仏教の実質的始まりはいつか

 宗教の確立を考えるとき、教祖・経典・信者が揃うのが基本であろう。「仏教」でいうならば、「三宝」(仏法僧)。教祖である釈迦。次に、法(ダルマ)の確立。さらに僧(サンガ)の確立。さらに言うならば、信者(在家信者)による構図が確立し、宗教団体として運営維持できる状況になった組織。それぞれをポイントにした実質的な始まりの時期や出来事を、初期仏教の阿含経典から解釈して大きく分けて、5つある。

1. ブッダが目覚めた時・・ブッダガヤーの目覚め
やはり、「仏教の始まり」を考察するうえで一番最初に考えるは、ゴータマが、ブッダとして目覚めた時である。仏教の教えの根源が生まれた時。「縁起」と「十二因縁」こそが、初期経典のそして、すべての部派・宗派に共通する「原点」である。
『ダンマ・パダ』・・「家を作る者」、『律大品』・・「菩提樹の話」
『ウダーナ』・・「もろもろのダンマが現れるとき、・・」

2. タプッサとバッリカ(最初の在家信者)
次に考えられるのは、世尊がラージャーヤタナ樹に近づいたときに現れた二人の商人タプッサとバッリカが、麦菓子と蜜団子を差し出し、最初の在家信者として認められた時。構図として、教祖と信者が、できた時である。ただ、二人は世尊の両足に頭を置いて、「世尊に帰依します。ダルマに帰依します。」という。いわゆる二帰依。まだその時には、サンガとしての僧集団が成立していなかったわけである。『律大品』・・「ラージャーヤタナ樹の話」
パーリー原典・・「ブッダとダンマに帰依します。」

3. 梵天による勧請と決意・・
 ブッダは、次に衆生に説くことをためらうのである。「わたしが苦労して感得したことを、はたして説く必要があるのだろうか。貪欲という病にとりつかれた人々が、この真理を感得するのは容易ではない。」と。確かに、崇高な教えを悟ったとしても、衆生にその教えを説き、信者を作らなければ、仏教としての宗教が成立しないのだから、教祖としての決意(心の動き)が、大きなきっかけであろう。その部分を「梵天勧請」として、ポイントにあげることができる。
 この時点を、世尊の説教への決意。宗教としての始まりだとみるのも、ひとつである。
『サンユッタ・ニカーヤ』・・「梵天勧請」、『律大品』・・「梵天勧請」

4. 初転法輪・・5人の比丘
やがて、世尊はその悟った教えを説くために行動を起こす。
『マッジマ・ニカーヤ』「耳を傾けよ。不死が得られた。私は教えるであろう。私はダンマを説くであろう。」そして、鹿の園で修業を続けていた5人の比丘に言う。「比丘たちよ、耳を傾けよ。不死は証得された。私は教えよう。」と。そして、自らが悟った中道と四諦八正道が、説かれていく。その教えを、5人の比丘たちは理解し、執着がなくなり、煩悩から解脱した。阿羅漢は、世界に6人となったのである。
当初からの宗教団体としての条件である、教祖・教え・僧侶団体・在家信者がここに揃うのである。この時点をもって、仏教という宗教団体が成立したといって過言ではない。『律大品』・・「五人の比丘」

5. 最初の在家信者・・ヤサの父(サンガの確立)
1から4まで考察してきたのだが、2.のタプッサとバッリカ(最初の在家信者)たちをして、最初の在家信者とみなすかどうかが、改めて問題になる。それは先にも触れたように、タプッサとバッリカは、二帰依(世尊とダルマ)はしたが、まだその時点で成立していなかった「サンガ(僧侶集団)」には、帰依していない。5比丘が世尊に認められ出家し、その後良家の子息ヤサが出家する。その父親である長者居士は、息子ヤサを探しに世尊のもとに行くのだが、世尊の教えに感得し、「三帰依」をすることになる。
「この私は、尊師よ、世尊とダルマとサンガに帰依します。」初めて「三帰依」をした在家信者が現れて、やっと完成された構造の宗教団体として『仏教』が成立したのである。続いて、ヤサの母と妻が、これも初めての女性在家信者となる。次々に世尊のもとに、出家者が増えてきて、大きなサンガが成立していく。

 結論としては、この「三帰依した在家信者」の登場の時期こそが、宗教団体としての仏教の成立とみなすのが、妥当だといえる。
                  

※参考資料
 『ブッダの伝記』谷川泰教 高野山大学
 『ゴータマ・ブッダ』羽矢辰夫 春秋社
 『仏教入門』高崎直道 東京大学出版社