愛染明王
あいぜんみょうおう

ご真言 
おん まからぎゃ ばそろ しゅにしゃ ばさら さとば じゃく うん ばん こく

       (真言の意味:オーム・大愛染金剛最勝尊よ、金剛薩たよ、弱吽鑁斛。)

  『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』  愛染王品第五
    三世三界中一切無能越 此名金剛王頂中最勝名 金剛薩た定一切諸佛母
   「すべての世界でこの明王を越えることができない。 この明王の名は金剛王の中で最高である。
    金剛薩たは、すべての仏の母であると定めました。」

人間は生きてる限りずっと欲を持ち続ける。その欲がエネルギーとして活用
されるわけです。仏様の説かれてる人間愛も大慈悲の行為も、すべての人
の心に存在するエネルギーに支えられて実現するのだと思います。私たち
が本来持っている煩悩(捨て去ったり、押さえたりしなければならない)を、
より深く考え、生きる根本的な意欲にするということを、示してくれてるんだ
と思います。

愛染明王(ラーガラージャ)は弓矢をつがえた愛の仏で、ギリシャ神話の
エロス(ローマ神話のキューピッド)と同じルーツと思われます。幾つかの
形があり、歓喜仏になっている場合も多いですが、単独の仏像としては
一面六臂の場合が多いようです。

愛染明王は愛欲染着が名前の由来ですが、これは人々が持っていく性欲
に執着する心を金剛薩たの浄菩提心の全てであるとする煩悩即菩提を表
した姿です。ラージャ(羅闍)はまた、王の意でもある。金剛薩多(密教の世
界の中心の仏)が変身したといわれる。つまり、人の心の一面をあらわすと
いうことだ。愛欲をむさぼる心(愛欲貧染)を金剛王菩薩の浄菩提心の境地
(三昧)にまで高めることが目的である。


この仏様はとてもご利益がある代わりに、とても恐ろしい仏様で、
仏像を専門に彫っている仏師の人達の間では『愛染明王を彫ったら命を取られる。』と言われるほどです。


 サンスクリット語では「ラーガ」、「ラーガラージャ」、「マハーラーガ」などと呼ばれています。
「ラーガ」とは赤、愛欲の意味で、古代インドの神の名。愛染明王との関連をいう人も多いです。
 ラーガという言葉は、もともと、染付け、色つけを意味していましたが、やがて愛着とか、執着とかを
意味するようになりました。 ラーガの漢訳語として、もっとも頻繁に用いられるのが貧、貪欲ですが、
愛着と染付けを合体しますと、愛染という言葉も出来上がります。 また、ラーガというのは、色の中
でも、とくに赤色を意味します。こういうせいでしょうか。愛染明王像は、身体の色が赤いものが多い
ように思えます。これも、光背は、日輪を表す円形をしていますが、これもまた、赤い色が塗られています。

本来は、人間の煩悩としての愛欲を、そのまま仏の悟りに変える力をもつ明王です。
愛欲煩悩が即菩提であることを開示した明王で愛を成就させてくれます。


愛染という名前のとおり、愛情・情欲をつかさどり、愛欲貪染をそのまま浄菩提心(悟りの心)にかえる
力をもち、煩悩即菩提を象徴した明王です。すなれち、人間にはさまざまな欲望がありますが、この欲
望は人間には滅亡へとかりたてる力を持つとともに、時には生きて行くうえでの活力源となり、より多く
のものを可能にし、高める力を持っています。この両刃の剣である力強い欲望の工ネルギーを、悟りを
求め自らを高めようとする積極的なエネルギーに浄化しようというのが愛染明王の教えです。


<愛染明王の12の御誓願>

  ・ 智慧の弓、方便の矢を以って愛敬を与え幸運を授けよう。
  ・ 悪心を加持して善果を得せしめよう。
  ・ 三毒の煩悩を破って浄い心を起こさしめよう。
  ・ 諸々の邪見驕慢の心を離れて正しい心に住せしめよう。
  ・ 諸人との争いの縁を断って一生平和に送らせよう。
  ・ 諸々の病苦と天災の難を去って天寿を全うさせよう。
  ・ 貧弱飢渇の苦を除いて無量の福徳を与えよう。
  ・ 悪鬼邪神の厄を払って安穏快楽ならしめよう。
  ・ 子孫の繁栄と家運の増長を守って福緑を断たせまい。
  ・ 前世の悪業の報いを清めて後生は浄土に生まれしめよう。
  ・ 女人には愛を与えて良縁を結ばしめ善児を授けん。
  ・ 女人にはお産の苦しみを免れしめ、生まれた子には福徳愛敬を授けん。


