入院日記・・・異常な体験の中で、一杯学びました。
   2013/10/31--12/3 の35日間の日記です。

 経緯
 ちょうど8:30くらいでした。裏やぶをずっと一人で整理しているのですが、やっと秋になり、あと数日でなんとか片付くかなと思っていました。裏やぶは斜面になっていて、7段の脚立(2.1m)を立てて、切った竹の枝を両手に抱えて、足だけで一番上まで上って、藪に差し込む作業をしていました。アッと思ったら、もう落ちていました。右の背中、肩甲骨から落ちたようです。肋骨は、後ろ1本、前がヒビも含めて3本かな?しばらく息ができなくて、どうなっているかもよくわからず、でも動けなくて。数m先に携帯電話があるのですが、そこまでも行けなくて。おーい、おーいと薮の向こうの妻を呼んでも、気づいてくれない。30分くらいかな?やっと妻が、裏の谷で犬を逃がした人が、何度も呼んでるな?と思っていた。でも、ひょっとしたら、??と見に来た。そしたら、旦那が倒れてた。

 なんとか、起き上がって、救急車もなんだからと、車で近くの外科病院。医者もレントゲンとCT取って、右肺が破裂して、血気胸だね。明日は、右わき腹がぶよぶよに腫れるよ。でも、自然に引くよ。肋骨は、自然にくっつくから、だって。念のため、3日ほど入院しましょう。やれやれ、動くと痛いけど、なんとか大丈夫と思っていました。翌朝、病院の朝食を食べていたら、急にものすごい腹痛、吐き気。のた打ち回って、緊急CT。肝臓から大量出血。(肝臓破裂)この病院では無理と、病院の救急車で、近畿大学病院救命救急センターに緊急搬送。あとで、付き添ってくれた看護師さんから聞いたのですが、出たときは意識があったけど、向うの病院に着くころには、ショックで意識がなかったですね。もう戻れないと思っていましたが、よく戻って来れましたねって。

そこからの3日間は、ほとんど意識も記憶もありません。緊急に、右足付け根からカテーテルで、肝臓内部の大きな血管(脳へ行くの、肺に行くの、心臓に行くの)3か所の止血手術。また、出血を出すためのドレナージ。(管を射し込んで、血をだす。)右肺も、かなり縮んで、酸素吸入が2週間。4週間ER(救急救命)に入院しましたが、3週間ドレナージしていました。真っ黒い血が、2リットル以上出ましたね。最後の造影剤CTでは、肝臓の1/3が壊死、1/3が出血で真っ黒、なんとか1/3が生きています。でもすごいですね。肝臓ってそれでもほとんどの血液検査の値が、正常値なんですよ。肋骨は、なんの治療もしてくれません。動くたびに激痛が走るのに、そのうちくっつきますからってねえ。自力で、トイレに行けたのも、3週間後ですよ。転院のとき、お医者さんが、3か月で元に戻りますよって。

地元病院からの搬送患者は、もとの病院に戻すのが、慣例だとか。結局、もとの病院でさらに1週間でした。


 入院日記・・・携帯もERでは、使えません。面会も時間も人数も制限があります。

 入院7日目、妻が小さなノートを持ってきてくれました。やっと日記が書ける。なんと一冊書きました^_^
 入院して、7日目にやっと字が書けた最初のページに、

  目覚めしに 寝返り打てり 一日の 命長らえし 喜び 忘れまじ

  また 涙もろくなりし 心弱り もろく辛くも 生きる欲の まだ残れり

 これが、第一声です。また二日後に、 「たぶん命というのは、大切というより、尊いものだと思う」
 「今まで、大切にしなさいなんて教えてた。そんな薄いものじゃないと分かった。」と書いています。表現が微妙ですが、なんか実感です。 


 妻篇。

意識が戻って、面会に来てくれた妻に、とてもこころさみしくて、帰り際に手を握りました。見ていたナースに、20年ぶりに握りましたと言うと、妻も今更ねぇ^^;

