仏教以前のインドの宗教

       平成27年度高野山大学「仏教概論」(加納和雄先生)の課題ノート

  

   「仏教以前のインドの宗教について、簡単にまとめる。」


<通史>インド周辺の歴史

紀元前3000年-2000年 インダス文明起こる
紀元前1500年     アーリア人のインド侵入
紀元前1300年    「リグ・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」「ブラーフマナ」
紀元前1000-800 年   初期「ウパニシャド」の成立
紀元前500年     北インドに16大国が割拠
             マハーヴィーラ(ジャイナ教の祖)
             カビラ(サーンキャ学派の祖)
紀元前326年     アレキサンダー大王 インド侵入


<仏教興起以前のアーリヤ人>

初期には「死後に天界へ行き永遠に安楽に生きる」という思想が見られる。
その後天界での存在様相に関心が高まり、天界での死(再死)を恐れる思想が生まれ、
再死を恐れ涅槃を求める「輪廻と解脱」の思想が発達する。
そのような流れの中で、死後の行き先は生前の行いによって決まるという因果応報の思想も浸透していく。

 またアーリヤ人は、ブラフマンを中心とする世界観を発展させていく。
ブラフマンは元々「ロゴス」や「力」という意味を持つ言葉であるが、やがて宇宙の源として最も神聖な究極不変の存在として扱われていく。
ブラフマンとアートマンが、その本質において同一であるとする梵我一如の思想は、インドの代表的な思想となる。

 ブッダが誕生した頃のインド社会は、部族中心の社会からアーリヤ人を中心とする都市国家への移行時期でもある。釈迦族も先住民族のひとつであり、最終的には大国コーサラに滅ぼされている。このような社会変革の時代は、ブッダだけでなく、ジャイナ教など多数の自由思想を生み出した。

 このような状況の中、出家したブッダは、当時の出家者が行っている瞑想や苦行では覚りは得られないと判断し、中道の大切さを説いた。ブッダは覚りを得た時、その法を説くことをためらい、梵天勧請により他人に法を説くことを決意する。このことから、ブッダは自分の得た覚りが、広く大衆に受け入れられるものではなく、ある程度限られた人を対象にしたものと考えていたことが分かる。



<ブッダ以前のインドの思想>

ヴェーダ・・・現存するインド最古の文献。
広義の「ヴェーダ」は、西紀前1500年頃、インドへ西方から侵入したとされるアーリア人の残した文献群。

すなわち①ヴェーダ・サンヒター(本集)とその三種の付属文献、
     ②ブラーフマナ、
     ③アーラニヤカ、
     ④ウパニシャッド  の総称として用いられる。

狭義の「ヴェーダ」は、このうちのサンヒターを指して用いられる。
文字で記されるようになったのは、14世紀後半で、南インドにおいてとされる。

①サンヒターと四ヴェーダ

 ヴェーダ・サンヒターには四種類あり、四ヴェーダといわれる。
『リグ・ヴェーダ』『サーマ・ヴェーダ』『ヤジュル・ヴェーダ』『アタルヴァ・ヴェーダ』。
これらは、祭式において唱え歌われる賛歌(マントラ)、呪句の集成で祭官の職分に応じて作成され、伝承された。内容は、古代インド・アーリア人の祭式と密接に結びついている。彼らは、戦勝、子孫繁栄、降雨、豊作、長寿などさまざまな願望を成就するために祭式を行った。ヴェーダは、それらの祭式の実行と解釈のために作られた伝承の集成といった性格をもつ。

