西高野街道を歩く (3)
                        平成18年4月8日(土) 曇り 気温15℃
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今日は橋本市まで電車で行って、先々週の終わったところ
  から出発です。先週、道を間違えたので、また振り出し
 です。

 橋本駅からすぐ西に行って、高野街道に当たって、南へ。
 すぐに三叉路。「右かうや」に従って、右に。
 国道24号線を渡って、まっすぐ路地に。突き当たりを左。
     

紀ノ川の堤に出ます。すぐに渡し舟に舟着き燈篭。

   

  紀ノ川の渡し場ですね。
   
  『高野山女人堂 四里』の石標です。

 堤には、土筆。
  
  

 橋本橋を渡って、川の反対側(少し下流)に、舟着きの燈篭です。季節は、春。最高の季節です。
 川から離れながら、高野街道は山に向かいます。狭い村中の道を進みます。
  
 小さな道しるべ。       六地蔵さん。(大師堂)      鎌不動堂

   
 村を抜けると、国道370号線です。
 ちょうどそこの地蔵堂に『西 高野山女人堂 三里』の石標。

 
 国道を越えて、山道です。小学校・線路を越えて、少し勾配のきつい道を上がると、学文路(かむろ)大師。

  
 お参りして、西にある奥の院(平和公園)
 おばあさんに道を聞きました。お遍路姿ですから、知っておられる方は、親切です。

   次の村だけ?道の整備がよかったな。

  人魚のみいらがあるという西光寺です。ここは、刈萱堂。あの石童丸のお母さん
 のお寺です。ゆっくりパンを食べました。

  村を越えると、先週やっと昼過ぎに戻ってきた河根峠です。高野山まで90町。

 今度は、峠のものすごい坂道を下りずに大きな道をしたの村に。

  ここですよ。心臓破りの坂道。途中に河根丹生神社。
 実は、村で道を聞いたのですが、よく理解できずに、また間違って玉川峡の方に行きました。
 後ろから、おじさんも市販の本を見ながら迷っていました。一緒に、戻って本来の街道に。
 今度は、案内のために迷わせてもらったのでしょうか。

 村には、大師ゆかりの塩釜、元本陣などが残っています。


 やっと、千石橋です。
  『高野山女人堂 二里』 実は、ここからが本当にきついのです。

 行けども行けどもずっとのぼり坂。

 何時間歩いたでしょう。1時間に2kmも進まない。途中西郷という村を過ぎると、電柱に「高野町」の表示。
 急に整備された車道になって、とても不安です。でもまだ坂道は上がっていますから。

  村がある度に、お地蔵様にお祈りしていました。

 急に整備された車道が、杉木立の街道にもどります。看板には、日本最後のあだ討ちの場所だとか。

  薄暗くさびしい山の中です。さすがに。

 少し行くと、  左から二番目が、『女人堂一里』。

   石標の上に、小さなお堂があります。ひっそりと。

    次の村神谷を抜けると、
  極楽橋までは、下りです。最後には、電車の線路が見え隠れして、やっと極楽橋ですよ。

    駅のすぐ側です。
  やっとここから、高野山ですよね。橋を渡ると、不動坂。(ここだけ世界遺産の恩恵でしょうか、整備抜群)
  ケーブルの駅で底をついている飲み物を買おうと思ったのですが、駅より道が上にあるんです。
  途中の湧き水をペットボトルにいれました。

  これまた上ること2km。1時間半です。きついのなんの。焼山寺道といい勝負です。

 

   随分上ったところに、清不動堂。花折峠。

  やっとバス道に出て、すぐ左に夢にまで見た女人堂です。大日如来、神変菩薩。勤行しました。
     

  もう時間は、2時30分。本当なら、山を越えて大伽藍・金剛峰寺、南大門と行きたかったのですが、もう
  南院だけお参りして、バスで戻ります。今度は、お四国満願してから。町石道はまた今度。

    

  南院、波切不動さまにお参りして、戻ります。念願の家から高野山まで10里を踏破しました。
  このまま宿坊に泊まって、和歌山港に行き徳島に行きたいな。

  三回目のお四国は、可能なかぎり歩きたい。まあ、それも無理せず、バスや電車もいいかもね。
  実は、もう5月の連休に予定を組んでいます。大阪からバス。4泊で16番まで。上の清不動で電話を
  して、阪急バスの予約をしました。すでに、私のお四国3回目は始まっています。わくわくしています。

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