遍路6回目の(4) 

平成24年4月15日から19日、6回目を始めます1番ー17番
平成24年8月5日から8日、6回目(2)18番ー23番
平成24年10月21日から24日、6回目(3)24番ー28番
平成25年1月29日から2月1日、6回目(4)29番から36番

 ある日の朝、幼稚園のお散歩行列


1月29日(火曜日) 

 早朝4:40に自宅から徒歩で、電車の駅まで・2.5km。
真っ暗です。始発に乗って、大阪伊丹空港まで向かいます。
なにしろこんな時間ですから、歩くしかないですね。また、楽し。

 いよいよ札所が大阪から、だんだん遠くなっていきます。今回は、飛行機
利用です。45分で、伊丹から高知竜馬空港まで行きます。すごいですね。
8時には、高知に着いているんですよ。
  7:10  伊丹空港 ANA1601  高知竜馬空港7:55着  

  朝日の竜馬空港

 実は、少し悩みました。空港から前回最後の28番大日寺まで行って、
32番禅師峰寺に向かうか、逆に一番空港に近い禅師峰寺から、
逆打ちで、29番国分寺に向かうか。

 でも、32番禅師峰寺さんの近くには、宿もなく、バスもかなり不便な
場所です。翌日の33番からの行程も考えて、今回は逆打ちします。しかも、
初日ということもあり、峰寺さんまで、7kmはタクシーです。そこから
29番国分寺までで、20km位ですかね。私は、決して健脚でもなく、
深い歩きのこだわりもありません。愉快に、楽しく歩きたいですね。

 10分で、32番禅師峰寺さんです。地元では、「峰寺さん」。
だれもお参りはありません。坂の上まで送ってもらいました。

 さあ、快晴の土佐高知。いよいよ出発です。朝は、マイナス1℃。
耳と手が冷たいです。「ひょいと お四国 朝日がまぶしい」

 奇岩のお不動さんを横目に、階段を上って、本堂・大師堂。
遠く桂浜が見えます。

  

 8:50  32番禅師峰寺――5.7km――31番竹林寺

 峰寺さんの斜面を下りて、いよいよあるきます。石土池には、いっぱい野鳥がいます。
ほとりをあるいて、逆打ちでトンネルに向かいます。
 暖かくなるということですが、日蔭はまだまだ寒くて、ネックウォーマー、ニットの帽子。
手袋です。歩き出すと体はあたたかくて、汗ばむし、どうも温度調節が難しいですね。
 川の岸を歩きます。鵜が私の進む方向に、ずっと先導してくれていますよ。

 

小学校の横を、ここから長い石段の参道です。大好きな道の一つです。宝くじが当たったら、
きっとこの階段の大改修をしたいと、ずっと思っています。竹林寺さん。
「ボンさん かんざし」のお寺ですね。やっとの思いで、山門からあのきれいな苔の道。さすがに、
ここは観光客やお参りの方がいます。ゆっくりお参りしました。五重塔。横の一言地蔵が後ろ
向いています。気付かない方も多いです。

 

 ここの逆打ちは、初めてです。植物園に入らないといけません。窓口で、その旨を
申し上げると、丁寧に応対していただきました。「通過だけで、見学はご遠慮くださいね。」って。
そのとおりですね。

 ふと、このとき「私は、今日朝からいろんな人と応対したけれども、きちんと、丁寧に、
失礼なくできただろうか?」と頭をよぎりました。実は、一日中、自問自答。今日のテーマです。

 11:00  竹林寺――6.6km――30番善楽寺

 植物園を無事?抜けて、反対側の斜面を下ります。ここも、斜面はお墓です。
遍路道には、いくつもお墓の中や側を抜ける道があります。まあ、お寺ですからね。
ずっと手をあわせながら下りていきます。

 村から、街中に入ってきました。高知市内、高須・文殊通りです。御免線のちんちん電車。
曲がるところが分からず、うろうろしていたらバイクのおばさんが、わざわざ止まって、ここを
曲がるんですよって。

 ひたすら、北に上がっていきます。工場団地ですかね、高速の入り口もあって、あたりは
閑散とした道路と、トラック。JR土佐一宮(いっく)を過ぎると、また住宅地。突き当りが、
土佐一宮神社。立派な神門、参道です。

