西高野街道を歩く (1)
                        平成18年3月25日(土) 晴れ 気温15℃
   


 すごいいい天気。こんな日を待っていました。
 もう随分前から、一度家から高野山まで歩きたいと
 思っていました。
 朝、5時前に目が覚めて、「行こう!」と決意。さっそく
 コーヒーを沸かし、ポットに詰めます。
 いつもの遍路準備。慣れたものです。忘れ物の無い
 ように、慎重に準備します。
 お線香、ろうそく、輪袈裟、念珠。靴は、マギーの遍路
 シューズ。おいずるを着ます。金剛杖。
 
 さあ、お参りに!
  
 丁度、朝日が昇ってきました。ワクワクです。
 

 家の前に、筋向いの中林さんが立てている石標です。
 私の家は大阪の堺市と大阪狭山市の境界です。
 西高野街道に面しています。小さいころから、高野
 街道沿いという古い村になじみ、須恵器の里で、旧の
 陶器村という地名もついています。須恵器の窯跡が
 あちこちにあって、破片を投げ合って過ごしたんです。

 私の家の山近くには、大師の窯跡、梵字が原なんて
 地名も。家を出るとすぐ、タバコ屋の永原さんの辻に
 石標があります。『右 あまの山三里 左 かうや山十里』。
 そうです、女人高野天野山へ行く「あまの街道」と
 「高野山」にいく「高野街道」の分かれ道なんです。

  
 この道は、堺の町から続いています。狭いのですが。

  
 大破坂(おわりざか)を下りると、隣村。コンビニでアンパンを購入。
 金剛山に朝日が昇ります。


  「亀の甲(かめのこ)」(三津屋)の地蔵さん。小学校は、すぐ近くです。
 母校なんです。地元。昔、小2の頃担任が給料日になったら、授業中なのに
 「農協まで行って来い。」
 なんて言って、貯金通帳を持って行かされてました。授業がサボれるいい日
 でしたよ。
 
 校区だった友達の家を思い出しながら、テクテク和歌山県を目指します。


   農協は今もあって、その側に大師堂が立派になってます。


 草沢(くささ)の村のお地蔵様。休憩できます。中に入って、ろうそく・線香。
 犬の散歩のおじさんがやってきました。「歩いてるの?」「はい、橋本市までですかね。」
 「気をつけてね。」って、やさしい言葉をもらいました。勇気百倍。でも、遍路姿は異様らしく新興宗教みたい?

   
 河内長野市に入りました。??「高野山女人堂へ十里」の石標です。私の村の石標は何でしょう?

 しばらく行くと、雰囲気のいいお寺です。松林寺(真言律宗)。
 境内で、お坊さんがお供えの高野槙を切っています。歓喜天(聖天さま)をお祭りしています。

   

 ろうそく・お線香で、心経を。住職としばらく談話しました。


 また天野山への分かれ道。うれしいですね。『四国八十八ヶ所遥拝所』 
 でも、道案内がないので、三叉路なんですが、どっちへいったらいいのやら。
 まあ、土地勘がありますから、雰囲気で左へ。

  いやあ、阿部の清明の塚です。もちろん、信太山(狐伝説)への
 道があってもおかしくない場所ですから。詳しくは分かりませんが、不思議はないですね。

  河内長野に来ました。国道は何度も車で走っています。
 でも、やっぱり旧の街道はいいですね。まだ8時ですから。通学・通勤のひとが一杯です。
 『高野山女人堂へ九里』の石標です。
 
    本当にタイムスリップしたようです。
  こんな街道宿場町みたいな場所が残っているんです。街並み保存すればいいのに。
  愉快なのは、みんな苗字が同じなんですよ。一族ですね。

  河内長野の長野神社境内まできました。朝の境内で休憩していますと、小さな女の子がリュックを背負って
  お父さんと降りてきました。私のようなような風体ですと敬遠しそうですが、にこにこして近寄ってきて、
  「いってきまーす。」っていうんです。思わず、「いってらっしゃーい。」なんてね。
 

 すこし足が痛くなってきました。どうやら新しい靴のインソールが合わないようです。
 左の足の甲が痛くて、歩くのも辛くなってきました。すこし足を引きずって、速度も遅めに。
 大丈夫かな。

 三日市町を過ぎて、だんだん狭い国道371号線。最近は、歩道がだいぶできてきたのですが。
 信号待ちのとき、おばあさんが寄ってきて、歩いてるんですかって。これから高野山を目指し
 ますっていうと、私もお四国にいきたいんだよ。気をつけてって合掌してくれます。うれしいな。
 
   山が近づいてきました。紀見峠です。
 大阪府と和歌山県の県境。トンネルができて、もう30年くらいですね。
 以前は、雪が降ったら通行止め。
 大変な場所でしたが、便利になりました。車だったらすぐですが、2km
 くらいあって、歩いたら排気ガスで
 まず無理ですね。今日は、上の峠道をのぼります。その前に、お昼ご飯。
 (まだ10時ですがね。)
 やっぱり遍路では、アンパンとクリームパン。持ってきたコーヒーがおいしい。



 やっと峠です。標高は、400mくらい。きつくはありません。途中、自転車の方を数名みました。
 岡潔(おかきよし)さんという有名な数学者の生家跡がありました。そうなんだ。
 ここの生まれだったんだ。と、感慨もひとしお。腰痛の神様にもお参り。

   峠の下りは、車道ではなく山道を。遍路道を思い出しながら。
わくわく。でも、全部舗装してあるんです。便利ですけど、ひざを痛めますね。

  迷いながらも、和歌山県橋本市です。国道が辛くて、わき道を行った
 のですが、行き止まり風で、ちょうどおられたおじさんに道を尋ねると、「この格好は?」と。お遍路で3回目の
 初めに、狭山から歩いて高野山に向かってるっていいますと、「奇特な方に出合った。」と喜んでもらって、
 ずっと合掌して見送ってくれるんです。なんどもお礼しながら、少し緊張して歩きましたよ。ははは。

 国道沿いに『高野山女人堂へ五里』

 「地蔵さん、今日は足が痛くてもう無理です。本当は、九度山町の慈尊院(真田雪村の町)まで行きたかった
  のですが、今日は南海高野線橋本駅で帰ります。」

 帰りに、ちょうど叔父さんの家の前を通ります。橋本市東家(とうげ)です。もう角を曲がると駅。
  今度は、足を直してここから高野山を目指します。

 高野街道。女人堂から弁天岳を越えて、南大門から町石道を下りて、慈尊院・学文路(かむろ)のお大師さんを
 参って、帰ろう。靴は、マギーさんにメールで聞こう。電車にのって金剛駅に戻りました。25km8時間です。

 追伸・・翌日「靴のマギー」さんの店長高橋さんにメールを送ったら、2時間後に埼玉県から電話をいただきました。
 足の様子を見舞っていただき、メンテナンスするから着払いで送ってくれというんです。ありがたくて、大感動。
 とりあえず、インソールを交換してみます。ありがとうございます。

 さてさて、今度はいつ行けるかな。とにかく、私のお四国3回目が始まりました。

 ■西高野街道(2) (3)  ■仏教の勉強室