二十八部衆


 千手観音の眷属。『千手千眼観音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』では眷属は三十五の諸天だが、
『千手観音造次第法儀軌」では二十八に分類して像の形を説いており、二十八部衆の由来はここにあるのであろう。



 ちなみに京都・妙法院(三十三間堂)の像は『千手観音造次第法儀軌』とは一致しないが次の通り。
 密迹金剛力士・摩醯首羅王(まけいしゅら)・那羅延堅固王・金毘羅王・満善車王・摩和羅王・畢婆迦羅王(ひつばから)・五部浄居天・帝釈天・大弁功徳天・東方天・神母天(じんも)・毘楼勒叉天王(びるろくしゃ)・毘楼博叉天王(びるばくしゃ)・毘沙門天王・金色孔雀王・婆藪仙人(ばす)・散脂大将(さんし)・難陀竜王(なんだ)・沙羯羅(しゃがら)・阿修羅王・乾闥婆王(けんだつば)・迦楼羅王(かるら)・緊那羅王(きんなら)・摩ご羅迦王・大梵天王・金大王(こんだい)・満仙王。


天竜八部衆

広く仏法の守護者を総称したものです。
元来古代インドの異教の神々や悪鬼で仏教に取り込まれてからは仏法を保護する護法善神となり、
八部族に再編成された。天竜八部衆・八部衆ともいう。

 『法華経』第三「譬喩品」や『金光明最勝王経』(金光明経)等に基づいて
天・竜・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩ご羅迦とされる。

『仁王護国般若経疎』では四天王に各々二ずつ割り振られている、
乾闥婆・毘舎遮(東方・持国天)、
鳩槃荼(くはんだ)・薛茘多(へいれいた)(南方・増長天)、
竜・富単那(西方・広目天)、
夜叉・羅刹(北方・多聞天)をいう。

興福寺では天部に五部浄(ごぶじょう)、
竜部に沙羯羅(しゃがら)、
夜叉部に鳩槃荼(くはんだ)、
摩ご迦羅部に畢婆迦羅(ひつばから)
をそれぞれの代表として名称が与えられている。
これは江戸時代に編纂された同寺『瀾觴記(らんしょうき)』によるものである。

天 梵名テーヴァ。〜天と名のつくものはこれに属する。
弁財天・吉祥天・大黒天・などなどがいます。
誕生した釈迦に対し虚空から清浄な水を頭上に注いだ難陀(なんだ)竜王、優波難陀(うばなんだ)竜王が著名である。
インドにおいて、蛇の頭部を冠として頭上に表す姿に表現するが、日本の涅槃(ねはん)図の中に表現される2竜王は、鼻が大きく身体に鱗をもつ中国風の竜を冠にする武将像である。インドの龍は多分にコブラのイメージが強いとされますが、やはり大河が龍にたとえられるなど、龍は水と深い関係があります。
インド神話では蛇形の鬼類である竜の王ナーガ Nagaのこと。
主として水中に住み、雲や雨を起こす神通力を持つと信じられる

「法華経」には、釈迦が同経を説いたとき列席して説法を聴いた8尊の竜王の名が説かれる。
八大竜王と総称される。

  難陀竜王   なんだ    海洋の主。頭上に9匹の竜、右手に剣、左手は腰。
  跋難陀竜王  ばつなんだ  難陀の弟。頭上に7匹の竜、右手に剣。左手は空中
  娑羯羅竜王  しゃがら[娑伽羅(さから)] 天海に住む。雨乞いの本尊である。
  和修吉竜王  わしゅきつ  水中に住む九頭竜。
  徳叉迦竜王  とくしゃか  この竜が怒って人を見るとその人は死ぬ。
  阿那婆達多竜王あなばだった 雪山の池の中の五柱堂に住む。
  摩那斯竜王  まなし    阿修羅が海水で喜見城を攻めた時その海水を戻した
  優鉢羅竜王  うはつら   青蓮華の池に住む

特にその中でも娑羯羅(沙伽羅とも)が雨乞いの神として深く信仰されており、弘法大師が京都神泉苑で八大竜王に祈って雨乞いをし、雨を降らせたという話が残っています。

雨乞いの時は娑羯羅竜王あるいは八大龍王を本尊とし、特に釈迦が八大龍王に説法している絵を筆の速い絵師に描かせながら、蛇を支配するのは孔雀ということで孔雀経が読まれたりします。
夜叉
本来はインドの民俗信仰における男性神で、凶暴な性格を持つ者とされる。
一方では、森林にすむ神霊で人間に大きな恩恵をあたえる守護神ともいう。
サンスクリットのヤクシャの音写で、薬叉、野叉とも書かれる。
樹木との関係が深く、ヒンドゥー教系統の美術では聖樹とともにえがかれることが多い。

羅刹(らせつ)と並び人を傷つけ、人肉を食う悪鬼。仏典では人の悪心を象徴する。
女性のヤクシャ(ヤクシー、ヤクシニー)は、さらに古くから生産をつかさどる地母神として信仰の対象であった。
仏教にとりいれられてからは毘沙門天に属し、北方を護る。夜叉明王。夜叉神。
そのため、仏教美術では武装した姿で描かれている。

