能登の思い出~「待つ」ということ~

   室岡犀星詩集 たしか高校時代に買ったかな?

  『抒情小曲集』「小景異情」 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや ・・」

 一度目
 犀川が見たくて、大学時代の終わりに彼女(妻)と夏休みの帰省ルートを変更し、東京から金沢、輪島、あわら温泉経由で帰阪しました。先日、思い出話をしたのですが、金沢兼六園の石鳥居の小さいこと。金沢大学がお城の中であることは、一致したのですが、大学の学食で食事をしたか?俵屋が見つからず犀川のほとりをうろうろした?二人とも記憶がもう曖昧です。

輪島にいって、市は見ましたが、食事をしたかは不明。貧乏学生でしたから、立派な海鮮料理は食べてないはずです。

一路福井のあわら温泉。安宿では、私の記憶ではクーラーが効かなくて暑かった。妻の記憶は、野球ばかり見ていてつまらなかったと!

    ※余談・・大学4年の夏休みが終わって上京する時、珍しく母親が新大阪駅まで送ると。そしたら彼女(妻)の母親も来ていて、妙にぎこちない。東京について暫くして連絡があり、「今両家で婚約の扇子納め(婚約)」をした。三宝に扇子を3本。本人たちに言わないで。有難いけど驚きでした。決してムチャをしないでと。

 二度目
 確か40代初めころ、当時私は宮本輝の小説にはまっていて、『朝の歓び』を読んだ時、無性に穴水の「ボラマ待ちやぐら」が見たくなって、定時制勤務だったもので、早めに高校を出て、一路阪神高速、名神高速、北陸道を抜けて千里浜の海岸道路を走りました。砂浜がそのまま国道になっているんです。

  ※余談・・残念ながら今の私の部屋には『朝の歓び』がありません。「本を貸すバカ、返すバカ!」なんてね。きっと誰かの本棚にもう立っているんでしょうね。

  

 夜明けを抜けて、穴水の小学校の下に到着しました。主人公の女性は、何時来るか来ないか分からない彼を高台の小学校の校庭で待っています。私も、やっと見た「ぼら待ちやぐら」を眺めながら、随分長く思いに耽っていたものでした。やぐらは、思いのほかでかくて。いつ来るか分からないぼらの集団が網の上に来るのを待っています。その時「待つ」ということに思いを馳せて、しばし時の経つのを忘れていました。

  

 三度目
 去年アニメ好きのわたし、Amazonプライムでアニメ『君は放課後インソムニア』というのを見つけました。天文部員の高校生カップルの淡い恋物語のなかに、輪島の名所旧跡が紹介されていて、大ファンになって何回も見ました。アニメの高校は九曜高校と言いますが実際は七尾高校がモデルです。いつかは見附島や真脇遺跡を見てみたいと思っていました。

 ※余談・・以後何度か金沢・富山は出張で行きました。全国校長会など。和倉の高級旅館、金沢のゴリや寒ブリ。富山では、「風の盆」のデモンストレーションを。砺波では、堂の鋳物の茶室の釜の蓋置(今の有ります。)など。

 令和6年1月1日、何ということか、あの能登大地震が起きたのです。見附島は崩落し、無残。幸いぼら待ちやぐらは近くの岸に引っ掛かり、無事だったそうです。

   真脇遺跡


  真脇遺跡  

  イギリスのストーンヘンジ

 メディアでは、毎日能登の報道がなされています。早く復興しろ、住民はしっかりして、明日のために気力をもてって言ってます。いち早くたち治った方たちを取り上げて、工場を復活させたとか家を片付けたとか。でも、精神的に弱っている人にがんばれは禁句のはず。私は、いささか違和感を覚えます。

 今、私は抗がん剤治療中です。胃を全摘し、歩くのも立ち上がるのにも支障がでています。こたつから立ち上がるのに、長いときは1分ほどかかります。立とうとしてから、動くのに気持ちが付いていかない。近くのものにつかまって体をねじるのにも力が入らない。勇気がでない。じっとそのままの姿勢で、気持ちが起こるまでじっと。そしていささかのお腹のきつさと、動いた時の空咳。そんな私だからこそ、いま被災された方々の無力さを共感するのかもしれません。

そんな方々に、寄り添い、ヘルプの声がかかるまでじっと「待つ」のが肝心だと思うんです。「待つ」ことは、とても我慢強く厳しいことですが、ヘルプの声がかかったら、迅速に対応する準備ですね。

 「待つ」の意味を、もう一度考え直そうと思ってます。

   石川啄木 『石川啄木詩歌集』「悲しき玩具」
       「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれどーー」