歓喜天(大聖歓喜天 だいしょうかんぎてん) 聖天さま
ギャクギャク
ご真言 おん きりく ぎゃくうん そわか
とても力の強い歓喜天なので、真言はめったなことで口にしてはいけません
という方も多いですね。ご真言も伏字で、サイトにも載せないかたも。
この真言を七回唱え相手の名前を呼べば、その人を呼び寄せられる。
また牛の体から生ずる牛黄を百八回真言で呪し額につけると、人から
愛され敬われるといわれます。
真言宗や天台宗の御寺では歓喜天をお奉りしている所もあります。
でも日常にご開帳されているのを見たことがありません。
とても熱心な信者の方が多いですね。商売をされている方が、多いと聞きました。
歓喜天に許しを請いたいときには
十一面観世音菩薩の御真言 オン ロケイジバラ キリク ソワカ
と 軍荼利明王の御真言 オン・アミリテイ・ウン・パッタ
を用いると鎮まると言います。
聖天(しょうてん)・大聖自在歓喜天(だいしょうじざいかんぎてん)ともいいます。
大日如来の教令輪身で、韋駄天の兄とされます。
元はヒンドゥー教の神で、シヴァ神とその妃・烏摩との子で、ガネーシャといいます。仏教の帰依をしたのちは、
仏道に行ずる人々を守護している。ガネーシャは9800の大鬼王を率いて、三千世界を自由に往来し、あちこ
ちに出かけて仏・宝・僧を守り、大慈悲で全ての人々に利益を与えるそうです。
本来はヒンドゥ−教の最高神である『シヴァ神』と『カ−リ−』との間に生まれた『毘那夜迦(ビナヤキャ)・ガナ
ハチ』と言う顔が象の神で智慧と財宝を与える神とされています。
珍しい姿の歓喜天です。(千葉県)
ネットで公開していたのは、ここだけ?
千葉県の圓明院のHPの図像 http://www.sensin.net/enmyou/hotoke/
圓明院のHPの解説には、『当山に伝わる歓喜天は、往古よりその容姿の奇抜さ の故に、門外不出の秘仏として
代々秘密裏に祀られてきたものであり、山主以外はその尊 像を直接頑拝することは許されておりません。
一般的には歓喜天の本地仏である十一面観 音をその伴侶として歓喜天が抱擁する象頭夫婦双身尊形が
基本的な尊像でありますが、当山の歓喜天は、象頭の歓喜天が伴侶として福徳弁財天を抱くという異形で
あります。』とあります。
[逸話]
『昔摩羅醯羅列王(まらけいられつおう)という強暴魔物がいました。
この王は牛と大根とを好んで食していたために人々は恐れて牛を献上していました。
やがて牛がいなくなると死人の肉を、死人の肉が無くなると生きた人をいけにえに謙譲していました。
この事を憂いていた国中の人々はこの王を討伐するべく挙兵をしました。
それを見た王は大鬼王毘那夜迦となり眷属共々空の彼方に飛び去ってしまいました。
その後国中にはその王の呪いで疫病が流行してしまい,困った国中の人々は十一面観世音菩薩に救って
くださるように祈願しました。
十一面観世音菩薩はその祈りを聞き、毘那夜迦の女身に変化して毘那夜迦の元へ駆けつけました。
毘那夜迦は十一面観世音菩薩の変化身を見て一目で気に入り,后になるように命令しました。
十一面観世音菩薩は「もし私と夫婦になりたいと思うのならば、人々を苦しめるのを止めて仏教に帰依して
人々を護る事を誓って下さい。」と言いました。
毘那夜迦はその言葉に従い、仏教に帰依して人々を護る神となりました。』
ガネーシャ神が仏教において慈悲の仏と尊ばれる十一面観音のやさしくうるわしいお心に感化されて、
その持っている威力をもっぱら仏教守護のために発揮することを、十一面観音の化身である女天にお
誓いし、そのことを女天も認めて一緒になったといういわれによるものです。それ故、この双身像の男天
は大日如来、女天は十一面観音をあらわすというのが、古来の解釈です。
[功験]
何かを断つ祈願に功験があります。聖天さまは大根が好物とされています。そこで二またの大根、
またはその絵馬を奉納し、大根を絶ちますからと願うと、聖天さまが同情していち早く願いを叶えて
くださると言われている。
古代インドでは、仏道修行の邪魔をする神でしたが、仏教に取り込まれてからは、あらゆる障害・
困難を排除して仏法を守護する神となりました。そのため、密教(特に真言系)においては各種の
修法が行われる際に、その成就を願い聖天壇を設けて勧請が行われるようになりました。
ご利益は、医者でも治せない難病や怪我の治癒、一切の障害を除き裕福になる、夫婦和合、
子授けなどがあります。その功徳はあまりにも霊験が強いために、子孫七代までの福を一代で
取ると言われています。
清浄を尊び甘いものが好きで、甘味を具えると願意の成就がしやすいとされています。
最も喜ぶお供え物は穀類、蜜、焼く祖などをこね合わせ、油で揚げた歓喜団子と大根、甘いお酒です。
歓喜天にお供えをした供物をお寺から戴いて帰り、近所の人たちに配り食べた人たちの福が
全部自分に集まってくるという俗説のある地域もあります。
祈祷をする行者は、清浄を好む歓喜天なので、身体を清潔にし、勤行を怠ることなく勤める。
これらを怠ると厳罰が当たるということです。そして、修法時にお経を一字でも間違えたり、
注ぐ油の温度が適切でない場合は、その祈祷は成り立たず、逆に罰が当たるということです。
仏教に帰依した今でも荒々しい心は変わらず、歓喜天に祈願すると七代の幸福を一身に集めて
来て授けて下さると言われていますし、もしその祈願のときに交わした約束を破るとその命を取る
とも言われています。
[お姿]
形は単身のものと男女が抱き合っているものがあり、単身のものは腕が二本・四本・六本などがあって、
大根や刀や杵などを持っています。
抱き合っているものは、男天はシヴァ神の長男で、女天は十一面観音の化身でガネーシャを仏教に帰依させ
る方便として、女天になり抱きついて歓びの心を起こさせ、その暴悪を鎮めたので、歓喜天といいます。
2神が相い抱く姿として表わされている双身歓喜天像の、相手の足を踏みつけているほうが、
十一面観音菩薩の化身ビナヤキャ女紳とのことです
条帛・裙(裳すそ)を着けた象頭人身の異形の姿で表される独尊像のほかに、男天と女天の夫婦2神が
ひしと抱きあう双身像があります。像の種類の豊富さは他に類を見ません。
高野山 霊宝館 所蔵
●寺院によって、浴油するところがあります。
『大聖天歡喜雙身毘那夜迦法 』にありました。
若欲作此天法。先須畫像。
或用白鑞銅木等及花木。若鑄若刻並得。其像形。
夫婦二身令相抱立。各長五寸。或七寸皆得。
並作象頭人身。造像不得違價。其像成已。
當以白月一日。於淨室内。用淨牛糞摩作圓壇。
隨意大小。當取一升清細麻油。
以淨銅器盛之。用上呪文呪油一百八遍。
即暖其油。然後將像放著油中。安置壇内。
用淨銅匙銅杓等率油。潅其二像頂身一百八遍。
一日之中七遍潅之。
平曉四遍日午三遍共成七遍。已後毎日更呪舊油以潅其像。
如是作法乃至七日。隨心所願即得稱意。
正潅油之時數數發願。復用酥蜜和&M047733;作團。
及蘿蔔根并一盞酒。及歡喜團時新花菓等。
如是日別取新者供養。一切善事隨意成就。
一切災禍悉皆銷滅。
其所獻食必須自食始得氣力
請召印。以二小指二無名指。相鉤向内。
