☆足の悪いおじいさんに、道を聞かれたときも、お手伝いの発想が湧かなかった自分。
足の悪いおじいさんに、道を聞かれたときも、お手伝いの発想が湧かなかった自分。あの足の不自由なおじいさん。どうして荷物だけでももたせてもらえなかったのか。20歳のとき祖母をおんぶして、お寺参りしたことがあります。すこしも恥ずかしくなかった。それなのに、どうして思い立たなかったのか。帰りとお参りのすれ違いだから?自分の時間ばかり気にしてたから?涙が出ました。自分のばからしさが。ものを差し上げるお接待ばかり考えていました。
次の時には、絶対こんな恥ずかしいことをしないでおこう。階段の上まで送っていくくらいなんの負担もないはずです。お大師様に会いたいと思っていたのに、試されていたのかもしれません。鯖大師や食わず芋ではないですが、こんな私にお大師様が見えるわけがない。
ごめんなさい。お接待の歩き遍路の全員が観音様(お地蔵様)でした。私に、無上の喜びと救いをくださいます。でも、品物ではなくもっと別の形でもお接待はできるはず。
布施波羅蜜(無財の七施)。
誓います。これからは、不自由をされているすべての人に、せめてお手伝いを惜しまないと。濁った汚れたわたしの感性を治してください。「お手伝いさせてください。」って、躊躇なく言えるようになりたい。
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