 札所のお寺の成立にも特徴があって、大きな神社の宮司さんのお寺としての、
別当寺・神宮寺など神仏習合のなごりのお寺も多いですね。

  今回は、安楽寺さんにはいきませんでした。

 30番札所の騒動話も、一つの時代ですね。そういえば、西条の札所の受付時間の
お話もありましたね。四国88カ所といえども、時代と多様な考えで、揺れますね。

 納経所の前のベンチで、パン。日向ぼっこ。ちらほら、お参りの老夫婦、挙動不審の
おじいさん。本堂の裏に入って、なかなか出てこないおばあさん。独り旅風の若い女性
(神社ガール?)。ふふふ、人間観察もまた愉快です。

 13:00  善楽寺――7km――29番国分寺

 実は、国分寺前の扇屋さん。昨日電話して、今日3時までには寄りますって、
言ってあります。そろそろ出発しないといけません。

 頭では、時速5kmで歩いて、小休憩をいれて、14:40にお寺について、納経後に、
扇屋さんによって、菅笠を購入。15:24分国分寺通りバス停から後免町にバス乗車。240円。
15:53発後免線ではりまや橋。450円。

 いやはや、現役時代のようなスケジュール。(分刻み)実は、昔はこれが得意技で、
実に正確に仕事も旅もこなしていましたね。そう「こなしていた」だけで、味わっていな
かったんですね。・・・・つまらない人生だったような。でも、人生の楽しみ方って、
どうしたらいいんでしょうね。

  野中を通って、国分寺山門です。
 手前左が扇屋さん。

 あれこれ、頭がぐるぐる回っているうちに、高知大学医学部前。ひろい河原の道を
抜けて、小学校を過ぎます。ここも、ずっと以前ですが、たくさんの小学生と
すれ違った時、だれも挨拶してくれなくて、上級生に聞いたら、先生が知らない人と
話さないようにって。なにか、遍路にいたずらされた事件があったらしい。どんなにか
心痛めたことか。
 大切な遍路文化。お互いに大事にしたいなあ。

 さてさて、いよいよ国分寺。時計を見たら、15:40分。ふふふ。

  扇屋謹製の心経入り納め札。

 申し訳けないのですが、今回のお四国の最大の目的が、扇屋さんの柿渋塗の
菅笠を手に入れること。納経もそこそこ?に、扇屋さん。おじさんが待っていて
くれました。「昨日電話したものです。」「おお」
 さすが手作りです。みんな塗も違うし、五徳の大きさも。試着です。
一番黒い、しっかりしたのを購入。頭の先がしっかり。
「ふちが、悪くなるのは、使うものの扱いかただ。」とか。・・そうですね。
 ひもも付け替えていただきました。すぐに、着用です。
わくわく、つけながら、バス停?まで。ははは。だれも見てないのにね。

15:24  国分寺通り――御免町 240円 10分 
植田〜JA高知病院線[JA高知病院]   土佐電ドリーム

 へんろいしのお店、めちゃんこ立派なのになってる!
あの用水路の横の小さなお店でなくて、少し御免駅寄りに。

  

 東西線[鏡川橋行]15:53 路面電車 運賃450円
 明日は、南はりまや橋から、バスで雪蹊寺まで行って、歩きます。



 1月30日(水曜日) 

 はりまや橋のすぐ横のビジネスホテル。
 7:14 南はりまや橋 桂浜行 7:32 長浜出張所下車

 南はりまや橋のバス停で待っていましたら、お勤めのおじさんがご挨拶。
自分も定年になったら、お遍路に出たいのだがと。
「先達なのに、一人ですか?」どうやら、バスなどの団体の引率のイメージです。
いやあ、札所などでお困りの方のお手伝いなどしたいんですって言いますと、
驚いておられました。ちょっと、うれしいです。

南はりまや橋 07:14 桂浜[桂浜]行き 高知県交通 運賃420円 長浜出張所 07:32

 早朝の高知市内。朝日の五台山。バス停から、400mで、33番雪蹊寺。

  ひっそり、雪蹊寺

 ここ、雪蹊寺さんでは、いつも思い出すのが、納経所のこわいおじいさん。
たいてい、どなたかにお説教。態度が悪いとか、気を付けていかないとだめだとか。
以前、数珠玉の種をいただいて、庭に蒔いたこともあります。
「今日は、おくさまですよ。」なんて、こっそり教えていただいたり。

 今朝、懐かしい納経所に入りましたら、あの「杉本さん」のにこやかなお写真。
おくさまに聞きましたら、3年前に他界されたとか。ずいぶんご苦労されたそう。
持病もあって、遺言でそのお体を献体されたそうです。・・ご冥福をお祈りします。

