今も続いている伝統行事

初午の餅まき 「おくろさんの餅まき」(稲荷初午大祭)

 

 毎年岩室では、2月11日(祝)実施。「おくろさんの餅まき」(稲荷初午大祭)があります。古い人は、「おくろさんの餅まき」といいます。例年多くの人出があります。(画像は、H26年2月11日)15:00のお寺の鐘と同時に、大きな鏡餅が投げられて、いよいよ始まります。ざっと100人以上来られてるでしょうか。大きな歓声があがり、あっという間に終る感じです。番号の付いたお餅を拾うと当たりです。本堂で、豪華景品と交換します。

以前は、2月の初午の日に稲荷社(福寿大明神)が、単独で餅まきをしていました。また別に二の午の日に「おくろさんの餅まき」がありました。今では、「おくろさん」に吸収される形で、それも11日に固定して行われている岩室の伝統行事です。「稲荷初午大祭」と名付けています。今では「初午の餅まき」というのが、一般的でしょうか。

 ※初午は、いまも全国にその風習があり、五穀豊穣や無病息災を祈る春先に行う季節行事です。

 「おくろさん」は、新坂(新聞屋さんから観音端にあがる坂道)にいた狸「くろ」があまりに下を通る人々に砂を撒いていたずらをするので、狐を操ることができるおばあさんが、狭山病院手前の信号の西側の山(首つり山、腹切り山)で、毎年油揚げを撒いてお稲荷さんを祭っていたが、その人に頼んで熊野権現さんの横の稲荷社に封じ込めてもらったという。以来、このお稲荷さんを「おくろさん」と呼ぶ。戦前には、世話人がいたが、今では村の観音端・上・下の3組が当番で、小さな丸餅をつくり餅まきをして、お稲荷さんには、酒一升と赤飯を供えるという。(昭和50年ころの伝承聞き取り)

 ※岩室の「砂まきたぬき」の伝承は、「おわり坂の狸」、「こんぴら道(西小学校への道)の狸」などがある。腹切り山のところでは、毎年「キツネ祭り」といって、キツネのばあさんが油揚げとぼた餅を、八方に向かって、「山の狐さん、お帰りあれ。」と言って、投げて祭ったという。
 ※狐の伝承は、腹切り山、北薮、新池、赤坂、土橋、湯山、こまが谷、乙女池の西側、東側の8か所。池に火柱が立ったり、弁当が空になったり、道を迷わせたりするいたずらが絶えなかったという。
 ※「首つり山、腹切り山」の地名は、南北朝の古戦場か秀吉の紀州攻めの伝承かもしれない。

会計当番は旧村の3組の輪番です。実施費用やお供えは、当番組が前回の地蔵盆の時に堺・狭山岩室全村から募った寄付金と自治会からの支援金、そして各個人・商店など。




地蔵盆 
 (岩室観音院 地蔵盆)
 
 毎年8月23日は、寺の地蔵盆・・昔は、高野講がしていたが、いまは組の持ち回り。子どもが生まれた家は、名前入りの提灯を作り、奉納します。子どもたちに、お供えのお菓子と赤飯を配ります。(歴史的には、「地蔵盆」は関西を中心にいまもあります。本来は、民間の産土信仰の名残ですが、仏教では地蔵菩薩の命日が24日であったことから、盂蘭盆会の仏教行事と一体化して、仏教行事でもあります。)

 現在は、お昼から観音院本堂で、お寺の行事として院住さんのお話と外部からのマジックショーなどがあって、その後地蔵堂前でお祈りして、お菓子の配布です。配布の時の午後3時には、お寺の鐘が鳴り響きます。当番は、旧村の三つの組が輪番で担当します。堺市側と大阪狭山市側が一体となって行います。

 

・寺の地蔵さん・・5体。(最近7体になっているが)歯痛の地蔵、子供を守ってくれる地蔵。子どもを授けてくれる地蔵など。子どもたちは、七五三に自分の名前を書いたよだれ掛けをかけたといいます。。

