☆霧雨の早朝、雨に濡れる母子を見たとき、お接待できなかった自分に涙が流れました。

  → 「やさしさ」がなにかを考えるようになりました。

 霧雨の早朝、車窓から雨に濡れながらきつい山道を歩く母子を見たとき、わあ辛そうだなあと思いました。直後に、そうだ!歩き遍路の人に、飲み物を「接待」しようと思い立ちましたが、すでにあの母子を過ぎていました。

 涙が出ました。ごめんなさい。そんなことも気づかないほど心が汚れていました。かわいそうとか辛そうというのは、第三者的な、傍観者の論理です。主体的、共感的な思いではありません。

 さて、遍路で私は何を学ぶのでしょう。たくさんの方々と出会いました。それぞれが仏の化身なら、いったいどの仏様なのでしょう。また、どんなメッセージを届けてくれるのでしょう。歩きは、お寺にいる時間よりはるかに歩いている時間が長いです。息もあがり足も痛くなります。最初は、自分の体のこと。行き先のこと。出会う人から、自分以外の人のことを。自然。社会生活。世の中の生活時間。ぐるぐるまわって、やっと自分の内面。私のテーマは「優しさ」です。「生きる」ということ。
 さてさて。

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