 <『リグ・ヴェーダ本集』の神々>

  それら神々は、超越的な存在というよりは人間的で、多くは自然現象に起源を持つ。
火(アグニ)や風(ヴァーユ)太陽神スーリヤ、暁の女神ウシャス、雨の神パルジャニヤ、暴風神ルドラ、河の女神サラスヴァティー、夜の女神ラートリーなど自然現象が神格化された神々が多く現れる。
 リグ・ヴェーダの中で、鮮明に擬人化され、最も活躍する神インドラは、雷の性格を強くもつものの、敵と戦い、悪魔を退治する英雄神としての姿は自然現象とのつながりが希薄である。
 また、宇宙の理法(リタ、天則)の守護者であり、かつ懲罰者であるヴァルナ(Varu?a)も自然現象との関係が希薄で、その起源は不明になっている。
古代ペルシアのゾロアスター教のアフラ・マヅダ(Ahura Mazdah)と元来は同一の神とされる。
 神々は人間の願望を実現する力を備えた存在と見なされた。祭式は、そのような神々に供物を捧げ、賛歌を唱え、神々の好意を得ることによって、その力を発揮してもらい、願望が成就されることを願って行われた。祭火は供物を天上の神々に届ける使者として神聖視され、火神アグニとして尊ばれた。

 <ヴェーダ祭式>

  ヴェーダ祭式には、「グリヒヤ祭式」と「シュラウタ祭式」とがある。
「グリヒヤ祭式」は、家長が家庭において実行することを求められた祭式で、誕生式・成人式・結婚式など人生の通過儀礼や神々への毎日の供養がこれに含まれる。
「シュラウタ祭式」は戸外に祭場を設けて祭官が執行するもの。

 祭式の中で最も重要な行為は「祭火に供物を投げ入れること」で「ホーマ(homa)」といわれる。上に記した通り、アドヴァルユ祭官の役割とされるが、古い時代は、ホートリ祭官がこの中心的な役割を担い、供物を祭火に投げ入れたらしい。

②ブラーフマナ

 ブラーフマナは、祭式の次第・順序などの規定とマントラの起源・語義などを神話と結びつけて神学的に説明することを主な内容とする散文の文献である。その神話や伝説は後代の文学に影響を及ぼした。

<ブラーフマナの時代 -- 祭式至上主義>
 『リグ・ヴェーダ本集』の時代からブラーフマナの時代へうつると、祭式観は変容した。祭式万能の思想が現れた。この時代には、神々よりも祭式のほうが強力と見なされる。正確に行われる祭式は、神々をも支配すると考えられるようになった。
 神々は、祭場に呼び出され、そこで唱えられる聖句のもつ呪力によって支配される。神 々の恩恵を求めるというよりは、神々を祭式によって操作することにより願望が実現される。このような考えにもとづき、正確な祭式の実行のために、祭式の細部にわたる規定と解釈が発達した。その集成がブラーフマナである。

 ブラーフマナの代表的な文献として『シャタパタ・ブラーフマナ』『アイタレーヤ・ブラーフマナ』『ジャイミニーヤ・ブラーフマナ』などがある。

 祭式においてアドヴァルユ祭官はヴェーダの詩句(マントラ)を唱えることで、祭火や祭具など祭場にあるすべての物と宇宙の神秘力(神々)とを象徴的に同定する。たとえば、祭火に向かってマントラによって「アグニよ」と呼びかけることで、祭火は火神アグニと同一視される。その結果、祭場において神秘力が発現し、願望は成就されると考えられた。ここから、祭式によって神々すなわち宇宙を支配することが可能という考えが生まれてきた。
 ブラーフマナの祭式万能の思想の中から、ついにはマントラのもつ力そのものが宇宙を支配する原理として神格化され、最高神と見なされるに至る。これが次のウパニシャッド時代に、多くの思想家の関心を集めたブラフマンである。
 祭式はアーリア人社会の中の最上階級、婆羅門(ばらもん、br?hma?a ブラーフマナの音訳)によって行われた。この宗教は、ガンジス河上流地方において、半農半牧の村落を基盤として成立していた。


③アーラニヤカ

 アーラニヤカは、「森林書」と訳されることがあるが、祭式の神秘的な意義を説き明かすもの
で、人里はなれた所において説かれるべきものとされるのでこの名がある。ブラーフマナとウパニシャッドの中間的な性格を持ち、単なる祭式の説明にとどまらず一部に哲学的な思想も含む。


④「ウパニシャド」

 ウパニシャッドは「ヴェーダ」のなかの付属文献で、「奥義書」と訳されることがある。ヴェーダの秘教的な思想を集めたもので、ヴェーダの最後の部分で、「ヴェーダーンタ(ヴェーダの最後)」とも呼ばれ、転じて「ヴェーダの極致」と解釈される。