 8:30 33番雪蹊寺――6.3km――種間寺

 朝の道は、通学や道路工事の皆さんの準備時間。すれ違う皆さんとのご挨拶が
うれしいですね。特に、工事の皆さんが向こうからお声をいただくことが多いです。

 途中、保育園を左に少し行くと、車道から右に村の中に入る道があります。
道しるべのへんろ板、赤い矢印が消えています。実は、私赤いマジックを携行して
います。赤い文字や矢印が薄い所を、ずっと塗り直しながら歩いています。

 今回は、どうやら矢印が、白いインクで消されているようです。少し悩んだのですが
赤く塗り直すことにしました。塗っていますと、後ろからおじさんへんろさんがやってきて
「ありがとうございます。どうも地元のものに、おへんろを理解しないものがいる。
わたしは、へんろ文化をまもる団体に入っている。ふがいない。」と怒り出す。どうやら
地元高知の方らしく、受け入れる住民への御不満が、あるらしい。

 実は、この方とは三度お会いすることになります。

 私は、地方からお四国に来て、また発想の根源は、へんろ側にあって、通過する
へんろは、決して地域住民にご迷惑をかけてはいけないとも思い、また、後に来る
お遍路さんの便利のために、なにかお手伝いができたらと考えて、いままできました。

 今回、地元の方で、へんろ文化をご支援されながらも、地元へのご批判をされる
方と初めて会いました。よく、納経所の方のご批判やへんろさんの悪態や不作法に
ついては耳にしますが、とても戸惑いました。

 へんろ道は、時に街道であったり、山の近道であったり、村の中の道です。
そして、またそれぞれの村の成立とも深くかかわっています。

 村落は、荘園制の発展とともに一つの集団生活の場として成立していくのでしょうか。
同じ条件を持つ人々の共同体として成立していきます。そのほとんどは、田畑の開墾
や、林業、漁業の場です。おそらく鎌倉・室町時代には共同体としての組織だてが
なされてきたのでしょう。

 また、戦国時代以降、落ち武者部落や放浪者・流浪人たちの集団生活場など
特殊な成立もあったでしょう。江戸時代には、被差別の人たちの村もあり、お墓を
守ったり死体処理の人たちが、集まったところもあります。城下町や門前町にも
武具や仏具などの製造者が集まったところも。

 そんな、村落の中もまた、遍路道として発展して行ったに違いありません。
 現代でも、村落によっては、遍路を拒絶し、道しるべの張り紙1枚もないところも
あります。あの保存協会の「ひとり歩き」地図も、地元から遍路道の記載を削除する
要請があるようです。あたらしい住宅街の人も多いようですが、歴史が物語る
へんろ拒否の文化もまた、理解しなければならないはずです。

 室町時代に発達した村落共同体の文化では、「稀人(まれびと)」信仰などと
民俗学などでは呼びますが、日常の生活に突如入ってくる「よそ者」を大事に
する考えがありました。障害を持って生まれてくる赤ちゃんや精神障害の人を
村では、「神様」もしくはその使者として、共同体全員で大事に育て見守ってきた
歴史があります。村の境界外からやってくる「他所者」も、情報や別文化をもたらす
大事な客だったのです。しかし、やがて個人所得に時代になり、集団が壊れていくと
それらの人々を、「迷惑者」、「生活を脅かす存在」と解釈されるようになってきます。

 都市化された社会(日本のほとんどの地域)では、すでに「他所者」は、警戒すべき
対象であって、決して挨拶したり、ものをやり取りしたりしてはいけない「危険人物」
なのです。
 
 お四国に残っている「お接待」文化を、受ける方も、する側も、お世話される関係の
みなさんも、寺社・行政のみなさんも、やっぱりさらに、ともに気遣いながら、大事に
保持していきたいですね。

 あの怒っていってしまったおじさんの後を、とぼとぼ考えながら、種間寺に向かいます。
交差点で、私が渡りすぎるまで、ずっと止まって見送ってくださる方に、ふかぶかと
礼を尽くして、お寺に向かいます。

  底の無いひしゃくの子育観音さま

 種間寺です。先達さんともうおひとりの二人連れの方。お話が聞こえてきました。
大師堂の幕を寄進された方のようです。へえ、先達さんが読経されて、後ろで静かに
手を合わされていました。

 10:00 34番種間寺――9.8km――清滝寺へ

 どうも体調が思わしくありません。右足に、みずぶくれ(まめ)ができているようです。
10年も歩いているのに、初めてです。靴も古くなってきて、張りがなくなって、
また紐もすぐゆるんでしまいます。風邪気味が高じて、もうぼろぼろ。