・小谷池の地蔵さん・・新しい道路建設のために、コーナンの信号のところにあった小谷池がなくなり、その地蔵さんもお墓にあったが、今は、お寺の地蔵堂に移っています。ある人が、付近の藪を焼いたとき、この地蔵さんも黒こげになってしまい、その人は、その後寝込んで死んだという話しも残っています。

・赤坂の下の池のほとりにあった地蔵さんもあり、お寺の地蔵堂には、お地蔵さんが7体あります。




 また、8月24日には、辻の地蔵盆・・西高野街道と天野街道の三叉路で、地元の有志の数軒でお祀りしています。
小さなお堂に地蔵さんが二体。山中家、門脇家のものだといいます。昔から三角地に家を建てると地蔵さんを祭らねばならないといい、その門脇家が祭ったそうです。この二体は夫婦だともいい、。山中家が、一度家に持ち帰ったが、その夜に「さみしい、さみしい。」と当主の枕元に地蔵が立ったので、辻に戻した。大正の終わりに、山中のおいとさんが、赤飯を重箱に入れて、お盆に近所の子供たちに分けてあげたのが始まりで、地蔵盆を始めたということです。
 昭和50年代までは、お寺の地蔵盆よりも規模が大きくて、あの天野街道分岐の三叉路の前で、提灯を吊り、盆踊りも踊っていました。いまは、車も多くて、難しいです。

 
※旧山本地区にもお地蔵さんがあり、いまでも独自に「地蔵盆」がおこなわれているそうです。

 ※令和2.3.4年度は、コロナ禍で村の皆さんが実施する地蔵盆は中止でしたが、観音院・奉賛会がおこなう地蔵盆行事は実施されました。


 ※問題点と今後の維持・継続について

  今では、堺市側と大阪狭山市側の旧村が、一体となって昔ながらの「地蔵盆」を行っている。
堺市1組(観音端)、堺市2組と大阪狭山市岩室1丁目(旧上地区)、堺市3組と大阪狭山市2丁目(旧下地区)が、3年おきに会計担当する。各組で別会計となっていて、2月の初午行事会計と対にして執行しているため、他の組が実施したときの資料がない。
会計報告は、各行事実施後自治会にも報告されている。

 旧上地区では、当番が回るごとに狭山側と堺側が順番に会計を担当している。資金は、夏の地蔵盆に寄付を募り、初午はその残金と堺・狭山自治会などの支援金・寄付金で実施している。令和2年度、3年度の地蔵盆・初午が堺側の回りになる。狭山は、5ブロック長の協議で決めるが、堺は組長さんが一人なので自動的にその年度の組長に決まる。旧下地区は、狭山側が地蔵盆、堺側が初午の餅まきの会計を担当するとか。

寄付してもらえた家が、H26年度は、岩室全戸で86/120軒程度。(約72%)。子供の数が減って、当日参加の子どもの数は約20名程度。お参りの人にも配布しても40個程度。以前はとても盛況であったが、お菓子の数を100個以下にしても可能になっている。寄付と当日のお手伝いは、例年30名程度あった。
  
 平成30年度、旧下地区は地蔵盆狭山側、初午堺側と担当を分けていたが、狭山側が岩室地区全域からの寄付を集めなくなり、担当地区の寄付だけにしたことから、資金不足から今後の継続実施が危ぶまれる。また、地蔵盆が8月23日なので、平日実施の場合、お手伝い協力者が難しくなってきた。今後、23日前後の土日実施も検討する余地がある。

 令和2年度の堺・狭山双方の自治会で、地蔵盆時と初午時に各5万円づつ10万円の支援金を出し、伝統行事の存続・維持に当たることとした。が、令和2.3.4年度は、コロナ禍にみまわれたため、岩室の行事も3年間中止になった。そのため当番組も持ち越しとなっている。

 令和5年度、堺・狭山双方の自治会で伝統行事の存続・再開の協議を進めて行くことになっている。