愛染明王霊場には「西国17愛染霊場」があります。


   第一番 勝鬘院愛染堂 愛染祭
   第二番 東光寺(門戸厄神)
   第三番 鏑射寺(かぐら寺)
   第四番 天上寺中院(摩耶山)
   第五番 大龍寺(再度山)
   第六番 正覚院
   第七番 大聖寺(あじさい寺)
   第八番 東寺(教王護国寺)
   第九番 覚性律庵
   第十番 地蔵院(関の地蔵)
   第十一番 愛染院
   第十二番 久修園院(釈迦堂)
   第十三番 西大寺
   第十四番 宝山寺(生駒聖天)
   第十五番 施福寺
   第十六番 福智院(高野山)
   第十七番 金剛三昧院(高野山)


愛染曼荼羅[あいぜんまんだら]
 敬愛法の本尊となる曼荼羅。金剛界曼荼羅の理趣会の中心に
 愛染明王を配置したものが一般的。



愛染[あいぜん]  愛欲に染まること。煩悩。

愛染王法[あいぜんほうおう]
 密教において愛染明王を本尊とする修法。主に敬愛及び降伏を目的として行われる。


<お姿>


 その姿は宝瓶に活けられた蓮華座で上で赤い円相を光背にして
結跏趺坐し、頭部には獅子冠をいただく一面六臂三目の赤肉色。
頭に獅子冠をかぶり、髪を逆立て、三目で、牙をむき出して□をカッ
と開き恐ろしい姿の忿怒(ふんぬ)尊です。 ●仏様の手を数えるとき
は本来は本ではなく臂(ひ)といいます。

目が三つあるのは三界(あらゆる世界)を見通す事を示してます。
三つの目には三徳・仏部(如来)蓮華部(菩薩)金剛部(明王)の仏の
威徳の全てをこの身体の中に有している事を表しています。

頭に被っている獅子冠・忿怒眼は仏敵を降伏させる事を表し、頂上に
ある五鈷は衆生の五智を成就させる事を表し、天帯(頭に巻いた帯)は
何も聞かずに如来自身の持つ清らかな欲望の心を知る事が出来るほど
の帝王である証である事を表します。

持物(その手に持っている物)の五鈷鈴と五鈷杵は息災・
弓矢は敬愛・腰に当てた手は右手に持つ蓮華の菩提心で
根本無明を降伏させる事を表し、台座にしている赤蓮華は敬愛を表し、その蓮華を支えている宝
瓶は増益の徳があることを表しています。

腕は六本、これは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道すべてを救う意味です。

持物は左右第一手には金剛薩たを象徴とする五鈷杵・五鈷鈴を、左右第二手には金剛愛菩薩を象徴する
弓と矢をとり、右第三手には未敷蓮華、左第三手は何ももたず金剛拳をする。
 
右手には手前から順に五鈷杵(ごこしょ)・矢・蓮華、左手は五鈷鈴・弓・握りこぶしです。五鈷杵と五鈷鈴は
健康や息災、時には恋いのライバルや、嘘、不純なモノなどから守るため。矢と弓は恋愛を叶えるため。
蓮華と握りこぶしは、女性の優しさと男性の力強さを表わします。蓮台の下の壷は宝瓶(ほうびょう)といって
真理、智慧、悟り、の三つの徳の宝石がはいっています。恋愛体験を通して優しさや慈しみを育てる願いを
持っています。大日如来---金剛薩捶(こんごうさった)---愛染明王という流れがあり、太陽に縁が深いの
で日輪のなかに坐っています。
        