 仁淀川を渡るころには、清滝寺までもつかなあと、少し弱気です。それでも、
なんとか向こう岸の土手をてくてく。昔、なべ鶴の観察をしていた田んぼ。
あれあれ、鶴の看板も撤去されていて、いっぱいいた野良猫もちらほら。

 鶴も渡ってこなくなったのか。猫たちも、「ねこにエサをやらないで」の看板で
ひもじいのか。高速道路の下を通って、いよいよ清滝の坂道です。
下りてくる若い女性のひとりへんろさん。スキーのストック2本使い。

 へろへろになって、清滝の坂をあがって、やっと境内に。あたらしい消防車。

  

 あのぼやきおじさん。お参りを済ませ、納経に。かなり早そうだったのに、
結局はあまり違わないんですよね。お疲れそうな、ご夫婦。歩いているようです。
あまりお話されずに、黙ってお参りされています。読経もされないんですが、
じっと本堂・大師堂で合掌。なにか、御事情があるんでしょうね。

 わたしは、もう完全にワープ(途中タクシー利用)に、気持ちが向いています。
心が、折れるときだってありますよね。だって、あとまだ12kmあります。・・無理!
それに、知っているんです。山を下りたら、タクシー会社があるってこと。
平岡ハイヤー。コンコン、「あのう、青龍寺さんまでお願いできますか?」

 時刻は、13:30 14:00前には、青龍寺。15:00過ぎには、宿に着きます。
少し早すぎですよね。まあいいか。

 ワープ!トンネルを抜けて、宇佐。宇佐大橋を渡って。
「運転手さん、あんまり後ろめたいので、三陽荘さんの前で降ろしてください。」
そこから、わずかですが歩きます。

 やってきましたが、あの階段がねえ。

   青龍寺の階段です。

 ふうふう、やっとご本堂。浪切りのお不動さん。納経所横には、恵果さんのお堂です。

  お大師さんの師匠様。

 ふらふらと、何も考えずに駐車場から出て、歩き出して。
「おーい、どこ行くんか?そっちは、行き止まりだぞ。奥の院の方にいかにゃあ!」
その声に、ふと我に返り、感謝しながら戻り、恵果堂前を左の山に入っていきます。
いやあ、こんなことってあるんですよね。なんにも考えていませんでした。なにか、
憑いていたんですかね。

 またまた、かなりきつい山道を登って、奥の院、国民宿舎土佐です。
時刻は、15:00 だれもいないロビーで、しばらくして支配人さん。
「すみません。もうチェックインさせてください。」「おふろ、いま沸かしてます。」
16:00過ぎたら、入れますよ。露天はいまでもOKです。ありがたい。

 階段をあがろうとすると、「おう、マギーの遍路靴ですね。残念ながら、在庫も
なくなって、今は階段踊り場で、ミズノのを展示しています。」って。よくご存知です。
田尾さんのマギーの遍路靴を購入して、10年近く。区切り打ちですし、大事に履いて
着ましたが、そろそろ限界ですね。今度の靴は、どうしましょう。

 18:00夕食まで、お風呂も独り占め。転寝のあと、食堂に。食事の準備は4名だけ?!
あのぼやきおじさん。おとなし夫婦。そして、私。

 支配人さん、おじさんと地元話。磯釣りの磯談義。太平洋。

  明徳義塾高校。宇佐湾、高知湾。

 この国民宿舎土佐は、景色もいいし、絶好の場所です。横波スカイラインができたときに
同時に建設したそうです。もう30年経つんだということです。

 明日は、歩き最後の日。今日の疲れを回復して、のんびり20km、ガンバです。
そうそう、まめの水を抜くのに、針がなくて、爪楊枝で・・。ううう。お休み。
 


1月31日(木曜日) 

 7:00の朝食をいただいて、春霞のなか、海に朝日が昇っていきます。
 7:30 宿を出ました。もうみなさん出たのかなあ。

 

 今日は、須崎までなんにもない横波スカイラインを歩きます。
 昨日、タクシーの運転手さんに
「やはり、歩きの方はスカイラインですか?どっちも景色はいいですけどね。」と尋ねられ
ました。宇佐の橋まで戻って、浦の内を歩く方が、家もあるし、きっと春の暖かいときなら
そちらもいいでしょうね。距離は、どうでしょう?3kmくらい長いかな?!