 ウパニシャッドは、さまざまな哲人が登場し、宇宙の根源、人間の本質についてさまざまな思索を展開するが、おおむねヴェーダ祭式と神話に源を持つ。とりわけヴェーダ祭式において宇宙を支配する原理・力と見なされたブラフマンについての考究がなされる。その考究の結実がウパニシャッドの代表的な思想、梵我一如の思想である。

 ブラフマンは、宇宙を支配する原理である。ブラフマンは、もともとは、ヴェーダの「ことば」を意味する語で、呪力に満ちた「賛歌」「呪句」を表した。やがて、それらに内在する「神秘力」の意味で用いられるようになり、さらに、この力が宇宙を支配すると理解されて「宇宙を支配する原理」とされた。

 アートマンは、私という一個人の中にある個体原理で、私をこのように生かしている「霊魂」であり、私をこのような私にしている「自我」、もしくは「人格」である。

元は、ドイツ語のAtem「息、呼吸」と同じ語源から生まれた語で、「息」を意味した。ここから「生気」「霊魂」「身体」「自己自身」「自我」という意味が派生し、ついには「個体を支配する原理」とみなされるにいたった。この語はさらに「ものの本質・本体」という意味でも用いられる。

 この宇宙原理「ブラフマン」と個体原理「アートマン」が本質において同一であると、瞑想の中でありありと直観することを目指すのが梵我一如の思想である。これによって無知と破滅が克服され、永遠の至福が得られるとする。

ウパニシャッドの哲人たちは、同一視の論理を「ブラフマナ」でいう祭式でなく、瞑想で用いた。意識の集中により、分別による知を乗り越えて、対象が直観される。そのとき、主観は対象の中に入り、対象と融和する。対象そのものになり、同化する。同化すれば、それのもつ力が自分のものになる。こうして、瞑想によって対象そのものになり、その対象のもつ力を体得することをめざす。とりわけ、気息、目、耳、思考力などの生活諸機能がブラフマンとの同一視の対象とされた。ウパニシャッド思想の発展とともに、それらは、個体原理アートマンと宇宙原理ブラフマンの同一視に収束していった


代表的な思想家
は、
シャーンディリヤ
 ブラフマンとアートマンの一体性に初めて明言
 ・「アートマンは個体の内奥に存する微小なものであるが、個体に内在するブラフマンそのものであり、宇宙的なひろがりをもつ普遍者である。

ウッダーラカ・アールニ
 ・最高実在を「有(サット)」・・すべての現象的存在に浸透して、その内的本質をなしている。
 ・有は生命としてのアートマンをもって、三神格(熱・水・食物)に入り込み、さまざまな個体を
作り出した。

ヤージュニャヴァルキヤ
 ・アートマンは心臓の内部の光=火である。火=光を生命原理とする思想。
 ・火=光であるアートマンは、認識をその本性とする。視覚的認識・聴覚的認識などのそれぞれを
可能にさせている認識自体こそが、アートマンである。
 ・アートマンは、個体に内在してその内的本質をなすとともに、個体を超えて万物に浸透しいる普
遍者である。
 ・個体の本質であるアートマンは、宇宙的な最高実在ブラフマンそのものである。


火を生命原理とする思想
  初期ウパニシャド。
 ・個体に内在する生命としての火は彼方の世界に輝く光=火である太陽に由来する。
 ・火の表象が後退し、アートマンが「認識から成るもの」と性格づけられたものになって、かなた
の世界に輝く光は宇宙の最高実在ブラフマンとなり、アートマンはブラフマンと同置される。
 ・人が瀕死の状態に陥った時、アートマンはその人の諸機能の光を摂取して、身体から出ていき、
身体から離脱したアートマンは新たな母胎に宿り、別の身体となる。こうして、アートマンは輪
廻転生する。


