仏教の勉強とは

いろいろの方から「仏教の勉強」がしたいとか、「仏教とは」というご質問をいただきます。また、個別の「仏様」に関するものや、「経典」などの問い合わせがあります。

勉強に近道はありませんが、アプローチの方法や、全体理解のための方法はありそうです。私のサイトのヒット件数が多いのは、きっとデータベースとしてであり、それぞれのご訪問の方々の「知りたいこと」は、多種多様であろうと想像します。

 一度、勉強の総体を見直してみようと思います。でも、あえて、私は一宗派に方向が向いています。これは、他宗派の方や一般の方にはものたりないとは思いますが、焦点を絞らないと、一般論やデータの羅列では済まない、「信仰」の意味合いが伝えられません。

 古来、歴史認識には「紀伝体」(ある人物の伝承や記録中心)と「編年体」(時代順に事件を追う)があります。どうも今の教育の影響でしょうか、時代順に、ものごとの初めから今という認識だけが納得してしまうようになっていませんか。

 また物事を考えるとき「演繹法」(順番通りかんがえる)と「帰納法」(結論から遡る)という考え方があります。どうでしょう、今の自分から何がもとかを遡ってかんがえてみませんか。いろいろ興味があったり、疑問に思うことがあると、どうしても最初からやり直さないととおもいがちです。

 ここでは、たくさんの方々の疑問にお答えできるわけもなく、「なぜ、どこが疑問に思ったのか」を自ら、分析していただくことにします。

 もちろん他の私のページをご覧の方はご承知かと思いますが、高野山真言宗の方向性からの考察です。   
宗教を教える大学はいろいろありますが、ちょっと参考までに高野山大学の開講講座を調べました。「勉強」の道には、二つあります。

簡単に言うと、「教え」と「実践」でしょうか。「教学の理解」と「実践行」だと思います。この両方は「不二(ふに)」です。両方が同時に深まらねばなりません。

お坊さんの「説法」は、み仏の教えを衆生に説くものですね。それを学ぶには、歴史や経典、また伝承などいろいろな知識が必要ですね。仏教は哲学であり、偉大な宗教ですから、理論や解釈、また膨大な資料を理解していくのは、容易ではありません。

一方、実践行ですが、これこそ真言密教の真言宗たるゆえんのところです。あらゆる儀式から行やお護摩の方法まで、信仰の実践です。特に真言宗では、口伝(口授)が絶対ですから、なかなか衆生には理解し難いし、チャンスもないのです。在家の信者でも、実際には、教えていただく師が必要で、また布施も経済的負担もあって、なかなかできません。

受戒、得度、四度加行(しどけぎょう)。十八道・金剛界三密行、胎蔵界三密行・護摩。


 [仏教の教えを学ぶ]

 体系的に学ぶなら、どこをどのように学べばいいのでしょう。

○ まずは、宗教大学の体系的勉強分野を見ようというわけです。

  高野山大学密教学科の講座(例)

 仏教の歴史(釈尊お釈迦様の生涯と教え)
 ↓ 宗教史・釈尊伝・仏教概論・仏教学講義(仏教の受容と展開)(仏教と現代)

 大乗仏教の歴史と教え
 ↓ 仏教学講読演習(大乗仏教)仏教学講義(大乗仏教の展開)

 ※ ここからは、日本の各宗派の勉強になります。顕教・密教の相違や、南都六宗などです。

 密教の歴史と教え
 ↓ 密教概論(密教学T)密教学入門・密教学講読演習(インド・チベット密教の展開)(チベット語文献)(インド・チベット密教の展開)(インド・チベット密教文化)密教史[インド・チベット]、(アジア密教)(中国・日本密教の展開)(日本密教の諸相)(日本密教史)、密教儀礼の理論と実習・密教課題演習・(密教儀礼の形成と展開)(密教儀礼の形成と展開)(密教の日本的展開)

 ※ ダライラマなどのチベット仏教と日本の密教しか、世界には残ってないそうです。

真言宗の歴史と教え
↓ [真言宗史]、(真言学(事相))(真言学(歴史))真言学概論(教相)・真言宗典講読、

※ 「教相」での問答や談義は、教義の理解が必要です。大日経典、金剛頂経典、十巻章理解。

 空海(弘法大師)の生涯と教え
↓ (空海の生涯と思想)(空海の著作・思想)(空海の生涯と思想)、祖典講読(漢文入門としての祖典)、十巻章素読、弘法大師伝、空海の思想入門