  この年で 妻待ちわびる 1号室

  また明日と 帰る妻に 後ろでそっと 手を合わせ

  曇り空に 見舞いの妻を 心配し

毎日退院を待ちわびてる妻に申し訳ないです^^;始めの二週間くらいは、気楽だと言ってたけど、ひと月1人暮らしは、やはりさみしいらしい(^^;;


子どもたち篇

怪我で最初に入院したときは、ドクターも意外に気楽な話だったので、誓約書の2名は妻と息子にして、まあ今夜にでも電話しておいてと。妻が夜息子に名前借りたよと連絡。すぐ行くよの申し出も、妻はいいよ、1人で大丈夫と断りました。
息子は、三人兄妹の長男ですが、兄妹仲良しで、すぐに妹2人に連絡。次の日には、名古屋の娘もきてくれました。実は、その時がまさに危篤だったんです。
娘たちに、叱られました。なんでもすぐに知らせてちょうだい(^^;;

  喜びも悲しみも 家族みんなで 半分っこ

落ち着いて、妻と話しました。今までずっと、子どもたちのために、なんとか支援してやらないとと生きてきたけど、もう子どもたちもすっかり立派な大人になった。これからも、一所懸命支援するけど、逆に頼って、甘えられる年寄りになろう。

  週末に 息子が来るという 夕暮れ

実は、まだ退院の話がドクターからありませんが、大事な仕事の期限が迫っていて、昨日息子にノートPCを買ってきてもらいました。今日から、ベッドの上で、仕事です。さて、退院したら、このPCは、どの子の家に行くのでしょうね^^結局、長女のとこに。
私の危篤の時に集まった子どもたちが、22日にUSJに全員集合して、遊ぶ話になってるそうです。それまでには、なんとしても退院していたいですね(^^;;


ナース篇。

まあ皆さんも経験は無いでしょうが、ERの重症は患者1人にナース2人。普通でナースがマンツーマン。ベッドの足元にあの心電図などの計器があり、ナースがいます。ICUと同じですね。点滴の機械が12個。3階建です。横に20から30ずらっとベッドが並んでる大部屋にいます。
患者が一番長くお話しするのがナース。それもERは、ほとんど20歳代。男のナースがかなりいます。

  老人臭 ナースの近くで 気にかかり

  もう立てません ナースの顔見る 色ジジイ

  さりげない ナースの言葉に 生かされて

  目覚めたら 太陽背にした ナースあり ありがたきかな 思わず合掌

  カーテンが揺れた 誰かが通っていく 午睡のとこ

晴れ篇

戻ってきた病院で、朝の回診で、ドクターに背中から腰が痛いのですが、腎臓でしょうか?いや、ベッドに座っているので、筋肉痛でしょう。夜半の雨に病院玄関前が光っています。今朝は、快晴。日記を見直してみると、太陽の光ほど人を支えるものはないかもしれません。

入院13日目にER内で、二回目の病室移動で、大部屋、処置室、やっと回復室。ここだけが、空が見える部屋^_^それも窓側でした。

  ほっこりと 日差し 射し込む 病棟に うたた寝の人 何を夢見る

  ここに 日向ぼっこの 病人あり 殺菌消毒光合成

  ひっからびるかもしれません 日向ぼっこの 年寄り 一人

  やっぱり 晴れがいいなあ 窓ぎわのとこ

  雲切れて 陽の入りきたる まぶしさも いたづらなり

なんか、晴れるのがこれほど嬉しいなんて。昔、雨の方がいいなんて、きっと強がりだったんですね。


雨篇

 改めて、入院中のノートを見直していて、やはり当時の不安や心細さを表現した句が、多くあります。
今日は、そんな中で、入院でなくても、ふとした不安な時にも通じるものを、チョイスしました。