輪廻の思想
 輪廻(saMsAra サンサーラ)とは、生き物がさまざまな生存となって生まれ変わることである。インドでは、『チャーンドーギヤ』と『ブリハッドアーラニヤカ』の両ウパニシャッドに現れるプラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く輪廻説(五火二道説)が、明確に説かれる最初の例である。
 1.かなたの世界  ・・・月に至り
 2.雨神      ・・・雨となって地上に降り、草木に吸収され
 3.大地      ・・・食物となって、男性に食べられて
 4.男       ・・・精子となり、母胎に入って
 5.女       ・・・胎児となり、この世に再生する
 ・火葬にふされた死者の霊のたどる道に、神道と祖道がある。(二道説)
   祖道・・祖霊界を経て月に至ったのち、再び地上に戻り再生する。
   神道・・人里離れた所において苦行に専心する者は、祖道を経て、この世に再生する。

 ・輪廻の鎖は、人が自らの内面にアートマンを見出したときに断たれる。
 ・心の拠りどころとするすべての欲望が放棄されるとき、死すべき者は不死となり、この世でブラ
フマンに到達する。


 業の思想
 業(karman)とは行為のことである。行為は行われた後になんらかの効果を及ぼす。努力なしで、目的は達せられない。目的が達せられるのは、それに向かう行為があるからだ。しかし、努力はいつも報われるわけではない。報われないことがあるのはなぜか。業の理論は、それを「前世における行為」のせいだとする。行為の果報を受けるのは、次の生で、この世では、努力してもうまくいく場合と行かない場合がある。その処遇の違いは、前世に何をしたかで決定されているとする。行為は行われた後に、なんらかの余力を残し、それが次の生において効果を発揮する。だから、よい行為は後に安楽をもたらし、悪い行為は苦しみをもたらす(善因楽果・悪因苦果)という原理は貫かれる。こうして、業は輪廻の原因とされた。生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定されるというのである。これが業による因果応報の思想である。


自由思想家(沙門)たち

 商業都市の成立にともない、婆羅門以外にも多くの自由思想家たちが現れた。彼らは婆羅門(ブラーフマナ)に対し沙門(シュラマナ、 努める人々、修行者)と呼ばれた。ブッダやジャイナ教のマハーヴィーラも、シュラマナの群れの中から現れた。

 原始仏典には、ブッダと同時代の思想家たちの説がさまざまなかたちで伝えられている。
そのうち、『沙門果経』には、当時の代表的な六人の自由思想家たち(六師外道)
①プーラナ・カッサパ、
②マッカリ・ゴーサーラ、
③アジタ・ケーサカンバリン、
④パクダ・カッチャーヤナ、
⑤ニガンタ・ナータプッタ、
⑥サンジャヤ・ベーラッティプッタ 

 いずれも婆羅門とは異なる沙門の思想で、仏教が成立したころの古代インドの思想状況を反映している。六人のうち、プーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、パクダ・カッチャーヤナの三人はアージーヴィカ派の思想家と考えられている。

①プーラナ・カッサパの『行為の善悪否定論』
 プーラナ・カッサパは、行為に善悪はなく、行為が善悪の果報をもたらすこともないと主張した。傷害・脅迫・殺人・強盗・不倫・虚言などを行ったとしても、悪にはならない。悪の報いはない。施し・祭式・節制・真実を語ることを行ったとしても、善にはならない。善の報いもないと説いた。
 あらゆるものごとを「平等」にみることによって、行為に附随する罪福へのこだわりとその結果生まれる苦しみから心を解き放とうとする教え。このような教えは、特に生きものを殺すことを職業とするため、業・輪廻説にしたがうかぎり、苦を果報として受けることが避けられないとされる人々に対して説かれたのではないかと考えられる。

