林棲期(りんせいき)

  2012年07月19日09:31 いま『ゴータマ・ブッダ』という本を読んでいます。そのなかに、「古代インドの社会的な慣習・・」に7.8歳ころから約12年間学問や技術を身に着ける(学生がくしょう期)。20歳から結婚して家長として子孫を残す(家長かちょう期)。50歳ころになり長子が結婚して家督を継ぐようになると、家を出て森林に隠れ棲み、宗教的な境地を求める(林棲りんせい期)。そして林中で修業が完成すると、森を出て無一物になって托鉢しながら遊行する(遊行ゆぎょう期)。そんな、4期があったそうです。

 私は、今になって振り返ると、22歳までは、学校に通い、23歳から60歳まで働いていましたが、子供たちが3人。みんな結婚し、それぞれに子供ができて、世間的にはまだ早いと言われながら、60歳で引退。世間的には、社会的貢献をしないのを批判的に言われますが、やっとこれから仕事上の懺悔と、未完成な自己の研鑽に努めたい。未練や固執からまだまだ抜けられず、日々苦しんでいます。これからが、本当の苦行なのでしょうね。

 毎朝、早起きしてお寺・お墓・地蔵さんにお参りし、家の前の道と庭掃除。掃除は、ほんとうにいい修業です。週1回高野山、奥の院にお参りし、大学生と授業を受けて、いま何冊かの本を読みながら、仏教の勉強をしています。

 6月初めに生まれた6番目の孫の記念の木、(出産前から娘と相談し、キウィのリンゴのような大きな実の苗木を注文しました。実は、数年前に高野槇の苗を3度目の正直でやっと庭に植えて育ち始め、いま50cmくらい。私がいなくなっても、次の代が下の枝から手折って墓前に供えてくれそうです。孫たちの、それぞれの記念樹の実が、毎年実って、里帰りの度に自分の木を楽しみにしてくれて、・・。庭の真ん中には、モミの木を植えています。これも2代目で、いままだ50cmくらいですが、毎年年末に電飾します。

 ははは、まだまだ林に籠って修業までいきません。現世に未練たらたらです。とりあえず、これから20年ですね。


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