梵名ヤクシャ。空中を飛行する鬼神。

夜叉は日本における鬼のイメージの源流のひとつです。
乾闥婆
(けんだっぱ)
梵名ガンダルヴァ。古代インドでは神々の飲料水である蘇摩酒(ソーマ)を守護する。
乾闥婆(ガンダルヴァ)は帝釈天(インドラ)に仕えて香を食し音楽を奏で、蜃気楼を作り出す力があるとされます。
神医でもあり、また楽神でもある。
阿修羅
(あしゅら)
梵名アスラ。天部にあらざるものの意味で悪鬼の総称。

阿修羅(アシュラ)はインドで神々(デーヴァ)に対立する悪魔とされます。これがお隣のペルシャでは、逆にダエワが悪魔でアフラは神になっています。恐らくは元々アーリア人の中でペルシャに移動した人たちはアフラを信奉し、インドに移動してきた人たちはデーヴァを信奉していて、お互いに相手の神のことを悪魔だと言っているのでしょう。

一応仏教ではそのインドの概念の流れを汲んでおり、阿修羅界ではいつも争いが絶えない、などというのですが、その阿修羅さえもここにおいては仏教を守護するために仏敵と戦う存在とされます。

争いを好む神で、海底や地下に棲んでいると考えられ、3つの顔と6本の腕(三面六臂さんめんろっぴ)を持ち、赤または青黒い体をしている。元来はインドの善神であったが、インドラ(帝釈天)がヒンズー教の中で力を得てくると、それに対抗する悪神というイメージが強くなった。一説に、帝釈天の娘のことで戦いを続けたとか。

仏教にとりいれられてからは、天竜八部衆に加えられ、仏教の守護神となった。日本では天平時代から信仰されていて、興福寺に優れた乾漆像がのこる。

阿修羅は単独で描かれることはなく、涅槃(ねはん)図でも釈迦(しゃか)をとりまく諸尊のひとつとされている。
仏教にとりいられてからは修羅道界の王となる。
迦楼羅
(かるら)
梵名ガルーダ。金翅鳥(こんじちょう)・食吐悲苦鳥(じきとひくしょう)と漢訳される。金色の大きな鳥で、口から火を吹き宿敵ナーガ(蛇神)をとって食う猛禽類を神格化したもの。古代インドでは雲を呼び雨を降らす悪竜を食し、鳳凰のように美しい姿で翼は広げると336万里に及ぶ。 鷲の頭とくちばし、翼と爪、脚を持つ鳥人。顔は白く、翼は赤く、全身は金色に輝いている。音訳では、伽楼羅(かるら)という。大きさを自在に変える能力があり、小さなところから出入りすることができる。鳥の王とされ、スパルナ(Suparna美しい翼を持つ者)という別名もある。

密教には迦楼羅観という修法もあります。これは迦楼羅の姿を観じて自身が迦楼羅と一体になるのを観じ、その中にある自分と一体化した地水火風空の五大の力を観じるのです。すると体の中にある邪気も毒も全て消え去るとされます。

ナーガとガルーダの争いの発端は、「マハーバーラタ」に書かれている。
『ガルーダの母は、ナーガ一族と賭けをし、ナーガの不正によって負け、彼らに隷属することになった。ガルーダはそれに我慢できず、ナーガ一族から、「不死の甘露(amuritaアムリタ)を手に入れれば母を自由にする」という約束をとりつけた。天界へ向かう間、数々の神が彼の邪魔をするが、神々の武器であるチャクラさえも効果がなかった。ガルーダは見事アムリタを手に入れ、母を開放する。 この時、ヴィシュヌ神と約束を交わし、ガルーダは不死を得る代わりに、ヴィシュヌの乗り物となった。以後、ヴィシュヌと、その妻ラクシュミ(吉祥天)は、ガルーダに乗って現れるようになったという。』

密教においては梵天や大自在天の化身、あるいは文殊菩醍の化身といわれ、風雨を止めるための修法である伽楼羅法の本尊とされる。形像は鳥頭人身で、胎蔵界曼荼羅に表される。
緊那羅
(きんなら)
梵名キンナラ。歌神・楽神と漢訳される。美しい歌声を持つ鳥を神格化したもの。仏教では(キンナラ)も帝釈天に仕え、人頭馬身または馬頭人身とされ、鼓を打ち笛を吹きます。
摩呼洛伽
(まこらが)
梵名マホガラ。大腹胸行(だいふくぎょうきょう)・大蠎(だいもう)と漢訳される。腹這いで進む大蛇を神格化したもの。仏教では音楽神の性格が与えられている。摩呼洛伽(マホーラガ)は蛇頭人身です。
 もとは、うわばみのような蛇の神格化だったようだが、仏教にとりいられてからは、緊那羅とともに帝釈天につかえる楽神となる。コブラではないらしいが不明。にしきヘビではないか?との説もあるらしい。

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