  今日も 日が暮れる 小さな蜘蛛といる

  木枯らしや 大部屋の床は 静かなり

  窓つたう 雨粒 どこに行くのやら この病床の 私いざなえ

  病人の 何気に 窓を眺めてる 雨降る日には 何を思う

  神鳴りて 今日も 一日終わりかな

  さみしさや その景色さへ 見られずに 空行く雲に 秋をしぞ思う

特に、雨の日はやはり気持ちも沈みます。私は、35日で、なんとか退院しましたが、ずっと長く入院されている方や、ER救命救急では、戻れなかった人も多くいます。毎日ほど、遺体が運び出されます。ICUとはまた違いますね。映画で見る野戦病院の感じです。


幻覚篇

 先週火曜日に退院して、そろそろ一週間。毎日昼から微熱が出ます。昨日、かかりつけの医者に、今までの報告と今後のことを相談に行きました。不安の中、いままで来ましたが、彼はもっとも信頼のおける同級生です。

 微熱は、肝臓に溜まった血を血液に溶かして頑張っている証拠だから、3か月ガンバレと。うまくいくと、脂肪肝もなくなるぞ。だって肝臓が再生し、新しくなるから。安静に療養しなさいと。・・・なんだか不安がなくなりました。「このまま衰弱して、死ぬことはないのか?」「ない!」

 当時の日記を見ますと、後での周りの人たちの話で、ER救命救急センターに搬送されてきた2日間、かなり強い麻薬を使用したらしいです。末期のがん患者に使うもので、状況的には肝臓が完全に破裂寸前だったわけです。外の膜一枚で助かったとか。

 その二日間、私は幻覚を見ていたようです。大抵の人がそのようです。でも、個人によってその内容が違います。私は、かなりの「被害妄想」だったようで、近づくナースやドクターに、「近づくな!触るな!殺す気か!」と二日間も怒鳴り続けたそうです。

 三日目に、面会に来た息子に、ドクターと間違って、「先生、私を殺す気ですか?」と怒りに震えていたそうです。その時息子が、「親父、しっかりしてくれよ。息子やで!」と叱ってくれた、その瞬間に「幻覚」から覚めました。

 その後は、お世話いただくすべてのナースに、謝り続けていました。

 落ち着いてから、つくづく考えますに、こんな時にこそ、その人の本性というか、真の姿が現れるのでしょうか。わたしは、「被害妄想」家。いままでずっと、信じられる者もいず、心も開かず、孤独に耐えて過ごしてきたのかもしれませんね。アルツハイマーになると、若いころ最も耐えてきた辛いことを思い出すそうです。まったく同じでしょうか。後日、一時同室に運ばれてきた老人は、その夜、大声で歌を歌い出し、数時間で隔離されていきました。もちろん寝られませんでしたが、なんだかうらやましくて、あの方の幻覚はきっと楽しいものだったのでしょう。

 わたしが、仏教に深い関心をもち、また遍路に出るきっかけの一つが、「人を信じられない自分」、「誰にも心許せない自分」からの脱却です。なんだかまざまざと、突きつけられた思いでした。

 残念ながら、臨死体験はありません。妻いわく、まだそこまでいかなかったのね。だって。


追記・・幽霊ばなし

 いまだからお話しますが、大部屋から個室に移ったその時から、右隅上に面長な女性の顔が見えました。肩くらいまで髪の毛が長くて、哀しそうでした。翌日、看護師さんに話して見ましたら、「見えましたか?ずっと噂の部屋なんです。」だって。私は、怖くない方ですから大丈夫。数日して、夜に私のベッドの右横に立ったんです。ぼんやり白く見えました。なにも話しませんが、悲しそう。なにがあったか、思いがこの病室に残っているのなら、とても悲しいことです。「私が退院したら、そのときお寺とお墓に連れて行ってあげるから、待っていなさい。」なんて、約束しました。それから、ずっと後になりますが、退院して、母の墓前にお参りして、この人を無事に連れて行ってあげてくださいってお願いしました。そういえば、亡母も娘も、見えるんですよ。私、元気に退院してから、見えません。はは。