高野山と比叡山

A,  真言宗は密教専修であるのに対し、天台宗は天台・密教・戒律・禅の四宗相承である点が異なってい るということです。
    ですから、当時の世相からしても、もてはやされたのは現世利益でし ょうから、鎌倉仏教につづく要素が天台宗には
    あったのではないかと思います。逆に、真 言宗は密教を深めていきますと、ますます世俗から離れていくのではない
    でしょうか。東寺派と高野山派が権力争いをしたりして、高野山がとても廃れていくことになるのですよ ね。覚鑁和尚
    が、お大師さまの後出ますが、結局高野山改革ができなくて、離れていくこ とになります。

A, (現在の真言宗の姿について、こんなご意見をいただきました。)
  真言宗においても、戒律や禅、浄土信仰、さらには天台教学も含めて内在しており、密教専修とは限りません。現実の真
  言宗においても密教的なアプローチを採って、大衆を教化しようとする真言僧はほとんどおらず、むしろ浄土的な大師信仰
  や戒律を授かる受戒、密教禅である阿字観などで真言宗を広める手がかりとしているのが現状です。

  天台が浄土・禅・法華に分かれていったのは、一つには天台宗を開いた伝教大師の不完全性と天台宗が天台教学をベー
  スにしているために、教論を主体とした性格によるものであり、真言が内在したまま存在したのは、弘法大師の経学の完成
  度が高かったことに加えて真言の持つ許容範囲の広さ故と私は考えております。

  天台が有名僧侶を輩出しているとはいえ、その僧侶が同時代に必ずしも評価されていなかったことも事実で、親鸞上人・
  道元禅師・日蓮上人はほぼ同時代人ですが、その当時もっとも有名な僧侶は真言宗の忍性菩薩です。

  真言宗が弘法大師を超える僧侶を輩出しなかったのは、その包容力によるものであり、仮に弘法大師を超える真言僧が
  現れたとしたら、その方は多分真言宗とは別の宗派を生み出すことでしょう。

  1200年にわたり、弘法大師を超える僧侶を出せない真言宗はある意味で情けないとも言えますが、一方では真言宗の
  誇りです。ちょっと客観的な意見とは言えませんが、私はこう考えておりますがいかがでしょうか。