 
左右第二手で弓に矢をつがえて、天に向かって矢を射る
姿の「天弓愛染明王」





















不動明王と愛染明王の二つの顔を持った「両頭愛染明王」などの名称を
もつ異形の像があり、高野山にもこれらの異形像が伝わっています。
 密教には、金剛界と胎蔵界の二つの世界があります。簡単に言えば
金剛界が智慧で胎蔵界が慈悲ですね。或いは、金剛界が理論または
父親・胎蔵界が愛情または母親、ととってもいいでしょう。金剛界を代表
する明王が愛染明王です。そして、胎蔵界を代表する明王が不動明王
なのです。不動明王が理や智慧、父親であり、愛染明王が慈悲・愛情・
母親であり、逆に守るものとして調和としてあるのでしょうか。
理想は、智慧と慈悲、理と情と分けるのではなく、その両者が合体した
ものですよね。それが、完璧な状態でしょう。その完璧な姿を現したの
が、この両頭愛染なのです。智慧と慈悲、理論と愛情、父と母の統合型
なのです。理想と愛情の狭間に悩む方、頭ではわかっているけど感情的
にはどうも・・・と悩んでいる方は、この両頭愛染を拝むといいでしょう。




『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』
  愛染王品第五

爾時金剛手復白佛言。
世尊我今更説愛染王。一切如來共成就雜法悉地。及畫像法

爾時遍照薄伽梵。告金剛手言。
我已説於一切如來所。曾修學。
汝今爲諸末法世中善男子善女人等。廣説利樂。時金剛手以偈頌曰

於白月鬼宿取淨白素? 畫愛染金剛身色如日暉
住於熾盛輪三目威怒視 首髻師子冠利毛忿怒形
又安五鈷鉤在於師子頂 五色華髻垂天帶覆於耳
左手持金鈴右執五峯杵 儀形如薩?安立衆生界
次左金剛弓右執金剛箭 如射衆星光能成大染法
左下手持彼右蓮如打勢 一切惡心衆速滅無有疑
以諸華鬘索絞結以嚴身 作結跏趺坐住於赤色蓮
蓮下有寶瓶兩畔吐諸寶 造像安於西行人面西對
結大羯磨印及誦根本明 兼示三昧耶一字心密語
能成能斷滅一切惡心衆 又結金剛界三十七羯磨
及以本業明速成百千事 薩?訥瑟?及諸??訶

加忿怒降伏一夜當終竟 誦本根本明結三昧耶印
又令伽?耶取紅蓮花蕊 一百八護摩一宿即敬愛
又令彼攝伏取白檀香刻 金剛愛染王五指爲量等
長帶於身藏一切有情類 及諸刹利王攝伏如奴僕
常結羯磨印誦大根本明 増益一切福堅固如金剛
若七曜凌逼命業胎等宿 畫彼形那摩置於師子口
念誦一千八速滅不復生 乃至釋梵尊水火風焔魔
頂行之惡類夜走無邊方 一切惡種惹淨行?芻衆
難調毒惡龍那羅延自在 護世四天王速除令失命

復説愛染王 一字心明曰

 『  (引) 多 枳 吽 (引)   』  入聲

復説根本印二手金剛縛 忍願竪相合進力如鉤形
檀慧與禪智竪合如五峯 名羯磨印契亦名三昧耶
若纔結一遍及誦本眞言 能滅無量罪能生無量福
扇底迦等法四事速圓滿 三世三界中一切無能越
此名金剛王頂中最勝名 金剛薩た定一切諸佛母
復説扇底迦五種印相應 戒方入掌交禪智相鉤結
檀慧合如針忍願竪相捻 進力各偃竪是名寂災印
進力捻忍願四指頭並齊 是布瑟置迦母捺羅大印
進力如蓮葉印名伽?耶 進力捻忍願上節蹙三角
阿毘左?迦當用此密印 進力屈如鉤隨誦而招召
金剛央倶施一切時作業 大染金剛頂五密印説竟


<歴史>

 弘法大師によって日本に伝えられた愛染明王は、愛情などの敬愛を祈るほか、息災・増益・調伏を祈る
本尊として、特に鎌倉時代以降に広く信仰されるようになりました。
 愛染明王は、胎蔵・金剛界の両部曼荼羅にその姿は描かれていません。金剛王と大日如来を本地とし、
弘法大師が唐から伝来させた「金剛峯楼閣一切喩伽喩祗経」(喩祗経)の所説にもとづきでた明王。
愛染明王を本尊として息災、利益、降伏(こうぶく)、敬愛を祈るのを愛染明王法といい鎌倉時代を主に戦
勝、息災の修法が行われました。また、愛染という字義から、特に女性の信仰の対象になりました。
ちなみに、わが国における信仰は、12世紀ころ、白川・鳥羽院政期に真言宗の広沢流(仁和寺)系の
僧侶によって、もっとも華やかに展開をみたとされている。

