愛染堂だより(12)(C)2004 RayLand   [門戸厄神]
                                     
 

この春に、お薬師様に会いに奈良西大寺に行ったとき、愛染明王がいらっしゃった。

そのお姿に、「西国愛染17ヶ寺」巡礼の納経帳を手に入れました。

それから、折に触れ「愛染明王」にお会いしにいきました。もちろん、17ヶ寺でない

寺院でも愛染様が、たくさんいらっしゃることなんか、夢にも思っていませんでしたが、

勉強もしていきますと、ほんとうにいろいろ分かってきました。

 私は、真言宗ですが、なんと真言宗では「不動明王」と「愛染明王」はとても重要な

仏様だということです。

 そして、今日念願の満願を迎えました。もちろん、

満願ということは、「心願」があるわけです。お写経や

お祈りのとき、「心願成就」というのですが。

 ある本に、「おすがりするのではなく、その仏様のお力に

少しでも近づくことができますように」と祈ることだと書いて

ありました。

 愛染明王のお力は、それはそれは大きいものです。また、ある人がいうには、

裏切ったりすると命を落とすともいいます。仏師は、愛染様を彫るときは、相当な

覚悟をするそうです。

 「明」とは真言・陀羅尼の智慧のことで、それを身につけている人を

「持明者」と呼びます。「明王」は「持明者」の王、あるいは最高の「明」という意味です。

「明王」は「仏」や「菩薩」が仮の姿で現れたものだと考えれるようになりました。

わたしは、「愛染明王」は「薬師如来」の忿怒のお姿だと思っています。

「菩薩」は慈悲を持って人を救う姿、「明王」は力をもって人を救う姿というわけです。

多くの「明王」は、怒りを現した表情に、髑髏の飾りをつけたり、動物の生皮を着たりと

恐ろしい姿をしています。多くの顔や手を持つこともあります。愛染さまも獅子の冠を

しています。これは仏教の敵を倒し、人間の心の中の

煩悩を打ち砕き、救いがたい人間を救うための姿です。

だから、明王には息災や降伏を祈願することが多いのです。

 今日、残念なことに門戸厄神では、お堂が閉まっていて、

お厨子の中におられて会えませんでした。でも、実は2回目の

西国三十三観音霊場を始めまして、中山寺にも行きました。

すると、なんと観音様の左に「愛染明王」がいらっしゃったのです。

白いお姿でした。

 前にも、おられたはずですが、私には見えませんでした。

今日、そのお姿を見せてくださいました。

 たくさんの「愛染」さまとお会いして、果たして私の内面にどれだけの成長、変化があったの

でしょう。でも、少なくとも、お互いに気遣い、いたわりあい、慈しみ、より深く結びついてきたのは

確かです。

 6本の腕には、発心と菩提の金剛さった、弓と箭は金剛愛菩薩、蓮華は観音様、にぎりこぶしの

中には、私の心願を握っていただいています。三つ目の目は、世界を照らす光明。

どうか、いつまでも見守っていてください。必ずやどこかでまたお会いするはずです。

どうぞ、よろしくお願いします。

 おん まからぎゃ ばそろ しゅにしゃ ばさら さとば じゃくうんばんこく

   ( うん た き うん じゃく )

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