡) ,蔵王山神社(山形県山形市)、石鎚山 - 山そのものが石鎚蔵王権現

蔵王権現の像容は密教の明王像と類似しており、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てるのを通例とする。図像上の最も顕著な特色は右脚を高く上げることで、このため、彫像の場合は左脚1本で像全体を支えることになるか、右脚をつっかえ棒で支えている。右足を高く上げているように見えているが、実は右脚で虚空を踏んでいるのである。

京都・広隆寺像のように両足を地に付けている像もある。代表作例としては、鳥取県・三仏寺奥院(投入堂)の本尊像(平安時代、重文)がある。

  投入堂

蔵王権現真言: オン バキリュ ソワカ

金剛蔵王権現真言: オン バサラ クシャ アランジャ ウン ソワカ



とあるHPに愉快な話がありました。ちょっとご紹介です。

昔、役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯山中で地上で苦しむ人達を救う神を 顕現するため、一心に経を唱えていました。すると最初弁財天が現れましたが、役行者はこれは破邪の神としては優しすぎると考え、もっと強い神が欲しいと更に祈りました。(この弁財天が天河弁財天です)

 次に現れたのは地蔵菩薩でした。地蔵は力の強い菩薩ですが、基本的には慈悲の仏なので、役行者はもっと荒々しい仏が欲しいと祈りました。すると、突然凄まじい雷とともに憤怒の形相の仏が炎の中から現れました。これが蔵王権現です。(別説では最初が釈迦如来、次が弥勒菩薩、最後が蔵王権現であったとします。)

 蔵王権現はこのような経緯もあって修験道の人々に厚く信奉され、日本各地の霊山に蔵王権現が祀られています。スキー場やお釜で有名な山形宮城県境の蔵王連峰もそのひとつで、主峰熊野岳の頂上に蔵王権現を祀り、地蔵山・三宝荒神山には、各々の名の通りの仏も祀られています。

 蔵王権現の出処については、明王系の仏を原型にしているのではないかとか、胎蔵曼陀羅・虚空蔵院の百八臂金剛蔵王菩薩ではないか、といった説があるようですが不明確です。また神道系では少彦名命に結び付けています。