②マッカリ・ゴーサーラの『宿命論』
 マッカリ・ゴーサーラは、アージーヴィカ教の代表者である。彼の思想の特徴は厳格な宿命論にある。その説によれば、一切万物は細部にいたるまで宇宙を支配する原理であるニヤティ(宿命)によって定められている。輪廻するもののあり方は宿命的に定まっており、6種類の生涯を順にたどって浄められ、解脱にいたる。転がされた糸玉がすっかり解け終るまで転がっていくように、霊魂は転生する。長い間、賢者も愚者もともに輪廻しつづける。行為には、運命を変える力がない。行為に善悪はなく、その報いもないと考える。当時、支配的な思想であった「業」の思想を否定する。
 「アージーヴィカ」とは、「命ある (j?vika)限り(?)( 誓いを守る)」という意味で、出家者には苦行と放浪が義務とされ、多くが宿命を読む占星術師や占い師として活躍したという。
 アージーヴィカ教はマウリヤ朝のアショーカ王とその後継者ダシャラタ王の時代に保護され、大きな勢力を誇った。アショーカ王の碑文に仏教(サンガ)、バラモン教、ジャイナ教(ニルグランタ)と並んで アージーヴィカが出る。当時、栄えていたことを推定させる。その後、衰えながらも、南インドのマイソールなどには存続し、14世紀までは続いたといわれる。

③アジタ・ケーサカンバリンの『唯物論』
 アジタ・ケーサカンバリンの教団は、素朴な人生の喜びをともに分かち合う共同体のようなものであったと推測される。彼は唯物論を説き、業・輪廻の思想を否定した。善悪の行為の報いはなく、死後の生れ変りもない。人間は地水火風の四要素からなるもので、死ねば、四要素に帰り消滅する。死後存続することはない。布施に功徳があるとは愚者の考えたことであるとする。 だから、宗教的な行為は無意味で、この世での生を最大限利用して楽しみ、そこから幸福を得るべきだという。

④パクダ・カッチャーヤナの『七要素説』
 人間は七つの要素、すなわち地水火風楽苦と生命(あるいは霊魂)からなるもので、これらは作られたものではなく、何かを作るものでもない。不動、不変で互いに他を害することがない。殺すものも殺されるものもなく、学ぶものも教えるものもいない。たとえ、鋭利な剣で頭を断っても、誰も誰かの命を奪うわけではない。剣による裂け目は、ただ七つの要素の間隙にできるだけである。行為に善悪の価値はないとする。


⑤ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)のジャイナ教 
 ジャイナ教は、ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ)によるニガンタ(Sk ニルグランタ)派の改革から生まれた教団である。ニガンタ派は、伝説によればマハーヴィーラの200年から250年前の人とされるパーサ(Sk パールシュヴァ)が開いた宗教である。

 ジャイナ教の伝説は、マハーヴィーラ以前に23人のティッタンカラ(“[輪廻の激流を渡り彼岸に到達するための] 渡し場を作った人”、Sk ティールタンカラ)がいたとする。パーサはその23代目、マハーヴィーラは24代目とされる。これがジャイナ教といわれるのは、マハーヴィーラをジナ(勝利者)と呼ぶことにもとづく。マハーヴィーラの改革後も“ニガンタ派”の名は使われ、漢訳仏典においてジャイナ教徒は「尼乾子」(にげんし)として現われる。

2)マハーヴィーラの生涯
 マハーヴィーラは、ジャイナ教団の伝統説によれば、前599年チャイトラ白月13日、ヴァイシャーリー近郊のクンダプラで、父シッダールタと母トゥリシャラーの間に生まれた。ナータ(Sk ジュニャートリ)族出身であることからナータプッタ(“ナータ族の子”)と呼ばれる。

 伝説によれば、マハーヴィーラの元の名はヴァッダマーナ(Sk ヴァルダマーナ)で、結婚して娘一人をもうけ、両親との死別の後、30歳の時、一切を捨てて修行生活に入った。13ヶ月で衣服を捨てて裸形となり、12年間の苦行の後、42歳の時にリジュクラ河畔ジャブラカ村で修行を完成し悟りを得て、<ジナ(勝者)><マハーヴィーラ(偉大な勇者)><アリハンタ(“敵を滅ぼした人”、あるいはアルハット、“修行完成にふさわしい人”)>などと呼ばれるようになる。

 その後30年間、ガンジス河中流地域で布教活動をし、72歳のときマガダ国のラージャガハ(Sk ラージャグリハ)近郊パーヴァーにおいて入滅した。

3)マハーヴィーラの思想
 マハーヴィーラは、パーサの「4戒」を、不殺生・真実語・不盗・不淫・無所有の五つの制戒に改め、これに懺悔を伴わせてニガンタ派の教義を改革した。

