4度目の満願

 1回目の満願は、車でした。二回目は、大雪の日で女体山のドライブウェイは通行止め。40cmの積雪。その道を越えました。三回目は、台風が近づいていて暴風警報。女体山頂の神社では前も見えない土砂降りで、全身ずぶぬれ。そうあの日に、タバコをやめました。

 今回は、花折れ峠を越えて、だらだら上っていったその道の向こうにあの新しい山門が見えてきました。とうとう大窪寺に到着です。最後のpiicats柄杓を。鐘も撞きました。大師堂はあとで、本堂に向かいます。きました。
        
 ・・・・やっぱりだれも待っていません。だれかが待っていて、迎えてくれる・・そんなゆめをみていました。そんなことが、あるわけがありませんよね。だれもいない静かな、あまりに静かな境内。リュックをベンチにおいて、おいずるを来て、輪袈裟、念珠。本堂「結願所」にはいります。

 どうしたことか、身震いがするほど寂しくて、悲しくて・・。我昔所造諸悪業・・」声が出ません。涙が止まりません。嗚咽です。ひくひく肩がとまりません。幸いだれもいません。声をだしてなきました。お経の声がでません。

 そう、自らがなしてきたいろいろの人間関係が、すべて自分勝手で自分中心で、真に相手の幸せを考えていなかったのでしょうか。自分とともにいて、自分とともに閲した艱難が、ともに「しあわせ」だと思っていました。それが、間違いだったのでしょうか。いつぞや、人は次々と自分から離れ、結局は「自分ひとり」なのでしょうか。

 「死ぬときは、ひとり」なんてよく言いますが、「いまもまた一人」なのですよね。ともに歩んでくれる人なんて、きっといないのですよね。『同行二人』は、お大師さんだけなんですよね。

 「杖だけと ともにあゆみし このみちは なにをたよりに いきとしいきん」寂しくて、わびしくて。

 私の場合は、最後に捨てきれない欲は、人を恋焦がれる思いだったのですね。

 いろいろなものを捨ててきました。妙なプライドや自尊心。酒・タバコへの固執。征服感、達成感。でも、捨てられることを想定していませんでしたね。自己存在ってなんでしょうね。

      安寧な死を求めていくと、全ての固執から脱却することなのでしょう。私のおいずるに16番観音寺でいただいた光明真言の版が襟に押されています。生きているときは無病息災。遺体に着せたら、死後硬直がやわらかくなるといわれます。でも、実は一部が汗でにじんでしまいました。ずっとそれを着ています。

 私が死んでこのおいずるを着ても、一部が硬いままだと思います。この部分の硬さが、消えなかった固執だと思うのです。捨て切れなかった、「愛着」です。消えなかった「夢」であり、薄らがなかった「妄想」ですね。「思い出」だけにすがって余生をすごすことなんてできるのでしょうか。

 いままで多くの先輩たちを見送ってきました。今度は、自分が送られるのです。社会的執着から捨てられるのです。「うまく老いる」、「うまく枯れる」ことが生きる秘訣だよって教えてくれた先輩がいました。はたして、私はなにもかも捨てきることができるのでしょうか。

 この寂しさに慟哭した固執(欲)を、何時の日か無表情でかすかな微笑を持って受け入れられるのでしょうか。捨てる悲しさより、捨てられる悲しみに耐えなければならないのでしょうか。

 見捨てられる方法を知りません。耐え忍ぶすべもしりません。ただただ、泣き叫ぶだけですか?毎夜、夢に現れる亡霊に、おびえながら夢にも現れなくなるのを待つだけですか。過去を思い出しても、怨まないようになる日を待つのですか。

 いま、こうして結願して、一歩でもお大師さんに近づいたその喜びよりも、さらに遠くなっていく浄土に今度は、いつお四国にお声がかかるのだろうかと不安です。

 緑のお札。こんな未熟なわたしに、どうして人々を導くことなどできましょう。

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