<代表的な寺院>

京都              仁和寺 坐像(平安 木造)重文
                 神童寺 天弓愛染明王坐像(平安 木造)重文
奈良              西大寺 坐像(鎌倉 木造)重文
滋賀              舎那院 坐像(鎌倉 木造)重文
高知              竹林寺 坐像(平安 木造)重文
新潟              妙高寺 坐像(平安 木造)重文
愛知              赤岩寺 坐像(鎌倉 木造)重文
山梨              放光寺 天弓愛染明王坐像(平安 木造)重文
和歌山            高野山金剛三昧院 天弓愛染明王坐像(鎌倉 木造)


<愛染明王によるお祈り>愛染敬愛法をされる祈祷師の方のお考え

神仏は人のもつさまざまな感情面を示したものだと考えられる。人間そのものは大日如来であり大日如来から派生した諸仏の側面をもつ。この派生した諸仏は人のそれぞれの面を表したものである。世で一般に信じられているような、どこかに偉い神仏が鎮座していて、我々はお願いするということではない。
仏は人の一面をあらわしており、その一面をコントロールしやすくするための方法論が密教である、と考える。例えば愛染明王が対人関係を支配するのではなく、我々の人の対人関係を表した姿が愛染明王だ、と考える。愛染明王の存在意義が、自己愛から成る他者への愛からスタートし、すべてを自己のごとく慈しむことができるようにというのは人間の辿るべき理想を示している。
愛染明王に祈るということは、自己という小宇宙の中で、愛染明王である部分をクローズアップすることである。それにより小宇宙から外界という大宇宙へ影響をつむぎだすことに他ならない。
外界、大宇宙における愛染明王は過去何千年といろんな人が想うことで想念上に深い轍(わだち)が残っているはずだ。

古来、密教のみならず宗教ではあやまったアプローチを神仏にすると罰があたるという。しかし、上記のように考えると、自己の内面を変えたところで罰のあたりようもない。例外があるとすれば、願望により自己もしくは関係する相手の不利になる場合だろう。


頭に被っている獅子冠・忿怒眼は仏敵を降伏させることを表している
頂上にある五鈷は衆生の五智を成就させる事を表している
三つの目には三徳・仏部(如来)蓮華部(菩薩)金剛部(明王)の仏の威徳の全てをこの身体の中に有している
天帯(頭に巻いた帯)は何も聞かずに如来自身の持つ清らかな欲望の心を知る事が出来るほどの帝王である証である事を表している
五鈷鈴で周囲を驚かし、目覚めさせる
五鈷杵で五つの智恵を示す
右手に持つ蓮華の菩提心で根本無明を降伏させる
台座にしている赤蓮華はみんなに愛されることを表している
蓮台の下の壷は宝瓶(ほうびょう)といって真理、智慧、悟り、の三つの徳増益(ゾウヤク)をあらわす
弓矢は愛情をあらわす

愛染明王にお働きいただくには、愛染明王像を見ながら入我我入(にゅうががにゅう)の瞑想をします。

密教では身口意(しんくい)が一致していることが必要。愛染明王の画像を見つめ(身)、真言を唱えながら(口)、愛染明王の特質を語り、愛染明王の精神(意)を思いと同化し、自分と愛染明王の境界がない状態、つまり自分の愛染明王の部分に集中します。その状態で、明王(自分)のもつ弓から放たれた矢が、一筋の光となり、自分と相手の心をつなぐ糸に変化する様を瞑想します。そして相手が見事、想いを受け入れ、同じように光り輝く状態を瞑想するのです。

敬愛法・・・人と人との争いをなくし、多くは夫婦間、異性間などが仲良くなるための法です。
・愛染明王の神仏をまつり、下記の真言を唱えてください。
・真言には二種あります。
その一、真言・・・うん たきうん しゃ
そのニ、真言・・・おん まからぎゃ ばさら うしゅにしゃ ばさろ さとば じゃくうんばんこく
この真言を7回、21回、108回と唱えてください。


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