 ※ いまや、弘法大師信仰というひとつの信仰が存在します。四国八十八箇所遍路など。

 現在の生き方と使命
(社会福祉)、地域福祉、社会福祉・社会保障、公的扶助論、スピリチュアルケア、僧学など

 ※ 現代の仏教(宗教)は、「いかに生きるか」という命題がその使命だと思います。福祉社会、人権擁護社会です。そういう意味でも、因縁を基にした共存理念や他者理解の精神的基盤としての仏教(宗教)となっています。

 上記のように列挙すると、そんなものかとも思いますが、その膨大な分野と深さと量は大変です。それぞれに専門の方(教授)がおられて、研究を重ねておられ、実践されておられるのです。

 ○ 私たち在家・一般のものは、まずは簡単な仏教の歴史や、お釈迦様の生涯を紹介してある一般書籍で少しずつ知識を増やしていくことでしょう。『ブッダ』手塚治のまんが、ひろさちやさんの本や漫画、簡単に手に入りますよね。最近では、各宗派別紹介の本もでていますよね。「仏教小事典」や少し大きな本屋さんなら「仏教コーナー」がありますね。

 ・お釈迦様の生涯と教えについて・お経の意味、作法
 ・仏教の発展と歴史、分裂と分派・須弥山や地獄の意味、
 ・密教と顕教の相違(密教の教え)・曼荼羅の教え、仏像・仏画、仏具。
 ・弘法大師空海の生涯と教え・十巻章など・真言宗の教え       
 ・高野山の知識 四国遍路 各寺院参拝

 ○ただ、だんだん深めようと思いますと、チベット語やパーリ語の知識も必要ですし、漢文の素養や梵字悉曇なども必要になってきます。経典はほとんどが、中国語翻訳ですから漢文です。梵字は梵語です。真言も梵語です。インドのウパニシャド哲学(印哲)で、ヒンズー語。

 ○また、仏教芸術[仏画、仏像、仏閣、法具、着衣」という観点も見逃せません。私たちが、仏教に直接触れるのはお寺です。仏壇です。お墓です。観光でのお参り、散歩の時の野仏、葬儀や法事での出会い。お坊さんとの接触もそうです。日本の仏教は、日本文化と大昔から一体化してきたのですから。小学校の教科書から高校まで お寺のことが載っていないものはありません。文化史、生活史ですね。文学でも仏教文学というひとつのジャンルがあります。多くの作家がてがけています。詩歌、俳句・短歌。さらに、音楽もまた「声明(しょうみょう)」や「ご詠歌」が日本の音楽のもとになっていることも注目ですね。

 ○日本人の精神史という面もあります。文化論を語るのに、神道と仏教抜きには語れません。寺と神社。本地垂迹、廃仏毀釈など日本の仏教史。

 ○ことわざや語源など仏教が起源の多くの有形・無形の財産があります。

 ★いま、何が知りたいのか、勉強したいのか、なにを学んでいるのかをはっきりさせておくことですね。自分の生き方の手立てであったり、指標としての宗教ですね。

 [祈りの所作・方法を学ぶ]

  やはり私たち衆生、仏教に興味があるもの、信者としておもうもの、在家にとって、一番しりたいのは実際にお寺で、仏壇でどのような姿・道具で、どのような所作で、どんなお経をどの順に行うのか。

  密教の信者や興味のある人なら、自分が僧になり、仏になるという意味では、別世界ではなくて、自分ができることをしたいと思っているはずです。行の方法が知りたいのです。巡礼や遍路、日々のお参りや写経など。また毎日の仏壇前での読経など。できるだけ正しく、できるだけ僧侶のようにしたいのです。その段階や方法を知りたいのです。