即以二中指竪相叉。又以二頭指。
各竪附中指。以二大指亦竪。附近頭指側。大指來去
●『毘那夜迦(ビナヤキャ)・ガナハチ』の逸話に
http://mother-p.web.infoseek.co.jp/link/top/sinwa/gojyuuonjyun/k/a/ganeesya.htm
容姿:四手と独牙を持つ象頭で袋腹の黄色い男。鼠にまたがるか、鼠を持つ
家族:父にシヴァ、母にパールヴァティ
パールヴァティが自分の体の垢を練り上げて作った。あらゆる障害を防ぎ、富をもたらす神。
インドでは重要な事業の開始時には必ずガネーシャが祭られる。
思慮深さの神でもあり、商売繁盛の神としても人気がある。
本来は完全な人間の姿であったが、パールヴァティの沐浴を覗き見する者が
いない様に見張っていた所、シヴァに対してさえ妨げ様とし、首をはねられた。
正気に戻り慌てた(もしくはパールヴァティが逆上した為)シヴァに、通りすがりの
象の首(アイラーヴァタという説も)を与えられた為、象頭の神になった。
ガネーシャの誕生を祝う宴の席で、シャニに見つめられ頭が灰になったという説もある。
また右の牙が折れているのにも逸話がある。
ある時鼠に乗っていたガネーシャは、鼠が蛇に驚き落とされてしまった。
その様子を見た天の月が嘲笑った。
それに激怒したガネーシャは片方の牙に呪いをかけて月に投げつけた。
月のみちかけはそのせいだと言われている。
シヴァがカイラーサ山で眠っている際に、ヴィシュヌの化身パラシュラーマがやってきた。
戸口にいたガネーシャは父は今眠っているからと断るとパラシュラーヤは怒り、
喧嘩となったが、パラシュラーマの持つ斧を見て、シヴァが与えた物だと気づいた
ガネーシャは、自ら牙を折り、負けを認めたという説や、
パラシュラーマとの闘いで斧を牙で受けた為だとも言われ諸説ある。
造像法
其像形端立。象頭人身。左牙出右牙折。
面少向左。其鼻向外?。有六臂。其左上手把刀。
次手把果盤。下手把輪。右上手把棒。
次手把索。下手把牙。造此像不得違價。足數付之。
若鑄若刻若畫並得
右此大聖大祕要法。人間希有。
實勿傳之宜誡愼也
[経典]
大聖天歡喜雙身毘那夜迦法
大聖歡喜雙身大自在天毘那夜迦王歸依念誦供養法
大聖歡喜雙身毘那夜迦天形像品儀軌
聖歡喜天式法
[生駒山 宝山寺 『信仰への道』から]
『歓喜天讃徳偈』
大自在尊観世音 双身隋類度衆生
感応道交難思議 是故我礼歓喜天
お祈りの仕方
冥目合掌 「南無大聖歓喜双身天王さま」
ご真言 「おん きりく ぎゃくうん そわか」(宝山寺 「おん きり ぎゃくうん そわか」)
『歓喜天使呪法経』
「上品に我を持たん者は我れ人中の王たるを与え、
中品に我を持たん者は我れ帝の師となることを与え、
下品に我を持たん者は富貴無窮ならん 云々」
上品の供養とは、浴油供法、中品の供養とは花水供法ですが、阿闍梨職の僧に願います。
下品の供養とは、身分、財力に応じて、清浄の供物を献じて、真言を誦して祈念する法です。
(注)「歓喜天」と「歓喜仏」を混同していまして、大変ご迷惑をおかけしました。
最初のころ、同じものだと思っていたのです。その像も、象と象が抱き合う
ものや、男と女が抱き合うものなどがありました。でも、まったく異なるものです。
いずれ、「歓喜仏」についても調べて掲載したいと思います。 陳謝!
■歓喜天(2)
■愛染堂 ■愛染堂だより(1) ■愛染堂だより(2) ■愛染堂だより(3)
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