真言密教の現実重視について

1.密教の歴史的発展過程での現世利益的性格。
2. 大乗仏教から、密教への変遷過程での在家への救済の性格。
3. 「即事而真」に象徴される即身成仏の、現実的なとらえ方。

1. 真言密教の成立までを、歴史的にみると、大乗経典の中にも、4世紀以降、バラモン教の儀礼が多く取り入れられている。6世紀ごろまでには、現世利益を主体として説く「雑密」と言われる経典がでてくる。7世紀、中期密教経典では、唯識、中観、如来蔵といった大乗の思想を根底に据えた「純密経典」(「大日経」、「金剛頂経」)ができてくる。これらの経典は、従来の呪術的な儀礼や観法を大乗仏教の思想によって、意味づけをしたもの、つまりそれまでの「徐災招福」の密教儀礼が、大乗仏教の思想によって解釈され、成仏の法として位置づけられたのである。

日本では8世紀後半には、すでに山岳修験者たちにより、在来の民俗信仰よりも強力な呪術性のある「密教」が受け入れられ、9世紀初頭、空海が唐よりもたらした「密教」の経典や思想は、さらに宗教的基盤を固めていくことになる。空海は、京都東寺を中心に、律令国家体制に沿いつつ、自ら修法をもって、朝廷と民衆の要望に応えた。その後、土着神をも擁護し、本地垂迹説をも生み出し、日本の仏教として、密教は定着していくことになる。

2. 大乗仏教から、密教への変遷についてみると、古代インドに起こった仏教も、他の信仰と同じように、その祈る信者の願いは、「災難を除き、幸福を招く」、「現世の利益、安楽を祈願」することであった。しかし、ブッダは生前、「初期教団」における「儀礼の執行」や「呪術の行使」を強く禁じた。やがて、時代が進み、大乗仏教の時代となり、在家信者が多く加わってくると、仏の教えに従って悟りの道に歩むのみならず、日常的に「祖霊や鬼神に対する祈願儀礼」や通過儀礼は同時に続けられていたと推察される。出世間への悟りの道、つまり成仏を目指す方向と、治病、富貴、長寿など俗世間的な願望の達成、つまり現世利益を求める相反する二つの方向を含みながら、大乗仏教は、発展していくことになる。7世紀以降のインド中期・後期の密教経典は、曼荼羅世界(胎蔵曼荼羅)を構築した。そこには、大乗仏教における仏や菩薩をはじめ、異教の神々から変身した明王や諸天、鬼神まで描かれている。曼荼羅は、聖なる世界の視覚化のとどまらず、鬼神や精霊をも含めた現実の俗なる世界が二重写しに投影されている。この意味で、聖俗一体の世界像の縮図ということができる。

 また、『大日経』「住心品」の「三句の法門」には、「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす。」とある。人間的な欲望もまた宇宙生命につながるものであるから、われわれのさまざまな弱点を含んだこの現実世界を全面的に肯定し、その中に理想形態を見出し、現実世界の中に絶対の世界を実現するのが密教の理想である。したがって煩悩も、迷いも、すべて仏教の理想である智恵の世界、絶対の世界に到達する「方便」とみなされる。ここにおいて、欲であって欲を離れる、煩悩に即して煩悩を断ち切る、すなわち「煩悩即菩提」、現実即理想という大乗仏教の思想が生きてくる。

 3.「即事而真(そくじにしん)」という言葉がある。意味は、現実の世界における現象がすなわち真理であるということ。密教思想の特色として、現実を仮のものとは見ず、現実世界にこそ真理が宿ると考えて、現実を重視する姿勢。現象は真理に他ならない。真理の世界が絶対世界ならば、現象世界はその一部であり、現象世界も真理の世界と離れているものではない。「即身成仏」、既に仏であると知ることこそ、現象世界と真理の世界の同一視することができる。「当相即道」とは、そのものらしくあることが、すなわち道理にかなっているという意味である。だからこそ、密教の行者は、仏との一体化とともに、衆生への救済という使命を帯びることになる。『華厳経』の「三平等」から密教での「三昧耶戒」に至り、『大日経』具縁品の「四重禁戒」が説かれる。さらに「十重禁戒」、『菩提心論』の勝義、行願、三摩地。また空海は、「四恩」と「十善」を説く。その著書『秘密曼荼羅十住心論』のおける第十住心である「秘密荘厳心」を最終目的に置き、他を排除することなく、あらゆる思想に、それぞれの価値を認めようとする密教の総合性と包容性を、端的に示す特色ある思想であるということができる。



※参考文献 
      『密教』松長有慶   岩波新書
      『仏教入門』高崎直道 東京大学出版会
      『即身成仏義』金岡秀友 太陽出版
      『密教入門』大栗道栄 すずき出版