  でも弘法大師空海は、衆生が皆できるとは、おっしゃいません。自ら、行ずるものができるというのです。得度(僧侶の誓いを立て、守るべき戒律を受ける儀式。)受戒。など僧侶に近づくこと。「在家」の考え方ですね。「寺院」と「檀家(在家)」、「僧侶」と「衆生」、「行者」と「衆生」の関係です。宗派によっても違います。また、南方仏教(小乗)では国によっては国民の義務として僧籍が課せられているところもありますね。

 四度加行(しどけぎょう)という、仏に近づく教えがあります。
  十八道・・・十八の印と真言と観念によって、有縁の仏菩薩と加持   感応をはかるための三密行。
  金剛界・・・『金剛頂経』による金剛界曼荼羅の諸尊と加持感応する三密行。
  胎蔵界・・・『大日経』による胎蔵曼荼羅の諸尊と加持感応する三密行。
  護摩・・・・・「さとりの智火をもって迷いを燃やす」。炉は体(本尊)。
         炉の口は、本尊の口。炉の火は、本尊の智火(自分の心中の智慧)。

 僧侶は、この行をすることで、仏に近づいていきます。私たち衆生も、一歩でも近づきたいですよね。だから、日常の修行や行事の時の、姿・形、勤行次第、道具など教えていただきたいものです。

 [仏教に生きる]

 仏壇の祭り方、お墓での参り方、お寺のお参りの方法、日常の心のありよう。ものの受け止め方。信仰者としての生き方。体験談や逸話・伝説などの共有。

 なにかを求め、なにかを頼りに生きるか。苦悩こそが、私たちの姿です。心が渇いています。不安です。不満足です。不安定です。だからこそ信仰でしょうか。

 どなたかが書いていましたが、「仏教は、哲学です。」あまりにも寛容だから、「どうしたらいいですか」という問いの答えは、「思うようにやりなさい。」「詳しく教えて」というと、「簡単でいいですよ。」そんな答えが、至極あたりまえに返ってきます。

 終わりのない修行。質問するのも辛くなってきますよね。気楽に聞きたいですね。最近わかってきたのですが、「密教」とか「秘密経」とかいう『密』という文字が、不可解なイメージなのですね。「密」の意味は、「内緒」とか「仲間に入らないと教えない」のではなく、「とても重要」とか「もっとも大事」とかいう意味ですね。

 どうしたらいいのでしょう。お坊さんの中には、熱心にわたしたちに教えてくださる方もおられるのですが、中には、それをチェックしてしかられる方もいます。まだまだ閉鎖的なところもあるのです。また、素人は知る必要がないとか、深く知らないでものを言うなと諌められることもあります。

 まあ、昔から規則や概念を変えていくには、あくなき行動が必要ですから、疑問に思えば、後回しにしないで、すぐに調べる、聞くことですよね。  

 [私の仏教]

 私がこんなに勉強したいと思い、その欲求が絶えない理由は、何でしょう。 西国観音巡礼は、明らかに観光ドライブとスタンプラリーでした。5年かかりました。勢いあまって、西国薬師霊場めぐりのころから興味が増してきて、「薬師如来」について調べだしたのです。そのころ、精神的にも衰弱するきっかけもあって、知的興味と信仰心も湧いてきて、いまに至ります。

 ですから最初は薬師如来の資料からです。そして、13仏。曼荼羅から唯識。そのころからお四国遍路を始め、経典を直接読むようになり、お護摩やご真言、梵字もかじりました。

 やがて、念珠を買い、輪袈裟を着け、写経もそろそろ1000枚ですかね。お参りの質が変化してきました。心の方が、あとからついてきました。ちょっと一般の方と順序が逆かもしれませんね。ですから、こうあらねばならないなんて知識先行で、自分の気持ちや感性を見直していないで、模範解答を思い込むところがありそうです。

 いつの日か、思うことがそのまま仏の教えとなり、渇くことなく、すべてを許しあえる人となれますように。ぶりぶり怒ったり、不平・不満をぶつぶつこぼしたり、ああなってほしいとかこうなりたいと夢みたりしないで、流れに乗って、流されず竿ささず。すべてに感謝し、すべてを許し、穏やかで優しいひとでありたい。
  
 幸せを分け合える人でありたい。「一隅を照らす」(天台)、「いかせ、いのち」(真言)。自分だけでなく周りの人に役立てることに感謝し、労惜しまず生きていたい。
  
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