毘 沙 門 天(C)2004 RayLand 

                    のうまく さまんだ ぼだなん べいしらまんだや そわか


毘沙門天は、梵名のバイシュラマナ(Vaisravana)を訳したもので、仏の教えをよく聞くという意味で、
多聞・普聞・遍聞などとも訳されます。また中国で、吠室羅末拏(べいしらまぬ)・毘舎羅門などと音写され、
それが変化し毘沙門となった。今では、七福神の一神として有名だが、もともとはインドの神から、
仏教の神に採り入れられた神。

毘沙門天は、仏教では四天王の最強の神となり、須弥山(しゅみせん)中腹の北側に住し、夜叉を率いて、
憤怒の姿で岩座に立ち、北方を守護する神である。像によっては、岩座の代りに、足元に悪業煩悩の鬼を
押さえつけていることもあります。寺院の山門でも、仁王像でなく毘沙門様が立つところもあります。

また十二天の一神ともなった。財宝富貴を掌り、仏法護持の善神である。『法華義疏』第12に、
「毘沙門は、是れ北方の天王なり。此に多聞と云ふ。恒に仏の道場を護り、常に説法を聞くが故に多聞と云ふ」
とあります。その姿は冷静沈着を示し、悪を挫く勇気、清く正しく強く生きることをさとしてもいるという。
また率いている夜叉だが、八大薬叉大将、二十八使者ともいわれます。

毘沙門天の信仰のもとは、『毘沙門天経』に、
「毘沙門天王を願せば、浄信、戒、聞、捨、受、捨、慧、貌、力、弁、色声香味触富貴自在の十種の福利を
獲得し、仏法中に於て法眼を開き、聖果を証得すべし」
とあるように、財宝福徳の仏神と子宝を授かるという信仰も強い。さらに、『北方毘沙門天随軍護法真言』に、
「仏は毘沙門に勅して、天兵を領して界を守り。国土を擁護すべしと告げられたり」
とあるように、軍神(いくさがみ)としての信仰も厚い。

一、尽きる事のない福。
二、人々から愛される福。
三、智慧の福。
四、長命の福。
五、仲間が増える福。
六、戦に勝つ福。
七、豊作の福。
八、生糸作りの福。
九、善い教えの福。
十、真の愛の福。

[歴史]

日本では、『日本書紀』第21には、聖徳太子が物部守屋(もののべもりや)を征討した時、四天王像を造って
祈願して戦勝し、後に摂津国に四天王寺を造立した・・・・・・ということが記されているように、戦勝護国の仏神
としても大いに信奉されてきた。

平安時代、王城守護のために平安京羅城門上に、同京の北方鎮護のために鞍馬寺に、それぞれ毘沙門天が
安置された。

京都洛北の天狗と源義経で名高い鞍馬寺の兜跋(とばつ)毘沙門天像(軍陣に望む姿。刀八とも書き八本の
手全部に刀を持つ像である)や高野山竜光院などの毘沙門天像は、古来から怨敵退散・国土鎮護の霊像と仰
がれてきた。四天王の中で単独に信仰されるようになったのも、この鞍馬寺の存在が大きい。京都の北を守る
神として意識されて信仰が広がり、武運の神として武将たちが信仰したのであった。

[お姿]

毘沙門天の像の一般的特徴は、頭に鳥形の冠(三面だての宝冠で、その正面に翼を広げた鳥の姿を表す)、
身に甲冑、左手に塔(もしくは腰に手を当てる)、右手に宝棒(もしくは戟)を持っているのが普通である。
左手の塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけるとい
います。また甲冑を身につけているのは魔を寄せつけぬためともいわれます。

[功徳]

毘沙門天が、七福神の1つに加えられた理由の1つは、勇気を持って悪に立ち向かえば、財をもたらすと
いう性格から出たものであろうと思われる。幸福の神である吉祥天を妻としたところから、毘沙門天も、
福をもたらす神としたいう説もある。



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