 倫理的な生活をおくることによって心を汚れから守ることを説く点は仏教と同じ傾向を示しているが、より禁欲的で厳格な実践が求められる。とりわけ不殺生と無所有の実行が重視される。

 「不殺生」を説くのは、すべて生きものは苦を憎むので、殺せば必ずその憎しみが殺害者にふりかかり束縛の原因となるからである。ジャイナ教において<生き物>は6種(六生類)とされる。地(土)・水・火・風(空気)・植物・動物の6種である。通常に生き物とされるものよりはるかに範囲が広い。器いっぱいの水は、器いっぱいの蟻に等しい。ともに生命あるものとされる。

 そのためジャイナ教の不殺生戒は、仏教よりも徹底している。ジャイナ修行僧にとって、(水中の微生物を除くための)水こし袋・(空気中の微生物を誤って吸い込まないための)口を覆う布・(道行く時に踏んで殺さないよう虫たちを追い払うための)鈴のついた杖などは、生活の必需品である。

 「無所有」を説くのは、次の理由による。所有は欲求であり、欲求は行為を導く。行為すれば必ず殺生することになり、殺生は最大の罪で、束縛の原因である。そのため「すべて」を捨てることが求められる。「すべて」に含まれるのは、ものだけではなく、家族・親類などの人間関係、欲求などの精神的なもの、さらには修行に不必要なもの「すべて」である。それ故、衣服を用いない裸形がジャイナの修行の理想とされる。

 また修行者の修行も、中道をとる仏教より厳格で、マハーヴィーラが一貫して苦行を続けたことにならって、ひたすら試練に耐えることが重んじられる。苦行は超自然的な験力を生み、霊魂に汚れとしてついた業を払い落とす効果があるとみなされる。特に断食が重視され、最終解脱には断食により身体を放棄することが必要とされた。

4)教団
 マハーヴィーラの教団は、出身地のヴェーサーリー(Sk ヴァイシャーリー)に多くの信者を得た。マハーヴィーラの入滅後、ジャイナ教団はそれほど大きくは成長しなかったようであるが、マウリア朝の宗教保護政策により勢力を伸ばした。アショーカ王の碑文(第7 Delhi-Topra碑文)には仏教(サンガ)、アージーヴィカ派と並んで<ニガンタ派>の名が出る。
  その後、飢饉の時、一部が南インドに移住した。そして南北の教団で衣の着用をめぐって解釈が分かれ、白衣の着用を認めた北インドの教団は「白衣派」、保守的な立場を取った南インドの教団は「空衣派」と呼ばれるに至った。この分裂は、紀元後1世紀頃には完全なものとなったと推定されている。

5)ジャイナ教の聖典
 聖典の結集は、マハーヴィーラ入滅後170年、長老バドラバーフ亡き後、マガダ国のパータリプッタ(Sk パータリプトラ)において、ストゥフーラバドラが指導者となって行われた。この時、12の<アンガ>を作成したという。この結集を南インド移住派は正統と認めず、以後白衣派のみが聖典を伝えることとなった。
 5世紀、あるいは6世紀には、グジャラートのヴァラビーにおいて経典の再編が行われた。この時までに第12アンガが散逸しており、11アンガの再確認と12ウパーンガの付加が行われた。

6)現代のジャイナ教
 今日でも、インドの人口の 0.48 % がジャイナ教徒であるが、その多くは商業に従事する。商業以外の職業では、不殺生の制戒を保つことが困難であるからとされる。


⑥サンジャヤの『不可知論』
 サンジャヤは、あらゆる問いに対して確答を避ける「不可知論」の立場をとった。
 彼の論法は、「うなぎ論法」といわれ、仏教の「無記」の考え方に影響を及ぼしたと考えられる。ブッダの二大弟子サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)は、はじめサンジャヤの弟子であったと伝えられている。また、この思想は、ジャイナ教のスヤード・ヴァーダと似ている。不可知論的な傾向は、ブッダ時代に濃厚にみられるが、このような思想風土が、自己と他者の思想の白黒をはっきりさせないで両立させる文化多元主義の基盤になっている。