 以前、船で湾内を須崎まで航路があったはずなんですが、タクシーの運転手さんも
御存じありませんでした。一度、バスで須崎に行ったことはあります。

 早朝から、半島の尾根をずっと歩きます。このスカイラインは、本当に何もない道です。
別荘が少し。ゴルフ場。霊園。・・くらいですかね。12kmほど、出会うのは、車だけです。

 まあ、実は今夜は須崎で泊まって、明日朝の高速バスで帰るだけ。距離も20km程度。
失敗したのは、昨日タクシーでワープしたために、宇佐の町でコンビニに寄れなくて、
今日のお昼のパンを持っていません。お腹減るだろうなあ。この道は、お店もないしなあ。

 幸い足のまめは、昨日水を出して、絆創膏でしっかり押さえて、影響はなさそうです。
ゆっくり歩きましょう。上り下りを切り替えし、傾斜8%が続きます。結構きついですよ。

 展望台、トイレのあるのはここだけ。

  武市半平太の像です。
 竹林寺と禅師峰寺の間に、半平太の生まれた家や資料館があります。
 愉快なのは、新しいJR高知駅に、慎太郎・半平太・龍馬の三人が揃って立っていますね。

 海を見ているんですね。太平洋。日本は、これからは海外に目を向けないとね。
いまも変わっていないですね。・・・でも私の英語コンプレックスは、今も解消されていません。

 12:00前に坂道を下りて、スカイラインもおしまいです。やっと民家がありました。ここから、
峠を越えて、須崎ですね。まただらだら坂道を登って、トンネルをくぐって。

 へんろ小屋が、あります。

 17号須崎のヘンロ小屋です。

 しばし休憩して、もうすぐYショップだなあ、なんて空腹をおさえて、お茶を。
いろいろ張り紙があって、雑誌などもある。

 見覚えのある過激な宗教団体の冊子。どうしてこんなところにあるんだろう?
壁の張り紙。「告」とあって、休憩しているおへんろさん相手に、団体の人が寄ってきて
勧誘するそうです。「無視するのが、一番」なんて書いています。

 数年前、この団体に所属している若い非常勤講師が、生徒を勧誘し、仲間の店に
呼び出して、複数で支部に連れて行って、入会書にサインさせて、とても困ったことが
ありました。八方手を尽くし、脱会させて、その講師を解職しました。私にも、何度も
この冊子が送られてきました。やめた後も、親にまで勧誘に付きまとって、最後は司法
です。

 日本の文化が独特なのかもしれませんが、信仰の寛容性(トレランス)については
わたしは、誇るべきものがあると思っています。仏教伝来から道教や儒教、キリスト教。

 開国以来、世界中の宗教が日本にあると言われます。また、解釈によっては、日本では
宗教戦争は、一度も起こらなかったという人もいます。おおらかな国民性?神道が、
アニミズム系であったことから、全ての存在にその神性をみとめられたのでしょうか?
決して「排他的」な発想を抱かない。それが、日本の信仰の「寛容性」だと思います。

 だれかの著作に、あたかも血液型の異なる胎児を、お腹に宿す母胎のように、
異なるものを、互いに認め合う寛容性こそが、『免疫』である。という内容の部分があります。
相手を拒絶し受け容れないのではなく、相手と自分との違いを認め合い、互いに害すること
なく共存すること、こそが宗教のみならず、これからの共同体、国家、国際交流での
要点だと思います。

 どうも、空腹と糖分の不足で、頭だけが冴えてきて、ぶつぶついいながら、大阪セメントに
向かっています。

 須崎の町は、高速道路や高架ができて、なんだか遍路道がわかりにくいですね。
もともと湾沿いに発展し、国道ができてその道沿いに、店舗や病院などがあります。
別格大善寺さんには、トンネルの向こう側なのでちょっと今回は、遠くから合掌。

 宿舎には、今日も15:00過ぎに到着です。後は、あしたバスに乗るだけ。


2月1日(金曜日)
 
 朝、7:30 宿を出て、JR多ノ郷に向かいます。須崎の駅まで2.5km位あります。
 まあ電車が、39分、59分とありますから、8:30発のバスには、余裕です。

 今日は昨日の反省で、昨日からバスの中の昼食やおやつの買い込みも済んでいます。
 宿から駅まで、10分くらいですって言ってたのに、5分で着いて、寒い誰もいない
須崎のバス停で、だいぶ待ちました。うろうろして、「かわうそ」情報を探しましたが、
もうどこにも「カワウソの町すさき」の文字がありません。

 やっぱり、絶滅宣言があって、町おこしにはつらいのでしょうか。

  キャラクターは、ありました。

8:30 大阪行きのJR高速バス。三列の快適シート。高知市内に止まって
10数人で、高知道から川之江、徳島道。6時間半。それでも、便利になりましたよね。

 次回は、窪川・四万十・宿毛から宇和島。どうしましょうかね。

15:00には、自宅についていました。

仏教の勉強室